第三章《密計の見世物小屋(コンスピラシー・サーカス)》 10
一行が興行のために造られたという巨大なテントの入り口をくぐり、独特な拵えの入った階段をのぼると、公演三日目とは思えないほどの数の観客が席を占拠していた。
「もう町の人間はみんな見終わったものだと思ってたけど、結構いるねえ……」
「まあ、最終日だからな。見納めにもう一度っていう人も相当いるんじゃないか?」
感心したように辺りを眺めるジュリオに頷いて勇輝は七人が座れる場所を探して一カ所に見当をつけた。
「みんな、こっちだ。あそこなら全員で座れる」
どこか幻想的とすら感じる内装に目を輝かせる仲間たちを連れて都合よく空いていた席に座ると、まるで図っていたかのように天幕内の照明が落ちた。
『レディースアンドジェントルメン! 今宵は私たちラーグバーウェ一座の喜劇の舞台へようこそお越しくださいました。どうか夢の時間を思う存分にご堪能ください』
闇の中にアントニオの声が反響する。同時に座席から見下ろす形になる広大な舞台に響力機関によるスポットライトが当たる。
そこにいたのは一組の男女だった。彼らは互いに腰に提げた短刀を引き抜いて相方との全力ナイフキャッチを繰り広げる。
一投、二投、三投とテンポよく投擲が続き、観客の熱も高まってきた刹那、手元を狂わせた男性が投げ損じたナイフが女性の顔目掛けて飛んでゆく。
あわや大惨事かと思わず息を呑む客たちを嘲笑うかのように女性は刃をその歯で受け止め、ナイフ投げを続けながらも客席に手を振って見せた。
「すごいわね」
「ああ、大したもんだ」
感心したように彼らを讃えるアルダレスを筆頭に、その場の誰もが舞台に釘付けとなっている。こうした催し物には斜に構えた心情をとる勇輝でさえ、彼らの芸術的な技に魅了されていた。
その後も、道化師による玉乗り、猛獣の火の輪くぐり、ブランコを使った空中遊泳など、勇輝の知るそれと変わらぬ内容で演目は次々と進んでいく。
演技の一つ一つに反応する他の観客同様にアーティアやエミリーたちも初めての雑技芸にすっかりと興奮しており、マーテルに至っては「わたしもあれやる!」などと無茶を言い始めている。
――みんな、楽しんでるな……けど、この感じ。
そんな観客たちの熱気に応えるように演目も次第に派手なものとなっていく中で、勇輝は言葉にはできない不審を感じ始めていた。
この感情を勇輝は知っている。およそ一月前、名前を偽って勇輝に接触してきたサマリルと相対した時のあの感覚だ。
あの時のことを思い出す根拠は何一つとしてないはずだ。しかし勇輝の――ラティス・マグナとしての直感とでもいうべきものが警告を訴えている。そんな感覚。
もし、これが気の所為なんかじゃ済ませられないものだとしたら。
「みんな、気を付けてくれ。なにか変だ」
「変って、突然どうしたの勇輝? すごい演技じゃないか」
首を傾げるジュリオの言葉に「いや」と答えて、勇輝は舞台の奥から歩み出た一般的な熊よりもわずかに大きく、闇夜の空と見まごう体色の獣――獣魔を睨み付けた。
「嫌な予感がするんだ。あの事件の時と同じ感じが」
「勇輝の言うこともあながち間違って異なかもしれんな。言われてみれば役者にしろ、あの獣魔にしろ、やけに俺たちの方を見ている。敵意と呼ぶには妙な感じだが……」
勇輝の言葉にアルダレスが感心したように頷く。自警団としての監視任務という名目で携行している得物を目で確認して彼は再び舞台へと視線を下ろした。
「なんにせよ、注意をしておくに越したことは――」
《RRRRRRAAAAAAAAA!》
アルダレスの言葉は突如としてあがった獣魔の咆哮に掻き消された。
あまりの迫力に観客たちは一様に竦みあがり、それを狙ったようにして獣魔は手近な客席へと襲い掛かる。
「しまった!?」
ジュリオの口からあがる悲鳴のような声。次の瞬間には誰もが目を背けるような凄惨な風景が姿を現すと怯えた刹那。
自らの死を感じて目を瞑る観客たちの前に白い影が割り込んだ。
「間に合った……かっ!」
気勢の声と共に夜色の巨躯を押し返す一閃。
その場の誰よりも警戒していたことで素早い行動を起こした勇輝は獣魔を追って舞台へと降り立ちながら油断なく周囲へと視線を走らせた。
「この空気……こいつだけじゃないな。出てくるか」
呟く勇輝の声に応えるかのように舞台袖から明確な殺気を伴い、それぞれ武器を手にした雑技団員たちが踊り出した。
「勇輝、みんなを安全な場所に避難させないと」
背後から聞こえる声の主を一瞥すれば、勇輝の言葉を信じて逡巡せずについてきたアーティアが臨死体験によって血の気の失せた観客たちに逃げるよう励ましていた。
「わかってる。けど、これだけの人数となると……」
客数はざっと見積もっても200人超。対して出口は三人同時に出入りできる程度のものが一つだけ。突然の事態にパニックを起こした人間全員が避難するには相当な時間がかかるだろうが、勇輝の懸念は完全な杞憂となった。
「三人ずつ安全に進め、落ち着けよー。俺たちがいるから心配ないぞー」
「お前はもう少し、危機意識を持てよ!」
耳に届いた間延びした声は勇輝よりも五歳年上のルドルフとサーベラスの住人のものだ。日頃からいい加減で気怠そうにしているルドルフのいつも通りの姿に人々は完全な平静を保っていた。
――いや、それだけじゃない。
避難する観客たちの動きに規律と呼ぶべきものがあることに勇輝は気づいた。男たちは女子供を、女たちは自分よりも小さな子供たちを、己の身の危険を顧みずに優先して出口へと急がせている。
――みんな、すごい人たちだ。
町全体が一つの家族とでもいうべき絆で結ばれていると以前聞いた言葉が甦る。勇輝はそれを話半分程度に聞いて信用していなかった自分を心から恥じた。
同時に、絶対にこのまぶしい人たちを護り抜くと心に誓う。
「……とはいえ、さすがに厳しいな」
周囲の様子を窺えば、ジュリオはエミリーを、アルダレスはナターシャとマーテルをそれぞれに護りながら剣を持った雑技団員に応戦している。
彼らの力量ならば襲撃者に対して後れを取るようなことはないだろうが、それでも数が違いすぎる。
勇輝を含めた自警団の人間は万一の保険として配置されていたルドルフたちを含めてもわずか七人。その内一人は観客の避難のためにテントの外の安全を確保している。対する敵の数は三十人弱だ。
つまりは単純計算で一人あたり五人の敵を相手に観客を避難させなければならないということになる。
如何に一月前の事件の影響で士気や練度に磨きがかかっている彼らといえど、苦戦という一言では済ませられないほどの劣勢だ。
そして、それに加えて――。
耳に伝わってくる空間そのものをこそぎ取るような轟音に対して、勇輝は聖剣を振り抜いた。
金属同士がぶつかり合うような甲高い音があがり、勇輝の身体が一歩後ろへと押し出される。
――この獣魔、あの時のとは違う……。
目の前の獣魔には勇輝がファーレシアに召喚されたばかりの頃に相対した獣魔とは異質の威圧感がある。
無秩序な暴力をまき散らす獣とは違う、眼に宿る知性の光。これは野生の獣を相手にしているというよりも、アルダレスやサマリルのような手練れと見えた時に近しい感覚だ。
――俺一人で、やれるか?
胸の高さまで剣を持ち上げ勇輝は自問した。
以前獣魔を倒すことができたのは響鳴の力によるところが大きい。しかし、この状況で軽々に響鳴を使えば別の脅威――今もジュリオたちが食い止めている雑技団員たちに対応できなくなる可能性が高い。
それにこれは仕組まれていた罠だ。ならば、座長のアントニオはどこにいる?
状況の見通しが立たない。苛立ちにも似た焦燥に勇輝が唇を噛んだ刹那、金色の輝きが勇輝の身体を包んだ。
英雄の御魂 (スターク・シャープ)。金色系統に属する身体能力向上の奏術の使い手は勇輝の知る限り彼女しかいない。
「……アティ」
どうしてまだここにいるのか、どうしてみんなと一緒に逃げなかった、どうして剣なんて持っている?
いくつも疑問が湧き上がるが、それを口にすることをアーティアの表情は許してくれなかった。
「勇輝、私も一緒に戦う。これは私が、向き合わなきゃいけないことだから!」
強い眼で断言するアーティアの言葉にその意味を問い返そうと勇輝は口を開きかけ、言葉を発する前にただ頷いた。
――今は悠長に話していられる場合じゃない。ただアティを信じていれば、それでいい!
「わかった、アティ。無理はするなよ」
「うん!」
アーティアの声に強く頷いて、勇輝は走り出した。
「護って見せる……今度こそ、誰ひとりだって死なせやしない!」




