第四章《心の奏剣》 5
「これでよし。後は、こいつらを起こしてアティたちの行方を聞くだけだ。だから落ち着けよ勇輝」
マレウスとフレグス、ニェウの三人を縛り上げてアルダレスは勇輝の肩を叩いた。
「わかってます。わかってるけど……!」
焦燥の念も手伝って、勇輝は師の手を振り払うように離れた。激情にも似たその意思を感じたのか、まだ手に顕現させていた聖剣が一際輝いた。
「気持ちはわかるが、冷静になれ。気づいていないかもしれないが、お前重傷なんだぞ。響鳴の効果が切れたら身動きだってできなくなるほどな。だから少しでも休んで――」
「休んでなんていられませんよ! アティはこんな……人の心まで歪めるような人に連れてかれたんだ。すぐにでも助けないと」
雑技団の人間は今この場で縛られている三人を除いて、全員がニェウの精神同調による洗脳を受けていた。
ニェウの意識が途絶えたことによって正気を取り戻した彼らは、自分がどうしてこんなことに加担していたのかもわからずに混乱していたほどだ。
「それにあの人は、アティのことを殺しても構わないって言っていた。あの時はここで殺す気はないって思ったから戦うこともできたけど、彼らが目的を果たしたらアティは殺されるかもしれないんですよ!?」
「……」
日頃の達観したような冷静さを欠く弟子の様子に呆れたような吐息を漏らしてアルダレスは肩を竦めた。
「それなら、なおさらこの人たちからアントニオの行方を聞き出すべきだよ勇輝」
「ジュリオ、お前まで――」
アルダレスの代わりに自分を諭すジュリオを睨み付けるように振り返り、勇輝はすぐに口をつぐんだ。
「闇雲に出て行っても二人が見つかる可能性は低いし、時間の無駄だ。それなら少し時間を使ってでも探す場所を割り出した方が早いよ」
ジュリオの瞳は勇輝と同じように激しく波打つ感情を宿している。兄弟のように育ってきたアーティアを連れ去られたのだから当然だが、それでもなお力強いその眼に圧されるようにして、勇輝は僅かに冷静さを取り戻した。
「……悪い。一人で先走りすぎてた。だけど、このことに関しては誰に言われたって待っていられない。胸がざわつくんだよ」
逸る鼓動を押さえつけるようにその手で胸元を押さえつける。その様子を見てジュリオは同調するように頷いた。
「わかってる。だから時間は取らせない……すぐに起こして、すぐに吐いてもらう。僕だって今すぐにでも追いかけていきたいんだから」
そう言ったジュリオの動きは迅速だった。
三人の中で最も口が軽そうな――この場合はアントニオに対する忠誠が最も薄いという意味だ――ニェウに目星をつけ、気付けの薬を喉の奥に押し込んだ。独特の臭気と焼けるような喉の痛みにむせ返るニェウの髪を引っ張り上げて、その眼前に銃口を突きつける。
「起きてすぐのところ悪いけど、一つだけ聞きたいことがあるんだ。わかっているとは思うけど、答えないのは許さない。今の僕たちはあなたにどんな残酷なこともできるんだって覚えておいて」
「……ハン。青臭いガキがイッチョ前に尋問かい? アタシが聞かれたことに正直に答えるとでも思ってんノ?」
人を小馬鹿にしたように鼻で笑うニェウの態度に、ジュリオの指が引き金をわずかに動かす。その衝動を抑えるように深く呼吸をして、彼は感情を殺した声で続けた。
「それなら、言わなくてもいいさ。こっちで候補を挙げていってあなたの反応を見るよ。たしか、間に合わなければ出航するって言ってたよね。なら、行先は少なくとも港じゃなのか?」
「ハ。そいつは――」
恐らくは悪態をつこうとしていたのだろうニェウの言葉はそれ以上続かなかった。
ただ彼女の最後の声に代わって聞こえてきたのは高い風切り音と、柔らかく厚みのある肉に質量が刺さる鈍い音だ。
「な、に……!?」
驚愕の声をあげたのは誰だったか。目の前で起こったことがあまりにも唐突すぎて、一瞬の間、勇輝は瞬きを忘れた。
勇輝の視線の先、たった今まで焦燥に駆られながらも見下ろしていた彼女の喉元に一本の矢が刺さっている。
――ニェウが、殺された? 誰に?
疑う余地もなく即死だった。
「くそっ! 誰が――」
周囲を見渡しても射手の姿はない。少なくとも勇輝やアルダレスが察知できる距離を超えて精密な矢を射った敵の力量に勇輝は戦慄を覚えた。
「ニェウが……まずい! 団長、そっちの二人を!」
「駄目だ。こっちも殺られてる」
焦った声をあげるジュリオに頭を振って、アルダレスは力なく横たわるマレウスとフレグスを見下ろした。二人の胸にも致命の原因となった矢が突き立っている。
「こいつは随分と冷静な奴だ。仮に俺たち自身を狙って来れば殺気に対して反応もできただろうが、アントニオの後を追わせないための口封じに徹したな。十中八九、犯人はもう逃げているだろうな」
「そんな……唯一の手がかりなのに!」
ジュリオの口からそんな悲鳴があがる。
三人が死んだことで、彼らの集合場所が本当に港だったのか、そして海路でどこを目指すつもりなのか、それが闇の中へと消えてしまったのだ。
「っ! アティ……」
打ちひしがれるジュリオを横目に、勇輝はアントニオたちを追うために走り出す。
――港……西に行けばアティナスっていう港町があったはずだ。きっとそこに――。
「あ……」
吐息のようにか細い声は自分の物か。信じがたいその事実を確かめる術もなく、勇輝の視界は次第に暗くなり、固い地面が急速に近づいてくる。
――待ってくれ、まだ、もう少し……。
今度こそ本当に限界が来たのだ、と。それを理解した瞬間、勇輝の意識は自力では抗えない強い力に引かれるように重く沈んでいく。
「待、て……アティ」
意識が途切れる直前、誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
+ + + + + + + + + + + + + + + + +
「……」
巨大な天幕の外に広がる茫漠とした闇の中を、その人影は音もなく駆け抜けていた。
「……」
ただ一人の隠密行動だから、というわけでもないが走る彼は一言も発しない。滅多なことでは言葉を口にしないことから仲間が自分のことを『不動』という二つ名で呼んでいることを彼は知っていた。
天の星団。その頭格たる四人――星団四冠の一人、ダン=モーレルはそれほどに寡黙であり、その在り方に付随する印象の通り実直な男だった。
今宵、彼に与えられた任務はこなした。此度の作戦の詳細な事情を知るままに捕虜となった三人を背に負った弓で始末し、最低限の情報漏洩は阻止したのだから。
ダンに与えられた役割はそれだけ。本当に単純な仕事だった。
万が一にも敵に情報が漏れるよう事態になれば、その要因を排除し、計画を円滑に進めること。それが今回彼に与えられた役割だ。
――もっとも、あのまま粘れば奴らの内一人程度は始末できたかもしれないが。
内心でそう思いながらも、ダンがそれを実行することは決してない。かもしれないなどという仮定の言葉が確信に変わらない以上、彼が行動を起こすことはあり得ない。
『不動』のダンとは寡黙にして実直、そして絶対的な堅実さを持つ巌のような精神を持つ男なのだ。
――それにしても、港と言っていたな。奴らがそう確信しているならば、裏をかいて陸路を使わせた方が確実か。
常人離れした聴覚で聞き取った栗色の髪をした少年の言葉を思い返し、ダンは道を行く足を速めた。
港と聞いてこの界隈の町人が真っ先に思い浮かべるのは西にある港町アティナスだろう。
アントニオたちが本来予定していた港はアティナスとは見当違いな方角にある寂れた漁村の粗末なもので、普通に考えれば追い付かれることもないだろうが、万が一ということもある。
――もっとも、奴は大丈夫だと言うのだろうが。
星団四冠の中で最も智謀に長ける一方で同じだけの慢心を持ち合わせるアントニオが根拠のない地震で反対するだろうことを想像し、ダンは静かに嘆息する。
日頃から寡黙な彼にとって説得の為であろうと口を開くのは非常に億劫なことであり、それが密かに矜持の高い男を窘めるというならばなおさらなことだ。
――だが、それだけの価値はあるだろうな……ラティス・マグナ。あの力は脅威だ。
ニェウの操る改造獣魔の力はダンも知っている。その力があれば近衛騎士団に所属する騎士であっても中隊程度はものの数分で壊滅できるだけの力を持っていたはずだ。
それをたったの一撃で、塵一つ残さずに消滅させたあの光。何物も抗うことを許さないその力を思い出してダンは鳥肌が立つ己の腕を擦った。
――早く、本拠へと戻らなければ。あそこならば、いかなラティス・マグナとて迂闊に手は出せないはず。いや、何者であろうとも軽挙な行動はとれないのだから。
半ば祈るように胸中で繰り返し、寡黙な暗殺者の姿は足音も立てずに夜の闇へと溶けていった。




