第三章《密計の見世物小屋(コンスピラシー・サーカス)》 7
「一人暮らしがしたい?」
少女の言葉に目を丸くした青年――アルダレス=ファンディエナは驚きのあまりに固まり、手にしたフォークからは豚の腸詰が落ちた。
「アティ、突然なにを言い出すの? 一人暮らしって……あなたはまだ10歳なのよ?」
アルダレス同様に驚愕した顔で口許を拭くと、ナターシャ=ファンディエナは席を立った。その足でアーティアへと歩み寄りその肩に手を添える。
「リーリア教会には誰もいないのよ。そんなところでまだ小さいあなたが生活なんて――」
「できるよ。ううん、できるようにならなきゃいけないの」
添えられた手に自分のそれを重ねて、アーティアはナターシャの瞳を見つめ返す。今の自分にとって母親と言える存在である彼女の瞳に、静かな表情の自分が映った。
「司祭さまがあんなことになって教会には誰もいなくなっちゃった。だから、司祭さまの変わりは私がしないといけないんだよ。だって……」
ふと、その時の光景が脳裏によみがえる。聖域と呼ばれる場所、剣に手を伸ばす神父、そして叫び声を上げてくずおれる兄のように慕った人の後姿。
「だって、司祭さまの心が壊れてしまったのは、私の所為なんだから!」
「アティ、それは違うわ。クロスは……司祭さまはあなたのことを利用して――」
「やめとけ、ナターシャ。今はなに言っても聞きゃしない」
ナターシャの言葉はアルダレスの言葉で制され続くことはなかった。しかし、彼女が言わんとすることを察したアーティアは涙目で二人を睨みつけた。
「司祭さまはみんなのことを助けようとしてただけだよ! 聖剣の力があれば、戦争だって終わらせられるって……みんなを助けようとしただけなのに、どうして二人ともそんなこと言うの?」
「それは……」
感情に任せて喚くアーティアに気圧されたようにナターシャは視線を逸らした。普段であれば痛みをこらえるようなその表情に二の足を踏むところだが、今のアーティアは年相応の子供であり、そうした配慮ができる精神状態ではなかった。
「みんなが笑えないから戦争を止めたいっていうのはそんなに間違ってる? そんなはずないよ。アルもナターシャも、結局逃げてきただけじゃない!」
「言いたいことは、それだけか?」
「――え?」
座ったまま静かにこちらを見るアルダレスの言葉に、アーティアの激情が一瞬揺らぐ。怒るでもなく悲しむでもない。それでも、その表情には子供である自分でも感じる何かがあった。
「俺たちが逃げて――今でも逃げていることは否定しない。それは本当のことだ。だけどな、アティ。だからこそ、俺たちは司祭の行動を許すわけにはいかないんだ」
「どうして」
「この町で起きた騒ぎが知れれば、また当てのない旅を始めなければならないからだ。そうなれば、今度は本当に誰かが命を落とすかもしれない」
アルダレスの言葉はアーティアの心に氷柱のような冷たさを伴って刺さる。サーベラスに至るまでの苦難の道を思い返せば、三人でここまで来れたことが奇跡に近いことを子供心に理解していたからだ。
「あの司祭はな、俺たちのことを知っていた。知っていて、お前を利用したんだよ。そんな人間のことをいつまでも引きずるな。時間の無駄だ」
その突き放した物言いに、アーティアはひぅっと息を呑んだ。これまで彼に叱られることはあっても今のような一方的な否定をされたことはなかったからだ。
「アル、そんな言い方」
「事実だろ。こんな戦争の最中なんだ。他人は敵だって考えて行動した方がいい」
「そんなの、そんなのアルらしくないよ!」
アーティアの言葉に、それまで強い感情を見せてはいなかったアルダレスの表情が歪んだ。
「お前を護るために言ってるんだろうが!」
「そんなの、頼んでない!」
荒ぶる思いのままに食卓に拳を打ち付けるアルダレスに怒鳴るように返してアーティアは家を飛び出した。その足で、行きつけの森へと向かおうとして足が止まる。
――私まで、逃げるの?
アルダレスたちのことを臆病者と罵っておいて、今の自分はどうなのか。如何に子供とはいえ――いや、まだ10歳の子供だからこそ、その感情に妥協することなどできなかった。
――帰ろう。帰って、二人と話さなきゃ。
自分自身の心に強く頷いて、アーティアは来た道を一歩ずつ、覚悟を決めながら歩いて戻る。やがて着いた我が家の扉に手をかけた瞬間、ナターシャとアルダレスの声が聞こえて、アーティアは動きを止めた。
「アル、あそこまで言うことなかったんじゃないの? 最近のあなた、ちょっと気が立ちすぎてるわ」
「わかってる! わかってるさ、そんなことは……だけど」
――アル、泣いてるの?
扉越しに聞こえるその声は、先刻まで激情に駆られていたとは思えないほどに悲痛な声色を宿している。初めて聞くアルダレスの声に、アーティアは激しく動揺した。
「何カ月も前に船が――メイリルの乗っていた船が襲われたと……港町から来た行商から聞いた。生存者は、一人もいなかったと」
「メイリルって……あなたの妹の、あのメイリル!? 間違いないの?」
ナターシャが驚愕と共に口にした言葉をアルダレスは呻くような声で肯定する。
「時期も行先も、船の名前も全て同じだった……俺があの時、あいつを船なんかに乗せなければ、こんなことには……」
――アルがあんなことを言うなんて……。
滅多なことでは弱音を吐くことのないアルダレスの言葉で扉を開ける機会を逸したアーティアが窓から室内を窺えば、手を組み俯く彼の背に手を当てるナターシャの姿が見えた。
「アル」
優しい声色でアルダレスの名前を読んだナターシャは、しかし一瞬の後に唇を真一文字に引き締めて彼を振り向かせた。
「アル、メイリルのこと……悲しんじゃダメなんて言わない。でもね、だからってアティをメイリルと重ねたって意味はないし、そのことであの子に当たるのは間違ってる」
「だから、そんなことはわかっていると――」
反論の声はナターシャの指で封じられ、アルダレスは言葉を続けることなく瞠目する。
「わかっているのにそういう態度になっちゃうのはわかるわ。だけど……ううん、それならあの子の一人暮らし、真剣に考えてみた方がいいのかもしれないわね」
――え!?
どのような心変わりか、反対の姿勢から一転して呟いたナターシャの言葉に、アルダレスだけでなくアーティアも驚愕した。
「お前、何言って……あいつはまだ10歳だ。早いって言ったのはお前だろう?」
「まあ、親代わりとしては本心からそう思ってるけど……でも、私たち三人が偽物の家族だからこそ、ここで一度離れてみるのが一番なのかもしれないって思うのよ」
「偽物だって? それが何の問題になるんだよ。そんなことは俺たち以外の誰も知らないことだろ?」
アルダレスの怪訝な声はアーティアの心を代弁するものだった。例え自分とあの二人が擬似的な家族でしかないとはいえ、この町で暮らす以上、三人は誰の目から見ても家族だ。それなのに、離れて暮らすのが良いと彼女が言った意味がアーティアにはわからなかった。
「問題ならあるでしょ? あなたはメイリルのことで、アティはクロスのことでお互いの距離感を見失ってる。それに私も……まだこの状況に戸惑ってる。三人が三人ともバラバラの状態で近くに居ても、良いことよりも悪いことの方が多いと思うの」
そう言ってナターシャは窓の外――室内を除くアーティアへと視線を投げかける。突然の行動にアーティアが慌てて身を隠すと、ナターシャは薄く笑ってアルダレスへと声をかけた。
「もちろん、完全な一人暮らしを許すわけじゃないわよ? 定期的に帰って来ることが条件。その頻度はアルに任せるけど、それでも反対?」
「当然だろ。あいつはまだ子供だ。本当なら親に甘えてるのが一番に決まってる……だけど、そうかもな。親代わりである俺たちがこんな状態なら、それが俺たちにとっては最善なのかもしれない」
酷くくたびれた声と共に頷くと、アルダレスは力なく天井を仰いだ。
「なあ、ナターシャ。アティが帰ってきたとして、俺は冷静にあいつと話ができると思うか?」
「心配しなくても、その時は私が手伝ってあげるわよ。そんなことより、今はメイリルのことを想ってあげなさい」
諭すような言葉をかけて、ナターシャはアルダレスの背中をそっと抱きしめる。そんな彼女に声もなく頷いて、アルダレスは滔々と呟いた。
「わかってるんだけどな。アティを護り抜いたところでメイリルに赦されるわけじゃないってことは。それでも、俺にはアティを護る義務がある。その義務を果たせた時、メイリルに対して胸を張れるような気がするんだ。だから、弱音を吐くのは今日で最後にする」
宣誓の言葉を口にして、アルダレスは自分を包む腕に手を添えた。
「でも今は、今だけはもう少しこのままでいいか? どうにも今は、一人でいるのが寒くて仕方ない」
「ええ、例え本物の家族じゃなくても、私は今も昔も……これからもアルのパートナーだから、ね」
それきり会話が途切れた二人の間に入っていくことができずにアーティアは頭上に広がる空を見上げる。
その日の夜空は、いつも見ているそれよりも遠くに感じた。




