第三章《密計の見世物小屋(コンスピラシー・サーカス)》 8
不意に意識が浮き上がる。そんな感覚と共に目覚めて伸びをすると、アーティアはまだ薄暗い窓の外へと目を向けた。
「あの日と同じ綺麗な空。だから、あんな夢を見たのかな?」
懐かしい夢だった。あの口喧嘩ともいえないような喧嘩の後、自分はこの教会で一人暮らしを始めたのだ。
思えば、アルダレスとナターシャを敬称で呼び始めたのもあの頃で、今にして考えてみれば、あの喧嘩をきっかけにして自分はあの二人のことを初めて自分とは違う人間として見たのだろうと思う。
「そっか……あの時ナターシャさんが言ってたのはそういうこと、だったんだ」
偽物の家族。あの日の自分はそれを自分と二人の親子関係のことだと思っていた。
しかし、昨日エミリーが指摘した二人の関係とアルダレスの態度、そして唐突に見た過去の夢からそれが間違いだったと気付いてしまった。
「二人は私のために偽物の夫婦になった……私が二人の時間を奪ってた」
二人を縛っているのは自分なのだとアーティアは直感的に理解した。そして同時に、その呪いのような関係が今もなお彼らを縛っているということも。
「それなら、みんなに全部話してしまえば……」
一人呟いて、その発想の薄情さに打ちのめされる。その行為はこれまでの十年間を犠牲にした二人に対しての手酷い裏切りだ。
しかし、それでもとアーティアは思う。それでも、一人の偽りで二人の人生が縛られ続けるならば、正直な告白で彼らを開放しても良いのではないかと。
なぜなら、自分はもうあの頃の護られるだけのか弱い少女ではないのだから。
「だけど話したら、ここにはいられない。みんなにも迷惑がかかるかもしれない」
一月前、自分を狙って町が襲われた時のように、或いはあの時以上の被害が出るかもしれない。それを回避するための術はアーティアの手元にはない。
「だから、よく考えて決めなくちゃ。全てが手遅れになる前に……」
町を襲った事件から一月が経っている。あの日と同じような襲撃者がいつ現れてもおかしくはない。
その時、自分はどう立ち回るべきなのか。
戦うのか、逃げるのか、それとも降伏するのか。
きっと遠くない未来、最悪の事態が訪れるよりも前に結論を出さなければならない。
「その時は、勇輝やジュリオたちともお別れになるのかな……」
窓に映る泣きそうな顔の自身と向き合って、アーティアは一人懊悩していた。
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勇輝たちがサーカスの見物に行くことを約束していたその日の朝。二人で食卓を囲むにはいささか広い食堂で、アーティアは焼き立てのパンを頬張る勇輝の様子を窺っていた。
「やっぱり、パンやご飯は焼き立て炊き立てに限るよな。パンはこっちの世界の方が美味いし」
今日の朝食は毎朝のものに比べて特別というわけではない。それでもこうして美味しいと言葉にしてくれる相手がいると作る側としても冥利に尽きるというものだ。
いつもなら、そんな勇輝の言葉に胸の奥が温かくなる感覚を覚えていただろう。
しかし、今朝に関しては――あの夢を見た直後の今のアーティアにはそんないつも通りの感情を抱いている余裕はなかった。
「そう言ってもらえると、作り甲斐があるわ」
緊張が表れてか、自然と声色は固くなっていた。無論、そんなアーティアの様子を勇輝が見逃すはずもない。彼の顔はすぐさま怪訝に曇り、少女の体調を慮るように眼を凝らした。
「アティ、気分でも悪いのか? もしかして――」
「あのね、勇輝!」
言葉を被せるように口を開く。自分が滅多に他人に見せることのない態度に少年は口を閉じて目を丸くした。
そんな、決して飾らない――あの雨の日から自分に素顔を見せてくれるようになった少年の態度に、衝動的に胸にしまったままの自身の秘密を打ち明けようと口を開いて――。
「あのね、私、本当は――」
寸前で言葉に詰まった。
――勇輝に話せば、きっと助けてくれる。でも、助けてもらうだけなんて、きっと違う。
昨晩から今に至るまで延々と考え続けてきた悩み。それを言葉にするのも、話して少年に頼ってしまうことも簡単なことだ。
しかし、とアーティアは思う。それは完全な逃げなのだと。それを選択した瞬間、自分は彼と同じ地平に立つ資格を失ってしまうのだと、アーティアは自分の中に確信を抱いていた。
「アティ、どうしたんだよ? 何か悩み事か?」
突然黙りこんだ自分を心配したように勇輝が席を立って肩に手を置いてくる。その手に自らのそれを重ねて軽く俯くと、アーティアは自らの弱い心に喝を入れた。
「ううん、なんでもないの。ほら、今夜はサーカスでしょ? 私楽しみで眠れなくて、勇輝はちゃんと眠れた?」
「あ、ああ。まあ俺も楽しみではあるけど、きちんと寝れたよ。今日も自警団の仕事があるから寝不足だと怪我するかもしれないしな」
精一杯の虚勢と共に笑いかけると勇輝はまだ若干訝しみながらも笑顔を返してきた。
「けど、楽しみで寝不足か。アティ、案外子供っぽいところがあるんだな」
「いいじゃない。サーカスなんて初めてなんだから」
はにかみ、アーティアの頬は薄く桜色に染める。彼女の仕草に一瞬だけ目を見開いた少年は僅かに目線を逸らして咳いた。
「勇輝?」
「いや、なんでもない! それより、あんまり眠れてないならもう少し寝てたらどうだ? 片付けは俺がやっておくから」
言って、勇輝は空になった食器を手にして立ち上がる。
「楽しみにしてるなら、演目中に眠って見逃したなんて悔しいだろ?」
優しい瞳でこちらを見つめる少年はきっと、今の自分が色々と本調子ではないことを見抜いているのだろう。
そして、その心配を無視できるほど、アーティアは鈍感ではなかった。
「そう、だね。それじゃ、少し眠るわ。後はお願いね」
「任された。おやすみ、アティ」
勇輝の声に笑顔で頷いて、アーティアは寝室へと足を向けた。




