第四章《心の奏剣》 1
甲高い金属音が鼓膜を打つ。
既に十合を超える剣戟はそのことごとくが拮抗し、マレウスという名で呼ばれていた男はその実力をアルダレスに思い知らせた。
――拳闘のリーチでここまでやるのか。正直、厄介だが……。
斧槍を一閃し、彼我の距離を開くとアルダレスは頬を伝う汗を拭った。
「――汝は我が刃なり」
左頬を擦った指の先に銀色の光を奔らせてアルダレスは詠奏する。紡がれる詠節は銀色系統の初歩、第一響階の奏術だ。
「――高らかに唄え、響刃の風 (エッジ・ロア)!」
言葉を刃として斬りつけるように発せられたアルダレスの声と共に、銀色の響光がマレウスへと襲い掛かる。
褐色の男は迫りくる脅威を冷めた瞳で眺め――
「……フ」
一笑に付して、その力を殴り飛ばした。
「なんだと!?」
驚愕にアルダレスは目を見開き、追撃をかけようとしていた身体を押しとどめる。
「奏術か……たしかに使いこなせるならば有用な武器ともなろうが、この程度では水を差すだけ無粋というものだな」
「無粋だと?」
突然口を開いたマレウスに対して、あからさまな隙を見せるアルダレスに仕掛けるでもなく、赤く焼けた男は真顔のまま頷いた。
「数合の打ち合いで理解した。貴様も俺と同じ戦士だ。なればこそ、わかるだろう? 本来、俺や貴様のような戦士は信念によって磨き上げてきた技芸だけがあれば良い」
腕甲に覆われた右手を握りしめて、マレウスは挑発するようにその拳を突き出した。
「彫刻家が、画家が、音楽家が、それぞれの技術で己を表現するのと同じように、俺たちはこの闘技で、命を懸けて自分というものを完成させる。そこに中途半端なまやかしなどは必要ない!」
強い語調で言い切ってマレウスは地を蹴った。一瞬で距離を詰めたその拳がアルダレスの急所を射抜かんと迫り来る。
一拍遅れて、固いものが肉を叩く鈍い音が響いた。
「……なるほど。たしかに俺は少々無粋だったようだ」
マレウスの拳を受け止めた左腕が訴える痛みを噛み殺してアルダレスは不遜に笑う。
マレウスの一撃を躱せなかったわけではない。
ただ、こんな戦いの中にでも自分なりの誇りを見出しているマレウスの言葉を受けて、それでもその一打を受け止められずにはいられなかったというだけの話だ。
――そう、奴の言う通り俺は戦士なんだ。どこまでも、な。
「戦士には戦士なりの誇りがある。なるほど確かにお前の言う通りだ。だからこそ解せない。それほど高潔な精神を持っていて、どうしてこの騒ぎに加担する?」
骨に異常をきたしたのであろう。痛みと共に痺れを訴える左腕を庇わずに斧槍を握りしめ、アルダレスが疑心を口にすると、マレウスの瞳に一瞬だけ後ろめたさの色がよぎった。
「貴様の言う通り、無力な人間を巻き込むやり方は俺の本意ではない。だが、俺が隊長――アントニオに受けた恩義を返すためならば、俺は鬼にも修羅にもなる」
「恩義だと?」
片眉をあげて訝しむアルダレスに目で頷いて、マレウスは深く息を吐く。その上体が深く沈み込み、折りたたむようにした脚に力を溜めながら褐色の青年は懐かしむような目で語り出した。
「もう5年は前のことだ。この肌の通り俺はヴァイグレイド出身のアミトレという片田舎を守る兵士だった」
「ヴァイグレイド……ヴァイグレイド帝国か」
ヴァイグレド帝国。ファーレシアで存在を確認されている5つの大陸の中でも最も南に位置するモルドア大陸に国領を構える大国家。
その気候ゆえに作物は他の大陸のものとは異なる生態系の上に成り立ち、過ごす人々の肌の色も強く日に焼けた褐色が特徴的だと聞く。
「アミトレは本当に小さな何もない町だった。町人は皆気さくな連中ばかりで喧嘩は日常的に起こるが決して人死にはない。そんな町だったんだ。だが、5年前のあの日にすべてが終わった」
5年前と口にした瞬間、マレウスの眉間は深い皺を刻み、尋常ならざる怯えがその瞳に宿った。
「ファーレシア全土を覆う荒廃戦争が最も無慈悲なものになっていたあの頃、アミトレの住人はクレスエント王国軍に問答無用で虐殺された。他愛のない悪戯に精を出していた子供も、それを窘めていた老婆や若衆でさえ、命乞いをさせられてから見世物のように殺された」
声色に悲痛を滲ませながらもそれを力とするようにマレウスは更に身体を沈み落とした。
「一人また一人と仲間も殺され、最後の一人となった俺は……逃げた。ただ何も考えずに、恐怖だけを背にして逃げた後に残ったのは強烈な自責の念だけだった」
「……自責、か」
自嘲するようなマレウスの言葉に対してアルダレスは小さくない共感を覚えた。 それは十年前、逃げるように騎士団を出奔した自分も抱いた――抱き続けている感情だ。
「それから先は、ありふれた話だ。食い扶持をなくした兵士は飢えで死にかけ、街道に倒れていた俺を見つけたアントニオは介抱し、こうして戦力としての役割すら与えてくれた。戦うことしかできない人間にとって、これ以上に生き返ると呼べる言葉はない」
シニカルな笑身を浮かべてマレウスは肩を揺らす。しかし、その表情が苦しみに歪んでいるようにも感じたのはアルダレスの錯覚だろうか。
「多くの人間は俺を単純だと笑うだろう。だがアントニオは俺にとって命の恩人であり、彼に対するその一念故に俺は退けない。悪いが貴様も、倒させてもらう――命をかけてでも!」
「なっ!?」
言葉の終わりは怒号とでもいうべき語調だった。気合を込めたその声と同時、溜めに溜めていた力を開放し、音に迫る速度で疾走したマレウスの拳がアルダレスの左肩を捉えた。
鈍い音が響く。
勢いを殺すことなく互いにすれ違った二つの影は当然のように一方が膝をついた。
わずか一秒にも満たない、その一瞬で敗れたのはマレウスの方だった。
「やはり、上回るか。化け物め」
「お前に言われたくない」
互いに苦い笑みを口許に浮かべて毒を吐く。一瞬のこととはいえ、死力を尽くして戦った者同士の――互いの実力を認め合った“戦友”としての奇妙な連帯感をアルダレスは確かに感じていた。
「よくも、反応したものだ。完全に不意を衝いたつもりだったが……」
「運が良かっただけだ。得物が剣だったら、今頃俺は死んでただろうな」
深く息を吐いて答えるとアルダレスは引きちぎられたように半ばから先が喪失した斧槍を叩いた。
折れた斧槍の先はマレウスの肩口に深々と刺さっている。
――本当に、なんて幸運だよ。
勝敗の因果を逆転させたのはまさにアルダレスの戦運というべきものだった。
たまたま負傷した左腕を庇わずに両手で斧槍を握っていたから、そして偶然にもマレウスの接近によって体勢を崩したことで、斧槍の柄が盾となる位置に動いたから、一瞬の剛拳に対応する間がアルダレスに与えられたのだ。
「よく言う。武器が破壊されたと認識した瞬間に、武器の破片を敵に向けて蹴りつけるなど、並の反射神経でできることでは、ない」
外傷だけではない、捨身による無理な速度で内臓を痛めたのだろう。血を溢す口許を皮肉気に歪ませながらマレウスは苦しげな呼吸音を鳴らした。
「そこはまあ、伊達に修羅場は通っていないってな。それにこれくらいやれなきゃ、勇者の師匠なんて出来やしない――って、もう聞いちゃいないか」
既に意識を手放して倒れ伏す強敵を敵意ではない不明瞭な感情を込めた瞳で見下ろしてアルダレスは息を吐く。
「そうさ。まだ俺はあいつらの兄貴分なんだ。お前らが来なけりゃ、もっとそのままでいられたのにな……」
瞼を閉じて十を数え、開く。鬱屈した気分を胸の奥に押し込めて、アルダレスは強敵に苦戦している教え子たちの姿を捉えた。
「ジュリオはまだ余裕もありそうだが、勇輝はまずいな。とはいえ、俺もこんなザマでどこまで助けられるか」
正体不明の叫術を受けて傷を負った勇輝の動きは鈍い。響鳴を使用しているはずの彼の姿を完全に捉えることができているのがその証左であり、その響鳴にも制限時間というものがある。
恐らくは、一刻の猶予もない。
そしてアルダレスもまた先の攻防において傷を負った左腕は完全に動かなくなっている。
完全に受け切ったつもりだったが、マレウスの剛拳は確かにアルダレスにダメージを残していたのだ。
「まったく手のかかる弟子だよな……」
愚痴を口にしながらも満更でもない笑みを携えてアルダレスは若き勇者の助けに入るべく走り出す。
しかし、その道を塞ぐように先程まで勇輝が相手取っていたものに似た獣魔が三体も立ちふさがった。
「おいおい、マジか。流石に片腕でこれを越えろってのは……やるしかないか」
嘆息してアルダレスは獰猛に瞳を光らせた。
元来、アルダレスはこの程度の逆境で仲間を見捨てる性格ではない。
それに加えてこの戦いは――
――アティが攫われた以上、あいつらの知っているアルダレス=ファンディエナが最後にしてやれる手助けになるかもしれないからな。
まともに動かない左腕の痛みに顔を歪ませながら、足元に転がっている剣を拾い上げて。
アルダレスは覚悟を決めた。




