第四章《心の奏剣》 4
「これなら、まだ戦える」
呟いて手を握り、開く。
身体に響鳴現象の恩恵が息づいているのがわかる。それでいて、これまでとは違い身体の中の響素を完全に制御できているということも。
確実に戦える時間が増したことを確信しながら視線をニェウへと向ければ、奏術の余波を受けて倒れた巨体が起き上がり、憤怒の眼差しで勇輝を見下ろしていた。
《勇者ノ奏術……聖奏術ってヤツかい? ソーユーご都合主義はメンドーで気に入らないネェ!》
吐き捨てるように叫んで夜色の巨体が迫る。
「ご都合主義か……そうかもしれないけど、さぁ!」
振り下ろされる鋭い爪を聖剣で迎え撃つ。俊敏な獣の動きを凌駕した剣閃は鋼鉄よりも固いであろうその爪を容易く断ち切り、その根元である肉すらも斬り裂いた。
《ぐぅっ!? コイツ……こうなったら、奥の手を使うしかナイみたいだネ……ガァァ!》
「何っ!?」
苦いものを含んだ口調でニェウが唸り、何を思ったのか傷を負った自らの腕に食らいついた。
《アグ、アン、ウム》
ただ傷に噛みついているわけではないことは一目でわかる。目の前の獣魔は自分の身体を咀嚼して――食っていた。その光景の不気味さに勇輝は思わず動きを止めた。
《ア、アァ、ング。ン、GAAAAAAA!》
肉を噛むたびにニェウの理性が宿っていた瞳に狂気が紛れ込んでいく。
そして、不可解な現象はそれだけでは終わらない。
《GURUAA!》
アルダレスたちを襲っていた獣魔たちがニェウに喚ばれたように集まってきては狂気にまみれた獣に食われていく。一匹、また一匹と同類を喰らいながらその獣魔は姿を変えていく。
元々十分な禍々しさを誇っていた金色の瞳は見る者に恐怖を抱かせるような赤に染まり、不可思議な発光をする体毛が鋭く逆立った。身体つきは二回りほど大きくなり、それでいて熊から狼へと変質したようにシャープな体型になっている。
《AAAAAA! GYAAA!》
まるで断末魔かと思うほどに一際大きな叫び声があがり、その場には静寂が戻った。
食い散らされ、投げ棄てられたいくつもの死骸から血煙があがり、視界を赤く染める。魔物が生み出す瘴気の結界と見紛う景色の中で、変貌した獣魔の瞳が爛と瞬いた。
「……まさか、ヴォルガの枷を外さなきゃならないなんてね。少し予想外だわ」
「誰――いや、あなたがニェウだな?」
突然聞こえた女性特有の高さを持った肉声に視線を投じれば、姿を変えた獣魔のすぐ隣に女性が一人立っていた。
赤い霧の中にあってなおその色を主張する、艶のないブロンドの髪。まともな手入れもされずに伸ばしきりなのであろうその前髪の向こうに鋭い敵意と苛立ちを宿した緑の瞳が細められている。
「ええ、はじめまして勇者のボウヤ。短い付き合いだろうけど名乗っておくよ。ニェウ=サンドライト。正真正銘、凄腕の獣魔使い(ビーストテイマー)だよ」
大仰に手を開き、唸り声をあげる獣魔の頭を叩く。触れられた獣魔は彼女に襲い掛かるでもなく、ただ身の毛もよだつような唸り声をあげ続けているだけだった。
「……あなたが本物のニェウだというなら――」
「どうしてわざわざ姿を現したか? まあ、ヴォルガと同調しているなら隠れたまんまなぶり殺しにするのが一番楽ではあったんだけどね……それじゃあ、今のボウヤは倒せないだろ?」
嘲るような声で言った後、ニェウは徐にナイフを取り出してその刃を握った。裂けた肉から血が滴り、獣魔の赤い瞳へと点眼される。
その直後、獣魔――ヴォルガの体毛が色を変えた。夜色の光ともいうべき発光をしていた毛並みは赤黒く染まり、死を連想させるような無数の刃に変質する。
「このヴォルガは改造獣魔ってやつでね。私が近くにいて、私の血を与えることで本来の力を取り戻すのさ。こうなると遠隔同調はできなくなるけど、その分は客観的に戦況を見ながら操作すればいい。そういうことだよ」
嗜虐的な笑みを浮かべてニェウはヴォルガ一歩離れた。主人によって枷が外されたように、赤く染まった獣魔は四肢を膨らませる。
《ッ!》
その瞬間、爆音が鼓膜を震わせた。ヴォルガが立っていた地面は局所的に陥没し、浅くない亀裂が蜘蛛の巣のように広がっている。
ただの踏み込みと踏み出しがこれだけの災厄を生むその膂力。それを理解しながら勇輝はゆっくりとその視線を上向けた。
「速い……でも、まだ見えてる」
宙を舞う巨体が赤い瞳を輝かせている。並の人間には――おそらくはジュリオたちでも――忽然と消えたとしか思えない速度で跳躍したヴォルガの姿を勇輝は確実に捉えていた。
「ハ! 余裕のつもりかい!」
「余裕なんてないさ。ただ、それでもやらなきゃならないから……やるんだ」
深く息を吐いて、勇輝は聖剣を構えた。その重さのままに自由落下してくるヴォルガの眼を見据えて、振り上げる。
「はぁ――!」
交差する瞬間に一閃が奔る。互いに敵手の命を狙った一撃はしかし、それぞれが魔的とでも呼ぶべき反射神経で紙一重に抑えていた。
「まだっ!」
続く剣閃。しかしこれも、獣の領分を超えた動きでヴォルガに躱される。剣圧による傷すら厭わしそうに離れたヴォルガは勇輝の力に脅威を嗅ぎ取ったのか、忌々しそうに唸った。
「っ! 手強いな。こっちはそれほど時間もかけていられないってのに……こうなったら」
赤き獣魔に剣気による牽制を与えつつ、勇輝は周囲の状況を確認した。
――無力化されて倒れている雑技団の人間が24人。立っているのは団長とジュリオ、ニェウの三人。他の人間は……いないな。
「……よし、やるか」
一言、自らに気合を入れて勇輝は聖剣を目の前の地面に突き立てた。
《VU!?》
「なんのつもりだい?」
当然のごとくヴォルガとニェウは当惑し、警戒する。それに構うことなく、勇輝は静かに意識を集中した。
「みんなを護るぞ。アストネリア、力を貸せ」
呼びかけに応えるように聖剣に集束された響素が迸り、勇輝の指先に七色の光が宿る。その手を、本を開くように振り払い、流麗な五線譜を創り出した。
「――あらゆる悪意、あらゆる力を遮る光
―――世界に満ちる優しい光を求める
―――我が愛しくも大切な者たちを守護する光よ」
――この奏術なら、みんなを護れる。
心に湧いた確信を胸にしたまま力を込めると、魔法陣を連想させる五線譜が輝きを増した。
「――集え、全てを護る光の意思 (シャイニング・シールド)!」
叫んだ刹那、ヴォルガ以外の全ての存在を眩しい光の膜が包み込んだ。
「これ――」
「勇輝の聖奏術か……」
自らを包む光に触れて、ジュリオとアルダレスが驚嘆の吐息を吐く。
二人の驚愕は無理からぬことで、僅かな詠節で紡ぎだされたこの奏術はどれだけ低く見積もっても第五響階――高位の奏術に匹敵するだけの力があった。
「あとは、こいつを片付ける!」
防護の奏術が機能していることを確認して勇輝が再び意識を集中させると、溢れ出る響光が勇輝の身体から立ち上っていく。
「―――星の光は槍へと変現して地上にありし咎人に裁きの罪科を与えん」
静かに音を紡ぎながら勇輝はその掌を天に向けた。力を求め、受け取るように広げられたその手に輝く光の槍が顕現していく。
――長引かせる気はない……一撃で決める!
護るべきものは全て光盾が覆っており、今放とうとしている奏術が獣魔以外の存在を傷つけることはない。そう確信して、勇輝はありったけの力を込めてその名を叫んだ。
「――貫け、星光の擲槍 (スターライト・スピア)!」
動作はまるで野球選手の全力投球。しかし、その手から放たれたのは白球などではなく、そもそもその名が示すような槍ですらなかった。
《HA――》
「は――」
感覚が同調している為か、呆けた声を同時にあげるニェウとヴォルガ。その声すら置き去りにする速度で、それは埒外の化生に襲い掛かった。
――それはただ一条の光。
圧倒的な光の奔流が極大の光線となって赤く染まった獣魔を、それが存在していた空間を跡形もなく灼き尽くした。
後には何も残らない。あらかじめ聖奏術で護られていた人間や、テントの内壁は傷一つついていないが、先程までヴォルガが立っていた地面も赤い獣魔も、そこになにかが存在していた名残は文字通り塵一つ残っていなかった。
「これが俺の奏術……こんな威力」
荷電粒子の特性を帯びて、対消滅さえ引き起こしたその威力に声を震わせながら勇輝は自らの掌を獣魔よりも不吉なもののように感じながら見つめた。
ただ、見つめることしかできなかった。




