第三章《密計の見世物小屋(コンスピラシー・サーカス)》 3
アルダレスのための「ナターシャご機嫌取り作戦」が発案された一時間後、三人は巡回から帰った自警団員にサーカス観覧の話をしてファンディエナ夫妻が営む喫茶店『セピア』へと向かっていた。
「なあ、俺たちがついていく必要はあるのか?」
アルダレスには聞こえないほどの声でジュリオへと問いかけると、彼は静かに肩を落とした。
「だって、今の団長だと致命的な失言しそうな気がするし……僕らでフォローしておかないとナターシャさんの不機嫌が思いもよらないところから僕らに襲ってくるよ」
ジュリオの愁いを帯びた声音は十年間の経験が生んだ不安の色を強く見せている。彼らと長い付き合いである先達の言葉には従っておいた方が無難であろう。
「なるようにしかならないと思うけどな」
呟いた言葉にジュリオは苦笑する。その笑みの裏にフォローを手伝えという意思が見えていたので、軽く手を挙げて承諾の意を示しておく。
無駄話を終えて間もなく目的地に到着し、店の扉を開けるとドアベルの乾いた音が店内に響いた。
「いらっしゃいませ……ああ、勇輝にジュリオ。ホントに噂をすれば影ね」
「こんにちは、ナターシャさん」
アルダレスに一瞥をくれた上でわざわざ無視したナターシャに挨拶すると、彼女が座っていたテーブル席に見知った二人の顔を見つける。
「あれ、アティ? それにエミリーも来てたのか……マーテルは?」
「三人ともお仕事お疲れさま、マーテルならそっち」
アーティアの指差した先に目を向ければ、ファンディエナ家の自宅から持ち出したのであろう長椅子に横たわって昼寝に勤しむマーテルの姿があった。
「なるほど。眠りも深いし、余程うるさくしなければ起きないか。でも、マーテルまで連れて来て何を話してたんだ?」
「今の時期の話題といえば二つしかないでしょ。まあ、私たちがしてたのはこの前の買い物の話だけどね」
「ああ、なるほど」
それで勇輝たちのことも話題になったということか。最近の大きな出来事の一つなのだから、先程まで自分たちが話していたのと同じ話題というのも必然だろう。
「僕たちもさっきまで同じことを話してたよ」
「行動パターンはどっちも同じってことね」
ジュリオの言葉に肩を竦めてエミリーはまだ湯気の立つ紅茶を喫した。
「まぁ、アティがお金を使いすぎたっていう話や勇輝がどこかの誰かさんよりもずっとしっかりしてるっていう話をしてたところだけどね」
ジトっとした目で自分を睨むナターシャからアルダレスは目を逸らす。その頬に冷や汗が伝うのを見て、彼女は満足げに息を漏らした。
「けど、まあ……そろそろ許してあげようかしらね。十分反省したわね、アル?」
「え? あ、ああ。二度と可笑しな真似はしないと肝に銘じる」
呆けた表情をしながらも間を置かずに返答するアルダレスの姿に慣れを感じながら、勇輝はアーティアの隣の椅子へと腰かけた。
「よかった。これなら、あの話もすんなり通りそうだな」
「あの話?」
「詳しいことはこれから団長が話すけど、みんなでサーカスを見に行くって話だよ。ちょっとした企画があってさ」
「今、団長が話してることに耳を傾けてみればわかるよ。始まったから」
ジュリオの指摘に三人は口を閉じてアルダレスとナターシャに意識を集中する。
「――それで、だなナターシャ。今来てるサーカスのことなんだが……興味、ないか?」
「サーカス? 興味ならあるけど……アル、自分は興味ないからサーカスの分まで買い物にお金使って楽しむって言ってなかった?」
呆れた顔で自分を見るナターシャにアルダレスは一瞬黙る。その刹那で自らの言動を思い出したのか、慌てたように手を振った。
「たしかに言ったが……そう、自警団の人間には特別に無料サービスが出てな。折角無料にしてもらったなら行くべきだと思わないか?」
「あのね、アル。それはアルたちが無料なだけで私の分まで無料ということじゃないのよ? 昨日の買い物で結構使っちゃったし、無駄な出費なんてできないでしょ」
呆れたように嘆息し、ナターシャはアルダレスを静かな声で諭す。しかし、ここまではアルダレスの想定通りに事が運んでいた。
「大丈夫だ。お前とマーテルの分なら俺の小遣いから払ってもまだ余分がある。こんな機会でもないと散財などしないから溜まっているのは知ってるだろう?」
「だけど……」
「行ってあげてください。口では言わないけど、団長は日頃お世話になってる感謝のつもりで誘っているんですから」
アルダレスの説得に対しても渋るナターシャの姿に、助け舟の必要性を感じて勇輝は口を開いた。
「実際、お金に困るってわかっているなら団長だって無茶は言わないでしょうし、それはナターシャさんもわかってますよね?」
「まあ……勢いでものを言う時もあるけど、現実は見てる方かしらね?」
頬に手を当てて答えるナターシャの瞳が揺れる。その表情からあと一押しであることを直感し、アーティアに目配せすると、彼女は勇輝の意図を正確に理解して頷いた。
「それならアルさんの感謝の形を受け取ってあげられますよね。結婚してからもそういう心遣いができるなら素敵じゃないですか」
「え、ええ……そうね」
本心から言っているだろうアーティアの言葉にナターシャは一瞬だけ顔を歪めて頷いた。
「それじゃ、行こうかしら……だけどいつ行くの? 今日、は少しタイミングが遅いし、明日かしら?」
――ナターシャさん?
垣間見えたナターシャの苦しそうな顔を不審に感じたが、彼女は次の瞬間にはいつも通りの優しい表情でサーカス行きを承諾している。
――気の所為、か?
「ああ、明日の夜にでも行こうと思ってる。勇輝たちも行くだろうが、全員で一緒に行くか?」
「え? あ、はい、そうですね。俺はそれでいいです。アティもいい?」
アルダレスの問いかけに、探るような思考から意識を持ち上げて頷くと、傍らの少女に振り返る。水を向けられた彼女は困ったようにその手を頬に当てた。
「え、私は……えーと」
若干沈んだ表情で笑うアーティアに肝心なことを話していなかったのを思い出し、勇輝は彼女の肩に手を置く。
「そっか、言ってなかったな……アティの分のお金は俺が払うから大丈夫だ。俺は買い物でもそんなにお金使ってないし、ここに来てからアティには世話になりっぱなしだからさ。たまには感謝のお礼でもさせてくれよ」
「勇輝……嬉しいけど、そんなこと気にしなくていいよ。ナターシャさんじゃないけど、もしかしたらお金が必要な時が来るかもしれないでしょ? その時のために取っておくべきだよ」
やんわりと断るアーティアの言葉に、勇輝は首を振る。心から勇輝のことを考えてくれている彼女に感謝しつつ、勇輝はその蒼い眼を覗き込んだ。
「今だってその時だよ。こういう時でもないと目に見えるお返しなんてできないし、何より俺の精神衛生上良くないんだ。だから、俺を助けると思って今回は頼ってくれよ」
「だけど……」
もともと行きたがっていただけあって心は大分揺れているだろうが、頑固なところのある少女は先ほどのナターシャを連れてきたように渋る。それが勇輝のことを想っての行動であるだけに勇輝の説得だけではこれ以上動かないだろう。
「アティ、ここは勇輝の好意に甘えておく所よ。どこかの弟みたいに誰も誘わない人間だっているんだから……いいなぁ、愛されてるわね」
「あ、愛?」
「いや、愛とかそういうのとは違うけど。でも、折角だから俺はアティと一緒に行きたい。だからこれは俺のためでもあるんだ……一緒に行かないか?」
カップを片手にウインクするエミリーに突っ込みを入れてアーティアを再度誘いかけると彼女は微笑んで頷いた。
「はい。お願いします……ありがとう、勇輝」
そんな二人のやり取りを見ながらテーブルの上にあった茶菓子を摘んでジュリオはしみじみと呟いた。
「微笑ましいなあ。っていうか姉さん、僕は誘わないとは一言も言ってないし、僕が言わなくても一緒に来るんでしょ!」
「あら、誰も私のことを誘えとは言ってないでしょ? 普段は銃の調子が悪くなったらアリアに世話になってるのに、そんな幼馴染のことも忘れたのかしら」
「あ……お、覚えてたし、後で声をかけるつもりだったよ」
「これは忘れてたな」
あのアリアがサーカスに興味を示すとは思えないが、思い出した以上ジュリオも彼女に声はかけることだろう。今夜も自動車製作の過程を覗きにアリアの家に顔を出すつもりだったが、勇輝から切り出す必要はなさそうだった。
「ちゃんと覚えてたってば……ほんの少し意識からこぼれてただけだよ」
「それを世間一般じゃ忘れてたと言うんだけどな……まあ、あの二人も仲直りできたようだし、今回の目論見は成功してるわけだ。それでいいじゃないか」
「そうだけどさ……」
ジュリオの言葉に苦笑しながらアルダレスたちを見れば、今日までの険悪な雰囲気は微塵もなく、いつもの二人に戻っている。勇輝の視線を追ったジュリオも不満気ながらも同意した。
「それにしても……団長って本当に所帯持ちなのか? 俺たちに相談してきたこともだけど、普通夫婦喧嘩の相談なんて俺たちにしないだろ」
「うーん。たしかにアルさんは恋愛事に関しては昔から子供っぽいところがあるよね」
「アティ、あなたは人のこと言えないからね」
「う……なら、エミリーは詳しいの?」
エミリーの素早くい指摘にアーティアは言葉を詰まらせ、非難の眼で彼女を見る。その眼差しを余裕の態度で受け止め、エミリーは手にしたカップをコースターに乗せた。
「アティよりはわかってるつもりだけどね。多分あの二人、本当は結婚してないんじゃないかしら……」
「はぁ? そんなはずないだろ。姓は同じだし、プロポーズは団長がしたって言ってたぞ」
数時間前に聞いたばかりの情報を口にして否定するが、エミリーはやれやれと言わんばかりに首を振る。
「それ、多分嘘じゃないかしら。そもそもあの二人、夫婦って言う割には結婚指輪してないし、なんか空気が作り物っぽいというか」
「ね、姉さん、気持ちはわかるけどそれはちょっと想像力ありすぎだよ。あと、もう少し声抑えて。折角仲直りしたのに聞こえちゃうよ」
「あ……そうね。迂闊だったわ」
「気遣いはありがたいけど、聞こえてるわよ。失礼な妹分たち?」
カウンターから聞こえるナターシャの声に、エミリーたちの表情が凍りつく。振り向けばカウンターに肘をついたナターシャが嘆息していた。
「エミリーだって耳年増なだけで恋愛経験はないでしょうに失礼な……そもそも、ここは喫茶店で、指輪なんかしてたら邪魔になることもあるでしょうに……」
「え? でも団長も指輪してないんですけど」
「おいおい、俺はここの店主だぞ。できるわけないだろ」
ジュリオの指摘にアルダレスは苦笑する。ジュリオの中でのアルダレスの立場は自警団の団長というイメージで固定化されていると予想したのだろう。
「それにあなたたち、28時間フルタイムで私たちのことを知ってるわけじゃないでしょ? 私たちだって人が見てないところでいろいろしてるのよ」
「いろいろ……」
「してる……」
「あら? なにを思い浮かべたのかしら……お姉さんに教えてくれるかしら?」
ナターシャの言葉に何を思い浮かべたのか、クレッシェント姉弟は揃って顔を赤くする。そんな二人をからかいながらナターシャは笑う。
「でも! やっぱりそういうのって大切だと思うの。女の子にとってお嫁さんって特別なものだし……二人みたいに素敵な夫婦ならやっぱりちゃんとしていて欲しいと思うのはおかしい?」
「おかしくはないけど、困ったわね……アルはどう思う?」
「……」
「アル!」
「ん? あ、ああ。そうだな、仕事の関係上難しいだろうが、前向きに検討するか。指輪がないわけじゃないからな」
「……それ、あなたの両親の形見でしょ」
溜息を吐くナターシャが呟いた言葉はその場の誰も聞き取ることはなく、エミリーはアルダレスの頼りない発言に不貞腐れていた。
「……」
「アティ、どうかしたのか?」
「え!? あ、ううん、なんでもないの」
ナターシャの笑顔をじっと見つめながら黙るアーティアに声をかけると、彼女はハッとした表情で勇輝に振り返り、笑って首を振った。
「そう、か? なんでもないならいいけどさ」
若干引き攣ったその笑顔に違和を感じながらも、アーティアの雰囲気からそれ以上は踏み込めず、その日は徐々に暮れていった。




