第二章《変事の予兆》 6
「ここだ。覗き穴まで再現しているとはさすがアリアだな」
「団長、実はここの元ネタに行ったことがあるんじゃ……」
頭上で交わされるどうでもいい小声の会話を聞き流し、勇輝は脱出のための試行錯誤を重ねていた。
タオルで作った猿轡まで噛まされ声もあげられず、水によって拘束されているので聖剣で切り払うこともできないという八方塞な状況で既に二〇通りの悪足掻きは徒労に終わった。
――何か、脱出が無理でもアティやエミリーに知らせる方法でもあれば……。
現行犯二人を止めるという案は既に棄てた。今の二人を止めるのは自分には荷が重い。次善の策は女性陣に危機を知らせることだが、それすらも現状では難しい。
「さて、と。それじゃ、ジュリオから行け」
「了解です」
勇輝の健闘もむなしく、ジュリオが覗き穴から女風呂を覗きこんでしまった。既に事は成されてしまったのだ。
――止められなかった。ごめん、アティ……。
友人が遠いどこかへと行ってしまったような寂寥感と女性陣への申し訳なさに心を痛めていると、頭上でジュリオの困惑した声が上がった。
「あれ? 団長、誰もいないんですけど」
「なんだって? 気配は確かに……代わってくれ」
身体の位置を入れ替えてアルダレスが穴を覗き込むが、彼の表情もまたジュリオ同様に曇っていった。
「いない、な……どういうことだ」
「――誰がいないって?」
『!?』
突然聞こえた声に、油の足りない機械が動く音が聞こえそうな動きで振り返った二人の視線の先に、勇輝が見たこのない笑顔を浮かべたナターシャが立っていた。
「ど、どうして?」
砂時計の砂が一気に流れ落ちる音が聞こえそうな具合に顔色を変えながら、ジュリオはやっとのことでその一言を絞り出した。
「それは、どうして女風呂にいる子たちが見えないのかと聞いているのかしら? それともどうして覗きがばれたのかということ?」
「や、あ、その……」
ナターシャから放たれる殺気にも似た強烈な威圧感に圧されたジュリオにまともな受け答えはできず、アルダレスに至っては信じられない量の汗を流しながら硬直している。
「その疑問にはきちんと答えてあげるけど、私もひとつ聞きたいわ。ねぇジュリオ、こんなことをしようと言い出したのはアル? それともあなた?」
「う、え、あ……」
助けてくれという視線が投げかけられたが、生憎と猿轡をされて拘束されているので弁護のしようがない。せめて拘束を解いて欲しいものだが、当人はそれどころではないようだ。
「勇輝が発案者? 嘘はダメよ。正直に話さないと後が怖いわよ」
「だ、団長です……」
「そう、ありがとう」
冷たい声色の一言を口にすると、ナターシャはアルダレスに向き直って彼を見下ろした。
「何か言いたいことはあるかしら? 言い訳をしてもいいのよ?」
「……イエ、ナニモアリマセン。ゴメンナサイ」
「よろしい。ジュリオ、疑問の答えは後ろにいるお姉さんに聞きなさいな」
言い置き、ナターシャは一房に纏められたアルダレスの髪を掴み、更衣室へと歩き出した。
「待った! 悪かった! 反省してる! だから勘弁してくれ!」
「ふふふふ、大丈夫よ、死にはしないから」
「嫌だ! 助けてくれぇぇ!」
二人の姿は扉の向こうへと消えていった。
「二人が行ったところで、こっちもお話ししましょうか、ジュリオ?」
「……ね、姉さ――うわっ!」
振り返ろうとした顔を蹴り飛ばされ、とても痛そうな音を立ててジュリオは石畳に張り倒された。
「折檻の前に、あなたの疑問に答えてあげるわ。心残りがあるまま逝ってしまうのは可哀想だもの」
的確に関節を足で踏みしめ、ジュリオが逃げられないようにした上での死刑宣告。その声音の冷たさに、他人事ながら嫌な汗が勇輝の背中に滲んだ。
「まず一つ目、そこから私たちを覗いても見えなかったのは、私が赤色と青色の奏術を複合させて大気を歪めたからよ。試作段階だけど、上手く機能して何よりだわ」
エミリーの言葉通りに考えるなら女湯に蜃気楼の原理を応用した光学迷彩を張ったということだろうか。こんなくだらないことで奏術の汎用性を知ることになるとは思ってもいなかったが、純粋に勇輝は感心した。
「そして二つ目、どうして覗きがばれたのかだけど、これはタッチの差だったわ。アリアから覗き穴を作っていたという事実を聞き出して、念のために私が奏術を使い、ナターシャさんが隠れて見張るという行動をとった直後にあなたたちが来たのよ」
「そんな……でも団長がナターシャさんに気付かないなんて」
「ナターシャさん曰く、アルさんよりも隠密の能力は高いという話よ。確かに戦闘では常識外れに強い人だけど、奥さんに劣る部分もあったということでしょ……さて、と」
関節を強く踏んでいた足を離してジュリオの側にしゃがむと、エミリーは静かに笑みを――先ほどのナターシャのものと同種のそれを顔に浮かべた。
「ジュリオ、どうしてほしい? 打撃、関節、火、水、薬、どれでも好きなものを選んでいいのよ?」
「ひぃっ! 許して!」
「え、全部? 欲張りさんね、もう」
「嫌ぁぁ!」
断末魔のような叫びを上げて、ジュリオはそのまま気絶した。そんな弟に対して確認の意味を込めて笑顔のまま蹴りを入れる姉の姿はどこか恐ろしさを感じさせる。
「……ホントに気絶しちゃったのね。折檻は家に帰ってからでいいかしら。それじゃ――」
「んぐ!?」
自分の方に振り返ったエミリーの姿に勇輝の背筋が冷える。自分も覗き犯として処理されてしまうのだろうか?
「うん? ああ、心配しなくても勇輝は無実だってわかってるわ。すぐに拘束を解いてあげるから……アティ、もう来てもいいわよ」
「いいの? それじゃ、行くよ」
衝立越しの声が聞こえた直後、アーティアがエミリー同様に身体にタオルを巻いただけの無防備な姿で現れた。
「んがが!?」
「大丈夫、今解くから――えい!」
こちらの驚愕を解さずに勇輝の身体を拘束している水の縄に触れると、アーティアは可愛らしい掛け声を上げた。その声に呼応したように強い光が放たれ、水の縄はただの水へとその姿を戻した。
「……ふぅ、ありがとう二人とも。助かったよ」
自由になった手でタオル製の猿轡を外し礼を言うと、二人は気にも留めずに笑い返した。
「大したことがなくて良かった。あんな状態で頭でも打ってたら大変だったもの」
「弟の不始末だから、礼を言われるようなことじゃないわ……それより、ね。勇輝、この子を連れて先にあがっててくれないかしら? 私たち、こんな恰好なのだし……」
顔を赤らめてエミリーが俯く。その様子に気まずさと気恥ずかしさを取り戻し、勇輝は慌てて頷いた。
「あ、ああ、そうだな! ごめん! ジュリオは連れてくから二人は後から――」
「アティー、ユウキもいる―――わっ!」
その時起きたことは勇輝にとって幸運であったのか不幸であったのか。二人の声を聴いて目が覚めたのか、それとも眠っていなかったのかはわからないが、突然現れたマーテルが躓く。その拍子に何かに掴まろうという防衛本能によって少女たちの身体に巻かれた薄布を握りしめていた。
「……え?」
「……え?」
「…………え?」
ばさり、とタオルが地に落ちる音がよく聞こえるほど静かな一瞬の間。直後に耳に飛び込んできたのはつんざくようなエミリーの悲鳴。
「き、きゃぁぁぁ!」
「うぶぁっ!」
次いで訪れた衝撃に、一瞬で勇輝の意識は刈り取られた。一瞬だけ見てはいけないものを見た気がしたが、次に目覚めた時、その光景は脳内から跡形もなく消滅しているのだった。




