幕間・秘《彼女の邂逅》
まるで牢獄に繋がれた囚人みたいだ。
王城の、何事もなく成長していれば自分の部屋になっていたであろう一室でアーティアは一人、そう思った。
実際、行動を制限されているということはない。部屋から出て歩き回るのは自由だし、護衛と称した監視を共につければ城門まで駆け抜けることだってできる。
それでもなお、今の自分が籠の中の鳥のようだと思うのは広い王城に監禁されているという事実と、定期的に声をかけてくる面識もない大臣、そして部屋の外に出ようとも思えない精神状態によるものだ。
「勇輝……」
今の自分を取り巻く状況から思考を逸らせば、思い出すのは数日前の少年の姿ばかり。アーティアを庇い、白い衣服を血で染めた傷だらけの勇者の姿。
あの後、彼は一体どうなったのだろう。
――生きていてほしい。
たとえ大怪我を負っていても、生きてさえいればナターシャやエミリーが彼の傷を癒してくれるはずだ。
――無事でいてほしい。
こんなことに巻き込んでしまった後ろめたさだけではない。理屈的な思考とは別の感情が彼の無事を心の底から願っている。
「大丈夫。きっと大丈夫」
祈るように願いが現実になるように繰り返す。
大丈夫だと。何も心配することはないと。
彼は特別な人だから。ラティス・マグナだから。選ばれた存在だから。
なにより、朝凪勇輝はまだ――――から。
「え……何、今の?」
頭の中に割り込んできた言葉に思わず声をあげる。
「勇輝が、なんなの? 私、今何を思ったの?」
その内容を思い出そうとしてもただ霧がかかったように数瞬前の思考を思い出すことができない。
それでも今の思考――脳裏に響いたのは紛れもない自分の声だったという確信がある。
「勇輝は、大丈夫……」
心の裡から湧き上がる言葉を呟いて、アーティアは自らの胸に手を当てる。
根拠のない感覚ではあるが、それがきっと事実であると信じられる。それを悟った瞬間、アーティアの眼に活力の光が灯った。
――勇輝はきっと大丈夫。私だけ一人で怖がってなんていられない!
膝を叩いて立ち上がる。
不安に抗う意思を取り戻したなら、まずは行動する。昔から自分はそうやって生きてきた。そして今も、やるべきことは変わらない。
「おやおや。何かいいことでもあったのですかな、姫君?」
心持も新たにして扉へと視線を向けた瞬間、その声と共に現れた男にアーティアは息を呑んだ。
「あなたは……!」
「我が名はブランタージュ。クレスエント王国第一宰相をしております。お見知りおきを姫君」
――この人……っ、怖がるな、私!
一歩。気圧されて退いた自分に気づいて、アーティアは言葉には出さず自身を罵った。
「知らない名前です。少なくとも十年前、あなたはこの城にもいなかったはずですね」
問いかけではなく断言の口調で言い放ち、その男――ブランタージュを睨み付ける。
「フ……その通りですな。我が宰相となったのは二年前。そして王国は既に重篤なまでに病んでおりました。それはもう容易く堕落していくほどに」
その視線を受けても涼しげな表情のまま肩を竦めて、ブランタージュは笑った。男の瞳に怪しい感情の光を見つけて、アーティアの警戒心も強くなる。
「それで、国が堕ちていくのを黙って見ていた逆臣が、私に何の用ですか?」
「黙って見ていた、か。クク……どうやら、何もわかってはいないようですな姫君」
拳を握りしめるアーティアの言葉にブランタージュは肩を震わせ、ゆっくりとその手を伸ばした。
「たしかに我がこの国で地位を得たのは二年前だ。だが、クレスエント王国がこうなるよう仕向けたのは我なのだよ!」
アーティアを寝台に突き飛ばし、伸ばしたその手が世界を掴むように握られる。
「あなたは――っ!」
雰囲気に呑まれまいと睨み付けた視線に映る男の眼にはっきりとして浮かんだ狂気の光にアーティアは思わず息を呑み込んだ。
「わかるか? この忌まわしい王国は、貴様が幼い頃には既に我が掌中にあったのだ! ラティス・マグナの血縁は――聖王の血筋などという心地の悪い血統は今、我らに淘汰されるべく存続していたのだ。我が主、空虚にして完全なる王の復活を告げるための狼煙としてな!」
「空虚にして完全なる……王?」
先程までの落ち着いた態度を失い、狂乱した彼の言葉を繰り返す。
その名を自分は知っている。遠い記憶の中で聞いたことがあると、そう感じた。
「やはり知っていたか、ラティス・マグナの直系よ。口伝か、あるいはその血に眠る記憶が呼び合っているのか」
アーティアの態度を見て、少なくとも表面上は落ち着きを取り戻したブランタージュが手を伸ばす。
体温を感じないほどに冷たい指先が自分の額に触れる感覚が不快で、アーティアは思わず顔を顰めた。
「なにを――っ!?」
「恐れる必要はない、忌々しき血脈の末裔よ。今しばらくの間、眠っていてもらうだけだ」
魔性の声が突然揺らめいたように耳の内側で木霊する。次第に大きく反響していくその音が聞こえなくなった頃、アーティアの意識は闇に沈んでいった。
「この状況で貴様に自由に動いてもらっては困るのだよ。この国の毒が完全に回りきるまでの今はまだ、な……」
――国の毒? 誰、か……勇輝……
沈んだはずの意識の外から、そんな悪魔の言葉が聞こえたような気がして、アーティアは少年の名を胸の内に呟いた。
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白い、ひたすらに白い朝焼けの光に照らし出されたその世界に心地の良い響きが満ちている。
気が付けば、そんな不可思議な世界にアーティアは立っていた。
「ここは……私、ここを知ってる? そう、前にも見た夢の世界……たしか私、前にもこうやって音を聞いてた」
まるで結晶大に凝縮された鈴の音が砕けたようだと思って耳を澄ませると、視界の端にはためく影を捉えた。
「相変わらず、アティはこの音が好きなんだな。まあ、俺も嫌いじゃないけどさ」
そう言って笑う彼は、アーティアが知る少年とよく似た姿をしていた。
特徴的に跳ねた黒髪に意志の強そうな黒曜の瞳。靡く白衣は記憶にあるそれよりもずっと傷だらけで、身長だって彼より僅かに高い。
それでもきっと、この青年は〝彼〟なのだと、理屈ではない感覚がアーティアに訴えていた。
「勇輝? え、でもなんで?」
自分の夢の中に彼――それも二、三年は成長しているように見える――が現れた事実に混乱していると苦笑を浮かべたままの彼が頭を撫でてきた。
「落ち着けって。俺がここにいるのは君たちが一つの通過点を過ぎたからで、そして君がここにいるのは魔族の洗脳術から君の精神を護るためだ。多分、今頃は君にとっての俺と俺にとっての君も同じようなことを話してるだろうな」
「私にとっての、勇輝?」
彼の言葉を繰り返す。その言い様は、まるで自分たちが何人もいるような――。
「あ、深くは考えなくていい。君は絶対にこっち側には来ないから」
慌てたようにアーティアの思考を遮って、少女を安心させるように彼は強い眼差しで頷いた。
「今、この段階では俺から君に対してしてあげられる助言は実のところないんだけど……そうだな、強いて言うなら〝強くなれ〟ってことかな。まあ、これは俺のアティからの受け売りだけど」
「……強くなる」
頬を掻いて居心地悪そうに話す彼の言葉を自分に言い聞かせるように呟くと、彼は静かに頷いた。
「そうだ。別に戦う術について言ってるんじゃないぞ? ただ、その心を、君の在り方を強くしていってほしい。きっとその先に、俺たちが掴めなかった未来があると思うから」
過去を懐かしみ、それでいて未来を羨むような哀しくも優しい眼差しで彼はアーティアを見つめた。
「そのためにも、今回の朝凪勇輝とアーティア=ヴァレンシュタインには絶対に〝失敗〟をさせないって約束する。俺は……俺たちは、そのためにここにいる。だから――」
知らず、固く握った手を開いて彼は無数の軌跡が輝く空を見上げた。
「ここでのことを忘れてしまうとしても、心のどこかできっと覚えていてくれ」
「え……?」
彼の視線につられるようにアーティアもまた空を見上げた瞬間、世界が霞んでいく感覚に襲われて、困惑の声が漏れる。
――なに、これ? 消えていく……世界が遠くなって――。
「待ってよ……勇、輝……」
次第に閉ざされていく視界の中で、迷子が親を求めるように伸ばした手が優しい温もりに包まれたと感じた瞬間。
「強くなってくれ。あの日の俺たちよりも……これ以上繰り返さないで、未来を掴めるように」
もう見えない世界の中に反響するその声の主が哀しげに微笑む顔が見えた気がした。




