第三章《密計の見世物小屋(コンスピラシー・サーカス)》 6
強い風が窓を叩く音に起こされた。そのことを憤るでも嘆くでもなく、アルダレスはただ深い息を吐いた。
「何故、今になって昔の夢を……」
あれは自分の周囲が平和だった頃の夢だ。誰もが戦争の最中だというのに希望を持って生きていた頃の、幸せだった時の夢だ。
この十年間、当時の夢を見たことはなかった。無論、あの約束という名の誓いを忘れたことは片時もないが、それでもそのことを夢に見たのは今宵が初めてのことだった。
むしろ、これまでの生活を思えば毎晩のように見てもおかしくはなかったというのに。
「いや、今だからこそ、か……」
就寝前のナターシャとの会話を思い出し、合点する。彼女にあの話を打ち明けたからこそ、今の自分たちの原点ともいえるあの誓いを夢に見たのだろう。
彼女やあの子が自分から離れていくことになろうと、自分とナターシャ、そしてあの子の三人にとっての始まりは間違いなくあの口約束なのだから。
「と、いかんな。思考がネガティブになっている」
揺れる窓に映る自分と目が合い、妙な感情を持て余して溜息を吐くと、寝台から立ち上がり部屋を出る。
進む足は当然のように住宅部分の厨房へと進み、保存庫――勇輝が言うところの冷蔵庫から響力機関によって冷えた響留酒の瓶を取り出して、器に注ぐことなく口をつけた。
響透酒よりも遥かに辛く、含有する響素も強烈な飲料がアルダレスの喉を焼く。しかし、今はその感触が心地良かった。
「響透酒より響留酒に頼るようになったなんて、俺も歳を食ったもんだな……」
裏口の扉を開き、庭先へと歩み出たアルダレスは身体の火照りを曝すように息を吐く。
「思い返してみれば、手元に残ったのはそう多くないんだよな」
十年前に王から渡された大金は旅の途中に立ち寄った村で王の言葉通りにその殆どを使い切ってしまった。残った僅かな金は万が一に備えて備蓄の割合に含まれてはいるが、喫茶店の利益で築いてきた貯金の一割にも満たないだろう。
「それだけが、俺が騎士だった証拠か。金目当てで騎士になった奴を嫌ってたってのに、それだけが自分の誇りの証明ってのもおかしな話だな」
自嘲気味に呟いて酒瓶を傾ける。こうなった事に後悔は微塵もない。ただ、昔日の自分が抱いた理想と現在の己を取り巻く現実に皮肉を感じたというだけだ。
「そんなことを考えていたって意味もないんだけどな……今の俺は、この町の自警団長で喫茶店の店主。それだけだ。それだけで、十分幸せなはずだ……そうだろ?」
「……」
問いかける言葉は自分の心に向けたものだ。決して、扉の向こう側で自分と同じように杯を傾けているであろう彼女に宛てたものではない。
「だけど、そうも言ってはいられない。いつまでも〝このまま〟の生活を続けるなんてできやしないんだ。これまでの十年が無事に過ごせたとしても、これから先も同じだとは思えない」
思い出すのは先日の事件。未だ町に爪痕を残す事件を起こした者たちと同質の存在が再び襲って来ないとは思えない。
「いや、次は必ず来る。その時中心にいるのはきっと、勇輝やアティたち若い連中なんだろうけどな」
漠然とした確信を持って空を見上げる。視線の先に浮かぶ六つの月を眺めながらアルダレスは胸に宿る確かな予感を胸に抱く。
「勇輝がファーレシアに来たことが引き金となって事態は動いていく。それが良いことなのか、それとも悪いことなのかは誰にもわからないだろうさ。それでも――」
言葉をそれ以上は続けず、酔いの回った頭で半開きになった扉を眺める。扉の向こうに人影はなく、人の気配も既にない。
「いや、こういうことは無言で実行がスマートだよな」
不意におかしくなって、口許を綻ばせながら、アルダレスは自分の部屋へと足を向ける。
それでも、アルダレス=ファンディエナにとって決定的な選択もまた、そう遠くない未来に待ち構えている。そんな予感を握りしめて。




