第三章《密計の見世物小屋(コンスピラシー・サーカス)》 12
アーティアの剣の技量は勇輝が思っていた以上だった。
片手ではまともに持ち上げることもできない重さの剣を、身体を振った反動で突き出す刺突の剣術。
動きだけを見れば悪足掻きのようにも受け取れる戦い方は、しかし一か月前の勇輝よりもよほど洗練された技術を感じさせる。
一手でも仕損じれば獣魔の強烈な一撃が命を奪う状況において、竦むことなく近接戦闘を行う胆力も含めて、その姿に勇輝は舌を巻いた。
「ほんとに、アティにはいつも驚かされるな……俺も負けてられない!」
気合を入れなおし、勇輝は獣魔へと斬りかかる。アーティアの剣技に比べ、速く鋭い斬撃に獣魔は怯んだようにたたらを踏んだ。
――よし、これなら倒せる!
隙が生まれた獣魔を袈裟懸けに斬りつけて、勇輝は確信する。アーティアとの連携があればこの獣魔をすぐにでも撃退できる。
獣魔の攻撃範囲から離脱した僅かな一瞬でアーティアとアイコンタクトを交わし、勇輝は手にした聖剣をあらぬ方へと投擲する。
自ら武器を手放すという暴挙を前に聖剣の行く先を目で追った獣魔の肩を身体ごと突き出すアーティアの刺突が貫き――。
一瞬で距離を詰め、手の中に聖剣を再召喚した勇輝が深く斬りつけたことで獣魔は断末魔の悲鳴をあげて頽れた。
「……倒せた?」
「ああ、やったな!」
気が抜けたように剣を下ろすアーティアに笑いかけると彼女は戦いの緊張が抜けないままに微笑んだ。
「けど、アティがあれだけ剣をつかえるなんて知らなかったよ。団長に教わったのか?」
「え、あー。そうじゃなくて――」
勇輝の言葉で思い出したようにアーティアは口を開き――。
「――逃げて勇輝、アティ!」
聞こえてきたジュリオの悲鳴に勇輝は言葉もなく振り返った。
――あの人は!?
視界に映り込んだのはこの騒ぎを引き起こした黒幕と目される座長の男。その手はまるで演奏を支配する指揮者のように一定の規則に従う軌道を描いている。
――奏術!? 駄目だ、間に合わない!
彼我の距離に加え、アントニオの詠節はほとんど完了しているように見える。今から攻撃したのでは詠節の妨害すらままならない。
瞬時に判断して勇輝は咄嗟に脱いだ響鎧服をアーティアに被らせて、来たる衝撃に備えた。
「――声高に叫べ、怨嗟の呪火 (エルグ・インファイル)」
その声が耳に届いたのと構えた聖剣に途轍もない衝撃が伝わったのはほとんど同時のことだった。
衝撃に伴って腕を焼く灼熱の風に耐えきる精神力を求めて勇輝は悲鳴をあげた。
「く、ああああああ!」
凄まじい光の奔流が視界を奪う。同時に耳を塞ぎたくなる叫び声にも似た超高音が聴覚を麻痺させた。
――サマリルの奏術なんかとは比べ物にならない。まるで音が襲ってきているみたいだ。
単純な衝撃だけでいえば爆発のすぐ足元で聞く花火の炸裂音を何百倍にも凝縮したような感覚。
実際に体験しなければ実感のしようもないそれが指向性を持って襲い掛かってくる脅威は勇輝に死の恐怖を感じさせた。
――それでも俺が倒れたらアティまで……耐えてみせる!
脳裏にちらつく焼死の恐れを振り払うために勇輝は暴威の中へと一歩踏み出した。
そうしてどれだけの時間が流れただろうか。熱を伴う響光の奔流は徐々に収束していった。
「あ、ぐ……」
なんとか、耐えきった。
全身に深刻な火傷を負い、右耳はすでに聞こえない。満身創痍の状態だが、それでも耐えきることができたのは聖鎧服の強固な防護力の賜物だ。
「ア、ティは……」
呟いた声はひどくかすれていた。黒く染まった響素が肺に入り込み、今もなおこの身を焼いている。
しかし、そんなことは今の勇輝にとっては些末事だ。ただ彼女を――アーティアの無事をこの目で確認することが最優先だ。
指一本動かすだけでも激痛が走る身体に鞭を打って勇輝は少女の姿を捉えた。
「勇輝! ――命は恵む力を従えて、その思いのままに豊穣を享受し続ける」
少女の姿を確認するのと同時、先程の叫び声に似た音とは異なる耳心地の良い声が勇輝の左耳に届く。
「――高らかに唄え 豊穣の命 (オーラ・エイド)」
彼女がかざした手から流れ込むような金色系統第二響階の奏術が勇輝の身体を癒す。誰もが眉をひそめるような無残な火傷が、鼓膜が破れ血を流す右耳が徐々に治癒していく。
しかし、それでも勇輝の体を蝕む何かまでは拭い去ることができなかった。
「が、あ……」
苦悶の声がこぼれ出る。身を焼き尽くす赤黒い異質な奏術は微粒子となって勇輝の身体に入り込み、微細な刃物が身体の中で暴れまわっているような激痛を勇輝に課していた。
「いかがですかな、叫術の威力は?」
その声に顔をあげるといつの間に近付いていたのか、手を伸ばせば届く距離にアントニオが立っていた。
「きょう、じゅつ……?」
剣を支えにしながらも身体を起こし、勇輝がその言葉を繰り返すと男は教え子に諭すような表情で頷いた。
「正式な名は叫化奏術と呼ばれるものでしてね。魔族が持つ禁断の叡智の一つですよ。響素を天素で染めあげ、叫素と呼ばれる力に変質させて扱う術です。さしずめ、奏術版の獣魔といったところでしょうかね」
言って、悠然とした足取りで勇輝の隣へと歩きながら、アントニオは自身の焼け爛れた右手を掲げて見せた。
「まあ、本来は魔族だけが扱える高位の術なだけあって、人間族の私が使えばご覧の通り腕一本が大火傷です……あなたを仕留める代償が腕一本というのはお買い得というものですが」
火傷の痛みなど感じていないような笑みを浮かべて、アントニオはそれきり勇輝から視線を外した。
「さて、それでは本来の目的を遂行しましょうか。ご同行いただけますかな、エリシアンナ第二王女……いえ、アーティア=ヴァレンシュタイン=クレスエント王女殿下」
あくまで紳士的な態度を崩さずにダンスでも申し込むかのように差し出された左手をアーティアは強く払った。
「――嫌だと言っても、あなたのすることは変わらないんでしょう?」
手を打ち払われたことが意外だったのか、アントニオは目を丸くしたままで左手を擦る。
「いいえ、嫌だと言われるならば当然私たちの行動も変わりますよ。例えばそう……あなたは気絶させてから連行します。抵抗された憤りはこの少年の命で晴らさせていただくことになりますね」
脅しの言葉を吐いてアントニオは勇輝を力強く蹴り飛ばす。なにかが割れるような不吉な音が体の内側から聞こえて勇輝は受け身も取れずに地面に転がった。
「う……」
怪我の痛みは絶叫をあげることすら許さず、呼吸するだけでも体力を削る毒となる。悶絶する勇輝の姿を見て初めてアーティアは恐怖の色をその顔に浮かべた。
「勇輝!」
「おっと、いけませんよ」
迷わずに駆け寄ろうとするアーティアの腕を掴み上げ、アントニオは陰気に笑った。
「放して……放してってば!」
拒絶の声と共にアーティアが振るった剣がアントニオの腕を浅く斬り、傷口から真紅の血が零れ落ちた。
「おやおや、ずいぶんとお転婆なお姫様ですね」
「っ!」
少女の抵抗に眉を顰めることすらせずにアントニオは右手でアーティアの頬を払った。高い音と共に熱を伴う痛みを与えられてもアーティアの眼には怒りが灯っていた。
「まったく面倒な……仕方ありませんね」
ため息をついてアントニオはアーティアの額へと指を突きつける。そして何事かを呟いた後にその指から淡い光が生まれると、アーティアの身体は力を失ったように崩れ落ちた。
「ア、ティ……」
「安心してくださいラティス・マグナ。幻術をかけて眠らせただけです。このお姫様は人質程度では抵抗をやめてくれそうにありませんのでね」
片手でアーティアの身体を抱えたアントニオはその言葉を最後に、表情に警戒の色を滲ませて勇輝から視線を外した。
彼がこの場に現れて初めて見せる剣呑な眼差し。その先には敵をすべて捕縛し終えたアルダレスとジュリオの姿があった。
「まさか、このままアティを連れていけるとは思ってないよね?」
「アティを放して投降しろ。これ以上お前の好きにはさせん」
それぞれの得物を構えて威嚇する二人に対して、アントニオは呆れたように肩を竦めた。
「やれやれです。私が人質に手を出さないと確信している口ぶりですね」
腰に挿した短剣を引き抜き、アントニオはアーティアの首筋へと突きつける。その動きの淀みの無さに一瞬息を呑みながらもアルダレスはさらに眼光を鋭くした。
「ここまでして拉致しようとしているという以上、お前はアティに手を出せないはずだ。ハッタリはやめろ」
「別に、無理に生きたまま連れ帰ろうとは思っていませんよ」
その言葉を証明するようにアントニオの刃が少女の首に沈み込む。頸動脈を傷つけるわずか手前で止まったようだが、それでもアーティアの口からは呻き声が漏れ、銀色の刃先に赤い雫が伝った。
「貴様……」
アントニオの言葉がただの脅しではないと悟ったアルダレスは歯噛みしつつ斧槍の穂先を下ろした。
「団長!」
「奴は本気だ。無策で攻撃はできない」
アルダレスの視線に従ってジュリオも悔しげに銃口を下げた。
その姿に頷いてアントニオは再び悠然と歩き出す。
「待てよ……アティを、返せ」
「その傷でまだ立ちますか……いいでしょう。そんなあなたに敬意を払ってふたつ、いいことを教えてあげますよ、ラティス・マグナ」
剣を支えに立ち上がり、身を襲う激痛を気迫でねじ伏せる勇輝に感銘を受けた表情でアントニオは二本指を立てた。
「ひとつ、最低でもひと月の間は王女殿下の安全は保障されます。それまでにありえない奇跡が起きれば、その後も王女は生き延びることができるでしょうね」
暗く笑うアントニオの態度は、それが不可能であると確信した声色を滲ませている。その確信がおよそ間違いではないと思うことに悔しさを覚えながらも、勇輝は一歩ずつアントニオへと近づいていく。
「そしてふたつ、あなた方の相手はもう私ではなくなっています。私を追うのはかまいませんが、果たして生きてここを出られますかね? それでは……」
言い終えると同時に指を鳴らしたアントニオに応えるように3つの影が天幕の中へと躍り出た。
一つは先程倒した獣魔を超える巨躯を持った夜色の獣だ。体毛の色から考えても間違いなく獣魔だというのに先刻の獣魔以上の威圧感を放っている。
残る二つの影はどちらも人間だった。
小柄な――勇輝やジュリオとそう変わらぬ年齢に見える少年と青年を抜けた年頃と思しき褐色の肌の男だ。そのどちらもが鍛えられた無駄のない身体つきをしており、特に壮年の男の方は抜身の刃物のような剣呑さを窺わせる。
少年の方はこの状況に気後れした雰囲気を醸しているが、アントニオがここまで隠していた配下だというならば並の使い手ではないだろう。
《もうほとんど死にかけダネ。手加減する気なんてないけど、期待外れになるのカシラ?》
獣魔が口を開き発した音が言葉であることに、勇輝はもちろん、アルダレスとジュリオも瞠目した。
「獣魔が喋った!?」
悲鳴にも似た声は誰のものだったか。3人の誰もが感じた驚愕に知性を兼ね備えているらしい獣魔は嗤った。
《珍しいわよネエ? これ、獣魔と意識を同調させる技術なのヨ》
「獣魔と、同調……そうか、エミリーが、言っていた」
息を切らさせながらつぶやく勇輝に同じ話を聞いたジュリオと、事情を伝え聞いていたアルダレスは納得する。
薬物を利用した五感共有。この声の主はそれを利用してどこかから獣魔を操っているのだ。
《それにしても……歯応えも残ってないくらい弱ってるケド、チョットやりすぎなんじゃないの、アントニオ?》
人の意思を宿した獣魔が勇輝を見下ろす。勇輝を侮るような言葉に肩を竦めてアントニオは勇輝へと昏い視線を向けた。
「すみませんね、ニェウさん。ですがその少年、私の勘ではまだ何かあるような気がしますのでお気をつけて」
笑みを浮かべたままのアントニオの言葉に獣魔は鼻を鳴らした。
「マレウス君、フレグス君も大変だとは思いますがあとはよろしくお願いします。一応、半日ほどは待ちますが、間に合わなければ出航しますので」
「了解しました」
「わかったよ、義父さん」
二人の男が答える声に頷いてアントニオは天幕の外へと歩き出す。その手に抱えられたアーティアが再び目を覚ます気配はなかった。
「待てって、言ってるだろうが!」
遠ざかる背中を逃がすまいと勇輝は残る体力を振り絞る勢いで駆け出した。満身創痍とは思えない速度で進む勇輝にアルダレスたちでさえも驚く中、操作された獣魔――ニェウが少年に追いすがり、襲い掛かった。
《待ちナって。そんなに元気が余ってるナラ、お姉さんと遊んでオくれヨ?》
「くっ! それなら、団長にジュリオは……」
ニェウの体躯越しに見れば、アルダレスとジュリオもまたそれぞれの相手に足止めされてアーティアを助けに行ける状態ではない。このままではアントニオを取り逃がしてしまう!
大切な人間が連れて行かれる焦燥と苛立ちに逆らわずに勇輝は叫んだ。
「退けよ、お前に構ってる暇はないんだ!」
残された時間は少ない。焦りは激情を生み、気力にくべる薪となる。例え自分の命を引き替えにしても少女を助けるために勇輝は覚悟を決めた。
「――鳴り響け!」
天幕の中に聖剣から発せられた響鳴の音色が響き渡る。
その音を合図として、勇輝、アルダレス、ジュリオはそれぞれの戦いに身を投じていった。




