第二章《変事の予兆》 5
「さて、俺たちは女風呂と隣り合わせの男風呂にいるわけだが」
早くも酒瓶を二本空け、風呂の効果と合わせて血行の良くなった顔でアルダレスは不意に口を開いた。
「なんですか突然?」
ジュリオの反応が常時よりぞんざいなのは酔払いの戯言が始まったと割り切っているからだろう。女風呂からやってきたマーテルの髪を丁寧に洗いながら、勇輝は二人の会話に耳を澄ませた。
「実はクレスエント王国騎士団の廃れた風習に女風呂を覗くことで仲間同士の結束を固めるというものがあるんだが……どうだ?」
「はぁ!?」
反射的に荒げた声が漏れた。それでもマーテルの髪を洗う手元を狂わせなかったのは自分を褒めてやりたい。
「飲みすぎて正常な判断能力が欠けてしまったんですか? 勇輝じゃないけど、いろいろと不味いでしょ……殺されますよ」
「まぁ、聞けって」
三本目の瓶の栓を抜いたアルダレスは二人を指差し語り出した。
「確かにナターシャがいるあの面子を相手にするのはリスクが大きい。だが、これは日頃の訓練の成果を試す絶好のチャンスでもある」
「はぁ……チャンス?」
「そうだ。ナターシャを筆頭にしてアティとエミリーはあれで相当勘が鋭い。アリアも獣並みの感覚の持ち主だ」
「そうですね」
ジュリオの言葉に追従するように頷く。たおやかな外見に反して、彼女たち――アリアは知らないが――は勇輝の抱いていた第一印象より実際ずっと逞しい。
「そんな連中に気付かれずに行動できるということは、昔のお前たちよりも格段に強くなったということの証明になる。これからの訓練の指針にもなるわけだ」
「だけど……姉さんの折檻は、怖いし」
「その恐怖を乗り越えるからこそ互いの信頼が強固になるんだ。それにな、一人が怖くても三人でやれば怖くないだろ?」
「……そう、ですね。やってみようかなぁ」
「はぁ!?」
大した意味のない詭弁に納得した様子で頷くジュリオを振り返ると、耳まで赤くした彼の頭がゆらゆらと揺れている。そして、その手には陶磁の杯。
――酒を盛られたのか!?
ジュリオが酒に強い方ではないのは、一月程度の付き合いで十分に理解している。しかし、それでも一杯で酩酊するほど弱くはなかったはずだ。
「団長、何を飲ませたんですか!?」
「これだ。珍しい酒でな、蒸留酒とかいうものらしい」
杯に琥珀色に透き通った液体が注がれている。受け取って口に流し込むと、予防接種の際に散々お世話になった匂いが鼻につき、味わったことのない苦みと焼けるような喉の熱さに激しくむせ返った。
「……アルコールじゃないか。色からして……ウイスキーか? 結構強いぞこれ」
完全に油断していた。ファーレシアの酒といえば濃縮した響素を溶かし込んだ水に果汁を混ぜただけの響透酒が一般的だと聞いたが、まさかアルコールも存在していたとは思わなかった。
「アルコールに酔ったとなると……ジュリオ、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。大丈夫」
思ったよりもしっかりとした受け答えに胸を撫で下ろす。急性アルコール中毒の懸念は杞憂だったようだ。
「それじゃあ団長、勇輝、行こうか女風呂」
「……え?」
突然立ち上がったジュリオの言葉に一瞬思考が止まる。何を言っているんだこいつは?
「待て。ジュリオ、よく考えろ覗きだぞ。普通に犯罪だぞ。団長に乗せられてるぞ」
「そうかもしれない。けど、これは互いの信頼を確かめるためなんだ」
「そうだな。多少やりすぎても、酔った勢いだからしょうがない」
――こいつら、酔ったふりしてるけど素面だろ!
アルダレスは初めから覗きをするつもりだし、ジュリオはあれで結構なむっつりだ。表面的には紳士でも少し押されると傾くバランス具合だからアルダレスに引っ張られやすい。
そんな二人が酒に酔ったという主張をかざしている以上、自分が止めなければ覗きは敢行される。
「くっ! 何とか止めないと」
女風呂にはアーティアもいるのだ。一般的な倫理を除外しても、この二人を行かせるわけにはいかない。……例え命を懸けてでも。
「そもそも、ここにはマーテルがいるんだから二人とも自重してくれ。子供に悪影響を与えるつもりなのかよ」
「マーテル? さっき女風呂の方に飛んで行ったけど」
「え?」
浴場を見渡すが、長い銀髪の子供の姿はどこにもない。どうやら行ってしまったらしい。
「いや、けどマーテルが女風呂にいるなら――」
「眠いって言ってたから一足先にあがってるんじゃないか? もしかしたらアティもマーテルの面倒を見て一緒にあがってるかもしれないぞ。アティがいなければ勇輝も問題ないだろ?」
思考を先読みされた。反対している理由も込みで。
「あ、う……けど、覗きはダメだ!」
「……ふむ、そうか」
やれやれと肩を竦めたアルダレスの言葉に張っていた空気が若干緩む。
「わかってくれたのか?」
「まぁ……仕方ないな、ジュリオ」
「仕方ないですね、団長」
「よかった。それじゃ、俺たちは先にあがろう」
顔を見合わせて頷く二人に対して完全に警戒を解いて背中を向けた瞬間、不穏な呟きが勇輝の耳を打った。
「――高らかに唄え、水の戒め(アクア・バインド)」
「なっ!? うわっ!」
振り返った瞬間に蛇のような水に身体を拘束され、足を滑らせたが頭を石畳に打ちつける寸前にアルダレスによってしっかりと抱えられた。
「これ、青色奏術!? ジュリオ!」
「ごめん勇輝。けど、旅は道ずれっていうだろ? よいしょっと」
「覗きは旅じゃない! 足を持つな、運ぶな!」
第三者に見られたら間違いなく誘拐現場と誤解される状態だ。およそ間違いではないが。
「少し強引だが、たまにはこういうのもいいだろう」
「そうですね、行きましょう」
「だから、やめろって言ってるだろうがー!」
男たちの夜も、まだ少し続く。




