第四章《心の奏剣》 3
一瞬で距離を零にして、すれ違いざまに聖剣を振り抜けた。
感じたのはガラスを叩き割ったような固い感覚と衝撃を受けて痺れる指先の感覚。そして何よりも肉体が己の意思に追従しきれていない事実。
――響鳴を使っても、ここまで鈍いか――!
足が踏み出すその一歩に、剣を振るその一閃ごとに肺を焼くような痛みが胸を逆流し、気を狂わさんとばかりに脳髄を沸騰させる。
どれだけ響鳴が強力な手札であろうとも、今それを使用する勇輝の肉体が限界を訴えている以上、その力を十全に発揮することは敵わない。
「それでも――!」
気焔を纏って再度踏み出す。多少動きが鈍くとも、今の勇輝の戦闘能力は驚嘆すべきものだ。
抱えた時限爆弾が爆発する前に目の前の敵を倒して、大切な少女を取り戻す。その一念のみで勇輝は身体が訴える辛苦を飲み下していた。
《速っ! ホントにニンゲンなの、ボウヤ!?》
ニェウの言葉に滲む驚愕にかまけている余裕はない。今この一瞬、敵を圧倒している事実だけを認識して、勇輝は一気呵成に攻め立てた。
「おおおおっ!」
一閃、二閃、三閃と無限に斬撃を重ねていく。例えその剛腕で攻撃を防いでも、二の太刀、三の太刀がより深くまで傷をえぐる。
だがそれも燃え尽きる前の最後の炎に過ぎないことは勇輝自身――おそらくは眼前の獣魔も正確に理解していた。
冷静に見ることができる者なら、勇輝の斬撃は粗だらけであり、なおかつ負傷の影響でキレもないことをたやすく見抜くだろう。
そして、この敵はそれだけの眼力を有しているはずだと勇輝は確信する。時間と共に鈍重になっていく勇輝を見つめる夜色の獣の眼は獲物に毒が回るのを待つ蛇を彷彿とさせるからだ。
――それがわかっていても、これ以外の武器は俺にない!
自分の心が折れぬように言い聞かせ、愚直に剣を振り続ける。この局面を打破するだけの体力も経験も何もかもが勇輝には足りていなかった。
そうしてどれだけの間、攻撃を続けていただろう。数百、いや数千かもしれないが、無数の軌跡をその剣で描いていた勇輝の身体に必然の結果が襲い掛かった。
「くそ、まだ――あ、ぐあああ!」
全身から今までにないほどの夥しい量の鮮血を噴き上げる。不浄を遮る聖なる白衣に包まれた腕が、足が、瞬く間に真紅に染まっていく。
――響鳴の、反動。こんなに、早く……。
更なる激痛に意識を焼かれながら、自らの血によって赤くなった視界をあげると圧倒的な暴力の象徴が文字通り目と鼻の先に迫っていた。
「っ! ぐ……」
地面に体当たりをする勢いで倒れこみ、致命傷を回避する。躱しきれずに爪に触れた右肩からまた鮮血が飛び散った。
一瞬の後に返す獣魔の左腕がその身に届くよりも早く地を転がってその場を離れた勇輝は、三半規管が訴える吐き気を飲み下しながら血が止まらない右肩を抑えた。
――ヤバい。このままだとほっといても出血で死ぬ。いや、その前に殺されるか……。
死神に足というものがあるならば、その足音はすぐ後ろに響いている。そんな錯覚に反抗するように勇輝は奥歯を強く噛み締めた。
まだ死ねない。朝凪勇輝という命はまだ死ぬことを許されてはいないと心が訴えるから、肩に置かれた死神の手を造作に振り払ってみせるのだと勇輝は強く思い描いた。
「……アティを取り戻す。サーベラスの皆を護る。その為には――」
願望は一つではなく、そしてその一つ一つは決して小さくない。その願いを叶える為に必要なものは――それは。
――――そう。それが本当の始まり。苦難の物語を行く″俺たち″の最初の誓い。
「え?」
不意に手にした聖剣から伝わってきた想いに呆けた声が漏れる。耳朶ではなく意識に直接語りかけてくるようなその声は勇輝自身のそれとよく似ていた。
敵意はない。それどころか、その意思は今の勇輝が必要とする力へと導いてくれる。
理屈ではない感覚でそれを理解した瞬間、勇輝の心は凪いだ水面のように静まり返った。
――――本当に力が欲しいなら、その誓いを高らかに唄え。誓いの言葉は……わかるよな。
「……わかる。俺は、″知っている″」
確信を込めたその声に頷いて、勇輝は強く大地を踏みしめた。腕を伝う流血の感触すらも忘れて、その双眸で眼前の敵を睨み付ける。
ニェウの操る獣魔は襲ってこない。劣勢にありながら強い意志を感じさせるその瞳に警戒しているのだろう。しかしその眼には隙あらば確実に獲物を仕留める獣の本能も宿っていた。
次に一撃でももらえば自分の命はない。それを理解しながらも落ち着いた気持ちで勇輝はその言葉を音にして響かせ始めた。
―――――夢を見ていた。
未だ生まれぬ者が見る夢。生まれ出ずるその時を、祈るように夢見る夢を」
高まった精神が心の中の何かを開いた感覚を覚えた瞬間、勇輝の指先に燐光が灯る。
「……なんだ?」
「これ、勇輝?」
声は次第にマイクを通したような響きを伴い、囁くような声量だというのに離れた位置で戦うアルダレスやジュリオの許へと届く。
―――――夢を見ていた。
生まれて知った悲しい夢。物語のような幸せを、祈るように夢見る夢を。
詠うように、謡うように、謳うように、願いを象徴するかのような温かくも悲しい色を帯びた旋律が、世界に満ちる。
空を躍る指先は淡く輝き、残光の線が響を奏でる陣となった。
《奏術だっって!? やらせるモンか!》
獣の本能が脅威を嗅ぎ取ったのか、泡を食った様子でニェウが迫る。その姿を軽く一瞥して、手にした剣を投げつけると詠節によって生まれた力を伴う響光が獣魔の姿を押し返した。
――これが、奏術!
聖剣が伝えるまま、心が命じるままに響音を紡いで願いを奏でる。光線を引く指の間から、響素が響光となって譜に踊る。
―――――世界の声を聞いていた。
想いが満ちた世界の声。守る力を与えてくれる、優しい唄を紡ぐ声を。
アルダレスの言葉が脳裏をよぎる。
―――お前が願う力の形を思い描け。その心が、お前の願いを叶えてくれるはずだ。
彼の助言に従うままに心に浮かぶ旋律を、その祝詞を紡ぎ奏でる。
―――――今、ここに因果は集い、我が夢、我が唄声は……全てを護る剣を紡ぐ。
高まった力と共に描かれた五線譜の陣が集束していく。天と地を貫くように現れた一条の光に手を伸ばし、勇輝はその力を開放する鍵となる言葉を叫んだ。
「――響け、全てを護る我が心の奏剣 (アレス・ラティス・マグナ)!」
鞘から剣を抜いたような感覚が手に伝わる。
輝きの内に存在する確かな質量に目を凝らせば、そこには響素の光を刀身に奔らせた白い剣の姿があった。
「これが……本当の聖剣。聖剣アストネリア」
今この瞬間、勇輝には本当の意味で聖剣の主に選ばれたという自覚がある。
剣から伝うように勇輝の身体へと流れ込む七色の響光。
その光は主の覚醒を祝福するように涼やかな音を響かせ続けていた。




