第二章《変事の予兆》 7
少し歩けば辿り着く町の明かりが僅かに届く夜闇に、篝火が揺れている。
「いよいよ、本番ですか。一週間で済ませられれば重畳ですかね……」
呟きながら向ける視線の先には、これから自分たちが雑技団として入り込むべき商業都市が存在している。
「座長。テント設営、完了いたしました」
背後から聞こえた声に振り返れば、褐色の肌を持つ部下の赤い瞳が自分の姿を映している。
「ご苦労様です。明日も一働きしていただきますので、皆もゆっくりと休息を取るようにと伝えてください」
「了解しました」
「ああ、それとマレウス君。君は後でニェウさんとフレグス君を連れて来てください。私はしばらくあの町を眺めていますから」
走り去ろうとする部下に指示を与えて再び視線を町の影へと向けると、部下の足音は遠くへと消えていった。
「他国に消えたと考えられていたというのに、まさかこんなにも近くに居たとは……灯台下暗しとはこのことですか」
十年という歳月をかけて探索しても見つからなかった標的が、馬を走らせれば五日程度の町に潜んでいたことに苦笑する。その可能性も考慮に入れて捜索したはずだが、どうやら〝連中〟はかくれんぼが殊の外上手らしい。
「いえ……彼が一枚噛んでいると考えるべきでしょうね」
十年前の〝連中〟と親しく、現職の騎士団長という立場にある男の顔が脳裏に浮かぶ。恐らくは彼こそが十年という月日を〝連中〟にとっての安寧に仕立て上げたのだろう。
「困ったものです……」
表立った捜索は十年前に死亡したという報告と厳重な検証の末に打ち切られたため、今回のことで彼を立件することはできない。策を弄して陥れることは可能だが、彼の持つ人徳を考慮すれば下手に手を出すことで自分たちの計画に支障をきたす可能性もある。
現状では、カイオス=レオンハザードという人物を即刻にでも失脚させることは非合理的な判断なのだ。
「とはいっても、この作戦が成功すれば手の打ちようもあるのですがね」
「作戦って言っても、曲芸師の真似事でしょ? つまんない仕事」
馬鹿にするような声色で投げかけられた言葉に振り返れば、手入れのされていない傷んだブロンドの髪を振り乱しながら一人の女性が歩み寄ってきた。
「ニェウ姐さん、ダメだよ。義父さんがいろいろ考えたことなんだから口出しちゃ」
「アンだって? なんか文句あんのかいフレグス!?」
「べ、別に……ないけど」
怯えた表情を張りつかせた青年――フレグスの頭をかきまわし、女性――ニェウはその鋭い瞳をアントニオに向けた。
「ようやく久しぶりに暴れられると思ったらサーカス? ふざけんじゃないわよ。アタシもあの子もお遊戯がしたいなんて言った覚えはないんだけど!?」
「ええ、存じていますよ。ですから、最終的には暴れてもらうことになります。マレウス君にも、もちろんフレグス君にもね」
傍らに縮こまる青年に笑いかけると、フレグスは小さく頷いた。
「ぼ、僕は義父さんの役に立てるなら何でもするけど……」
「ありがとう、フレグス君。君のお手伝いがあれば百人力です」
「っは! なにが義父さんの役に、よ。男のクセに言うことが小せぇのよ!」
ニェウの乱暴な物言いにフレグスの背が再び縮こまる。人並み外れた美女なのだが、その言動や手入れのされていない外見が全てを台無しにしていた。
「まぁまぁニェウさん、そのくらいで……これから大切なお話をするのですから、フレグス君を疲れさせないでください。ところで、マレウス君は?」
「ここに」
簡潔な返答に視線を向けると、闇夜に紛れていた褐色の肌が浮かび上がる。マレウスの姿を視認して舌打ちをするニェウと胸を撫で下ろすフレグスに苦笑しながら、アントニオは懐から一枚の似顔絵を取り出した。
「こちらが、今回の標的です。生け捕りが最優先目的ですからぎりぎりまでは殺してはいけませんよ、ニェウさん?」
「わかってるよ!」
「だ、だけど……ホントにできるのかな? あの町って優秀な自警団があるんだよね?」
不安げなフレグスが口にした疑問に、マレウスは彼の肩を叩きながら頷いた。
「たしかにサーベラスの自警団の練度は近隣都市のそれとは比較にならぬほどに高いと聞きます。それに加え、今のサーベラスにはラティス・マグナが召喚されたという情報もありますから」
マレウスの言葉に頷きつつも、アントニオは口元に笑みを浮かべた。
「厄介なことですね……サマリル卿であっても大した戦績を上げられぬほどの手練れたち。それも伝説的存在がいるとなれば面倒も倍、ですかね……まぁ、できないことはないでしょうが」
再臨した伝説を相手に手持ちの軍勢で勝利することができないのは間違いないだろう。
しかし自分たちに課せられた仕事は彼を打ち倒すことではなく、それ故に成功させることは不可能でない。
「そのために私たちが来たのですからね」
〝魔人の頭脳〟の異名を持つ自分が現場で指揮を執り、〝複数からなる魔人〟こと彼ら魔軍独立部隊の精鋭が作戦を実行する。正攻法以外の戦い方で成功を収めていくことを得意とする自分たちならば、今回の作戦は必ず成功する。
「そのためのおさらいです。今回の作戦で注意すべき人間は三人。一人は言うまでもなく伝説のラティス・マグナ。彼の相手は人間では難しいでしょうからニェウさんの担当となりますが、よろしいですか? 死ぬかもしれませんよ?」
「モチ。こっちがヤッてもいいんでしょ?」
「お任せします」
猛る美女に頷いて、地面に斧槍と銃を簡略に描く。
「残りは自警団長のアルダレス=ファンディエナ。名前から判断しても十年前の騎士団長ですね」
斧槍の絵に丸を付け、そこからマレウスの方向に線を引く。
「彼の相手はマレウス君に任せましょう。規格外の相手ですので足止めだけで構いませんが、やれますか?」
「命令とあれば」
「結構」
続いて銃の絵に丸を付けてフレグスの方向へと線を引いた。
「最後に、銃士の少年が一人。とある筋からの報告によれば銃に剣を仕込んだ変わった戦い方をするそうです。銃士ということですのでフレグス君には期待したいのですが?」
「う、うん、大丈夫。義父さんのために頑張るよ」
「お願いしますね。期待しています……そして、あなた方が足止めをしている間に残りの団員を獣魔と私が仕留めつつ標的の拉致を遂行します。他の隊員たちは事前通達通りに動いてもらうようにお願いしてあります。撤退の合図はいつも通りに」
『了解』
「では、解散です。各人、疲れをとって明日からの〝興行〟に備えてください」
アントニオの声で夜闇に紛れての作戦確認は終了する。三人の足音を背にしながらアントニオは再びサーベラスの町へと視線を向かわせる。
「お手並み拝見と行きましょうか、ね……」
愉悦の混じった声音は、夜闇の風に溶けていった。




