第三章《密計の見世物小屋(コンスピラシー・サーカス)》 2
勇輝とジュリオが奏術の訓練のために談話室を後にして二時間ほどが過ぎた頃、長時間の集中で流した汗を拭きながら二人が談話室へと戻ってくると、アルダレスは武器庫から持ち出したと思われる古い武具を広げて整備をしていた。
「ん、訓練はもう終わりか。何か飲むか?」
「いただきます。ってか団長、まだ残ってたんですか?」
「行商の影響もあって客足は遠いし、店はナターシャだけでも回せるからな」
アルダレスの趣味で常備されているコーヒーサイフォンに湯を足しながら、アルダレスは苦笑する。その笑みの裏にはまだ帰りたくないという感情が見えている。
「つまり結局、ナターシャさんを誘う文句とかは考え付かなかったと?」
「……あの状態のあいつには何を言っても逆効果な気がして、な」
棚から取り出したカップにも湯を淹れながら溜息を吐くアルダレスに勇輝は首を傾げた。
「今までどうしてたんです? なにもこれが初めてってわけじゃないでしょう」
「こういう時は逆らわずにあいつの言うことを聞いてれば数日で機嫌が直る。これまではそれで通していたからな……こういう時に何と言うべきかがわからん」
眉間を指でほぐしながら発するその言葉は勇輝の常識でもって言えば既婚者のものとは思えない言葉だった。
「正直、プロポーズと比べればそういうのって慣れてるものなんじゃ……結婚前にだってデートの一つや二つしたことはあるでしょう?」
「いいや、ない」
信じがたい言葉を返すアルダレスに絶句しつつ、勇輝はジュリオの様子を窺う。彼の表情が強張り気味であることから見て、ファーレシアでの恋愛事情が勇輝の知るものと大きく異なるということはなさそうだ。
「なら、団長はどうやってナターシャさんにプロポーズを……って、まさかナターシャさんから?」
「いや、それは俺だ。ただ、広く知られるそれと俺たちのそれはなんというか……毛色が違ってな。気合を入れる必要もなかったというか……」
煮え切れない様子のアルダレスの姿に、勇輝は隠すことなく首を傾げた。ジュリオも同様に合点のいかない顔をしている。
「ようするに結婚してようとわからないものはわからない。怒ったナターシャさんと対等に話せる自信がないっていうことですか?」
なにを要約したのかは自分でも不明だが確認を取ると、アルダレスは深く頷いた。その姿に、この男はこんなに情けない人間だっただろうかと疑念を抱く。
「あの、別に誘うことそのものを恐れてるとかではないですよね?」
「ああ。何と言って誘うべきか、その文句が思いつかないだけだ」
ジュリオの問いに真顔で答える彼に対して、なぜ自分が年上に対して恋愛相談じみたことをしているのかと自問しつつ、アルダレスが自然にナターシャを誘う文句を考える。過去に読んだ小説や漫画からそれらしいものを抜き取っていくと、最終的に残ったのは折衷案のようなものだった。
「それじゃ、こうしましょうか。自警団の人間は全員が慰安を兼ねてサーカスの観覧に行く。今日は……午後の見回り担当の人たちに行ってもらって、明日は俺たちで行くことになった。慰安とはいえ、日頃のお世話になってる人に感謝を伝えるために自警団以外の人と行くことを推奨していて、団長はナターシャさんを誘うことにした。サーカス代は……各自パートナーの分もそれぞれ団員が払うという形で」
この案ならばある程度自然に相手を誘うことができる上に、それとなくナターシャの機嫌を取る文句も含まれているはず。そう確信して提案すると、アルダレスとジュリオは揃って頷いた。
「それが一番丸く収まりそうだね。飾ったこと言っても訝しまれたら多分終わりだし」
「ああ、それなら恐らくナターシャも態度を改善してくれると思う。すまないな勇輝、ジュリオ」
それほど畏まった礼ではなかったが、アルダレスの言葉には真剣に悩んでいたことを証明するような響きが含まれていた。
「そんな……礼を言われるほどのことじゃないですよ。俺だって団長たちをダシにしてアティを誘う口実にするつもりですからお相子ですよ」
思い返してみれば行商団での買い物に熱を入れていたアーティアは結構な出費をしていた。ああ見えて少し間の抜けたところがあると知るきっかけにはなったが、その影響で「サーカスは観に行けないかもね」と寂しそうに笑った彼女が金銭を気にすることなくサーカスを楽しむ方法を勇輝も密かに模索していたのだ。
「あ、そうだ。こっちは俺の都合で悪いんですが、団員の観覧費用はサーカスから無料にしてもらっているということにしておいてください。下手に漏れるとちょっと困るんで」
「わかった。というか、巻き込んでいるのは俺だからな……全員分の費用は俺が出そう。まだ俺自身の小遣いで賄える額だ」
淹れ終えたコーヒーをテーブルに置きながら太っ腹なことを言うアルダレスの様子が、いつもの調子に戻ってきたと実感しながら勇輝は首を横に振った。
「俺とアティの分は自分で出しますよ。さっきも言った通り、俺の都合も相当な割合で含まれてるんだから。浮いた分はマーテルの欲しいものでも買ってあげてください」
「う……勇輝が断ると僕まで断らないと悪い気がしてくるんだけど?」
コーヒーカップを口許に近付けたまま呻くジュリオの姿に勇輝とアルダレスの笑い声が談話室に響いた。
アルダレスがジュリオ達の分も支払うと笑いながら、三人は穏やかな気持ちで休息の時を過ごしていった。




