第四章《心の奏剣》 2
油断なく銃口を相手の正中に合わせて向けたまま、ジュリオはフレグスという名前らしい少年の様子に毒気を抜かれていた。
「ひぅっ!? ちょっと、そんなもの向けないでよ!」
「そんなものって……怖いなら、こんなこと止めたらいいじゃないか」
小動物のように怯える少年の言葉に呆れながらも銃は下ろさずにジュリオはやんわりと呼びかけた。
「今ならまだ手荒な真似をしなくて済むよ。だからさ――」
「……できないよ。それだけは、義父さんの期待を裏切るような真似は絶対にできない!」
ジュリオの言葉を遮った少年の言葉はまるで親とはぐれた子供のようで、その怯えた態度と相まって益々幼い印象を与えてくる。
「そんなことしたら、僕は今度こそ独りぼっちになる。そんなの……そんなの嫌だ!」
駄々をこねる子供のように叫んで、フレグスは深く息を吸い込んだ。その行動にジュリオが訝しんだ一瞬の後、怯えた少年の顔から表情の一切が消え失せる。
「え? ちょっと――!」
困惑の声をあげるよりも早く、首筋を駆けあがってくる悪寒に従ってジュリオは勢いよくその場を飛び退いた。
その刹那、反瞬前までジュリオが立っていた空間を刃物のような蹴りが通り過ぎる。
――なんて速度……!
僅か一瞬でも躊躇していたら、自分の身体は容易く蹴り折られていただろう。樹林を薙ぎ倒す豪風を連想させるフレグスの力にジュリオの背中を冷たい汗が伝った。
「……無理なのはわかってるけど、もう少し穏便にいかない?」
「――!」
口の端を引き攣らせながら提案するジュリオの言葉を聞く気がないのか、あるいは既に聞こえていないのか、寡黙な狂戦士と化したフレグスは返答の代わりに無慈悲な足刀蹴りを繰り出してくる。
その威力たるや尋常のものにあらず。迂闊に受けようものなら勢いで骨の一本は持っていかれるだろう。
「くっそぉ、問答無用か!」
悪態をつきながらも身を翻して攻撃をいなし、動きの止まったフレグスに向けて引き金を引いた。
人を害する目的に造られたとは思えない音色を響かせながら銃が響光の弾丸を射出する。
その冷涼な音さえ置き去りにする速度で進む光弾は、それでもフレグスを捉えることが敵わなかった。
――この距離で躱された!?
あまりにも非現実的な現象を前にして、驚愕を顔にはりつけながらもジュリオの動きは止まらない。気を落ち着けるように左手を銃把に添えてもう一度照準を合わせる。
再び響く銃撃音。
今度こそ正確な狙いによって放たれた銃弾はしかし、またも人外の速力で移動する狂戦士には掠りもしない。
「撃たれてから避けるなんて、勇輝じゃないんだから――!」
愚痴とも驚嘆ともとれる悲鳴をあげてジュリオは一歩後退する。それを隙と見たのかフレグスは進行方向を変え、暴力的な速さで突進してきた。
――かかった!
千載一隅の勝機に思わず口許が緩む。どれだけ早く動き、銃弾を躱す相手であろうと十分な加速の中で唐突な方向転換などできようはずもない。
――それに直線の動きなら、読める……今!
一瞬で肉薄するフレグスを更に引きつけ、最早回避などできないタイミングで半身の陰に隠していた刀身の生えた銃を彼の足目掛けて振り上げる。
タイミングは完璧だった。加えてこういった置き型の戦法は能力の高さに比例して敵に小さくないダメージを与える!
その刹那、ジュリオは確かに自らの勝利を確信していた。例え彼でなく、あのアルダレスであったとしても同じように拳を握りしめたかもしれない。
衝撃がジュリオの身体を襲う。
振り上げた腕に伝わる衝撃と、慣性に従うフレグスの身体がぶつかる衝撃。それを受け止めるために身構えていたジュリオは、喉元を遡ってくる熱い感覚に困惑した。
「……え、ぐふ」
気付けば、天幕の明かりを見上げている自分がいた。
足が踏みしめているはずの大地の感触はなく、ただ逆流した胃の内容物で窒息しないように必死に飲み下した瞬間に背中を強い衝撃が襲い、むせ返る。
――なにが、起こったの?
自分が吹き飛ばされたのはすぐに理解できた。しかし、それほどまでの衝撃に襲われる要素など今の攻防には――。
「まさ、か……」
遅ればせながらに激痛を訴えてくる腹部を抑えながら立ち上がると、同じように倒れ伏しているはずのフレグスが五体満足のまま、感情を失った一対の瞳でジュリオのことを見ていた。
――無傷……というか、あの一瞬でさらに加速した? そんなのもう人間のレベルじゃない。
実際に見えたわけではない。しかし、そうとしか思えないフレグスの実力に目の前が暗くなる心境をジュリオは味わった。
――捕捉できない速さなんて、銃の天敵じゃないか……何か、付け入る隙はないのか?
得物である響力銃の本領が発揮できない現状を噛み締めて、ジュリオは気持ちを落ち着ける意味も込めて現状を整理する。
まず問題となるのはあの速度だ。文字通り、眼にも留まらぬ速さ――別の時間を生きていると錯覚する動きなど、勇輝が扱う響鳴のようなイカサマでもない限り、人の力では不可能だ。
加えてフレグスの身体つき。足回りに特化した鍛え方をしているようだが、全体的に薄く細身だ。鍛え上げられた足技を受け続ければ致命打をもらう危険性こそあるが、少なくとも人外の加速力を誇る馬力などは見出だせない。
つまり、導き出される答えは――。
――彼の身体能力もすごいけど、多分奏術が発動してるんだ。
以前戦ったフリミングのことを思い出す。奏術を単一の武器としてではなく戦術に組み込んだ手段として扱う発想。
目の前の少年はそれを編みだし十全に扱えるだけのセンスを持った戦士なのだとジュリオは理解した。
――それでも、詳しいタネがわからなきゃ対処のしようがない……厳しいけど、ここは観察だな。
覚悟を決め、ジュリオが僅かに上体を沈めた刹那、フレグスもまた動き出した。
――やっぱり速い!
神速を超える速度。文字通り目にも止まらない風となって襲い来る衝撃に対して、ジュリオは限界まで目を見開きながら身構える。
頭を庇う腕に強い衝撃。
「――っ! きっつ……けど、耐えて見せる!」
馬に蹴られたと錯覚するほどの衝撃に僅かに体を吹き飛ばされながら、それでもジュリオは獰猛に笑って見せた
「我慢強さも僕の持ち味だ。そのカラクリ――突破口を暴かせてもらうよ!」
「――」
その言葉に反応したというわけでもないだろうが、フレグスの動きが一瞬だけ止まった。
感情のない瞳がジュリオの真意を量るように映し出して――。
「ぐっ!?」
瞬きをしたコンマ数秒の間に接近したフレグスによって蹴り飛ばされた。すかさず姿勢を持ち直し、地を踏みしめると間髪を入れずに次の蹴撃がジュリオを襲う。
「このっ――」
誘うように生じた隙目掛けて銃剣を薙ぐも次の瞬間にはフレグスの身体は掻き消えたようにその場を離れている。
刺すようなヒットアンドアウェイ。しかし、その一撃はことごとくが重く、着実にジュリオの余裕と体力を奪っていく。
――このまま耐え続けて、一……いや二分か。その程度しか保ちそうもないな。考えろ。考えるんだ。
過去に相対したフリミングの戦法、奏術の応用、フレグスの体術特性。この超速の要因を紐解くだけの材料は既に手元に揃っているはずだ。
――考えろ。速く走るために必要なものは……足元!
脳裏に閃きが奔った刹那、ジュリオは躊躇うことなく実体のない銃弾を撃ち出した。
「――」
しかし、そこに描かれるのは先程の光景の焼返し。響光の弾はフレグスに届くことはない。
――しかし。
「なるほど。わかっちゃえばどうってことない仕掛けだね」
口許を緩めながらジュリオが視線を向けていたのは飛び退いたフレグスのその足元――〝銃撃を受けた振動を残して震え続ける〟土の床だ。
「緑色系統の奏術かな? 例のごとく、無詠節の奏術――多分、大地の剣 (グランダ・フラーケ)の不活性を利用したものなんだろうけど、土でできたトランポリンなんて雑技団らしい考えだよね」
手品のタネを口に出しながら同時にジュリオの左手が宙をなぞる。その指先に青い光を従えて描くのは確かな力を感じさせる五線譜だ。
「――そして、その程度なら僕も第一響階以前の奏術でなんとかできる」
その言葉を鍵としたように。
名前はない、技術としての奏術らしさすらも存在しない意味だけを持った力が発動する。
――勇輝の奏術を見ておいてよかった。
その力故に単なる灯りの領域を超えた威力を見せた勇者の力。あれを目の当たりにしたからこそ、体系化された奏術でなくとも戦闘には利用できるとジュリオは直感した。
これはその使い方のほんの一例だ。
「――!」
フレグスが跳ねるように地を蹴り出す。その姿はまさしく野生の獣を彷彿とさせ、一足にて音へと迫る速さをその身に与えるはずだ。
そのはずだったが――。
「――!?」
その瞬間、無感動を貫いていたフレグスの顔に確かに同様の色が現れた。全力の走り出しにも関わらず、先程までのスピードを得られていないからだろう。
「そりゃ、そこまで地面が泥濘んでたらバネだってなくなるよね」
ジュリオの言葉が示す通り、フレグスの足元――正しく言うならば彼が行動する範囲全ての大地が泥濘へと変じている。
ジュリオの青色系統奏術が大量の水分を地面に吸わせ、フレグスの奏術によって発揮される弾力を失ったその大地はむしろその加速力を奪う土壌へと性質を変えていた。
「あと、これもおまけだ!」
指揮棒のように立てた指を突きつけ叫ぶと、フレグスの行く手に何層もの水の膜が形成された。突然のことに方向変換さえ出来ずにフレグスはその水膜へと突進する。
一枚、また一枚と水膜が破られ、その都度フレグスの速度が目に見えて減衰していく。
「ここまで遅くなれば、捉えられる!」
「――うぁ」
確信をもって放たれた銃弾が今度こそフレグスの肉体を補足した。実体を持たず、しかしそれ故に敵を確実に無力化するだけの衝撃が神速の少年を襲い、呻きの声を漏らさせる。
「とう、さん……ごめん」
意識が途切れ、倒れ落ちる寸前に涙を浮かべたフレグスの姿にジュリオは苦いものを感じて唇を噛んだ。
「こんなことを子供にさせる父親なんて……」
呟いた言葉聞きとがめる者はいない。同意も否定もされない独り言を苛立ち交じりに吐いた後、ジュリオは頭を振って雑念を払った。
「そうだ。そんあことより今は――」
『GUAOOOO!』
生存本能に警鐘を鳴らさせるような咆哮に振り返る。その視線の先に天幕の外へと目指して駆ける獣魔の姿を見とめて、ジュリオは思わず息を呑んだ。
あの獣魔を行かせてしまえば、避難させた人たちに被害が及ぶ。
「く……こっちも怪我だらけだっていうのに、一息つく暇もないのかっ!」
悪態と共に愚痴を吐き捨てて、ジュリオは目の前の脅威へと走り出した。




