第一章《加速する物語(セカイ)》 3
マーテルを保護した翌日、サーベラス自警団の訓練所には勇輝たち三人の他に、小さな影があった。
「ユーキ!」
「ああ、はいはい。危ないから隅っこの方に行こうか」
――子供は苦手なんだけどなぁ。
何かにつけて勇輝を呼ぶマーテルの相手をしながら、勇輝は内心で苦笑する。それでも苦にならないのはマーテルの聞き分けが良いからだろうか。
マーテルを連れて即席の見学席へと向かう途中、勇輝は数人の自警団員が訓練の最中である所内を見渡した。
昨晩教会に泊まっていったアリアはこの場にいない。なんでも「制作中の響力機関が気になるので家に帰る」とのことだ。アーティアとナターシャも〝セピア″での用事を済ませてから来るらしい。
「退屈かもしれないけど、響透酒でも飲んで待っててくれるか? アティやナターシャさんならもう少しで来ると思うからそれまで……あ、そうだ」
勇輝は念のためにと持参した自分の鞄を探り、目当てのものを取り出してマーテルに差し出した。
「これにマーテルの好きなものを描くといいよ。俺が訓練をしてる間は暇だろうからな」
「うん。ありがと、ユーキ」
マーテルに渡したのは勇輝が日本で使っていたスケッチブックと筆箱だ。一ヵ月近く放置していた荷物の生き残りで美術の授業で使っていたものだが、こっちの世界に来てからの勇輝には必要のない物だ。
シャープペンシルや鉛筆、カラーペンの使い方を教えると、満足げな顔で頷いてペンを握るマーテルから離れてアルダレスとジュリオの場所へと戻る。
「勇輝の持ち物は便利なものが多いなぁ」
「まぁ、文明レベルが違うからな」
マーテルの持つペンが珍しいらしく、ジュリオが感嘆の声をあげる。軽く笑いながら頷いてアルダレスに向き直った。
「それで団長、今日は奏術の訓練なんですよね?」
「ああ。と言っても、俺にはラティス・マグナの聖奏術は使えないからな。奏術の基本と銀系統の第五響階までが精々だ。奏術に関しての書籍はもう読んだか?」
頷く。読書の他にもマティアスに聞くなどして基礎的なことは一通り記憶していた。
「概念と原理だけならある程度は理解できてます。ただ実際に使ってみようと思っても、第一響階に満たない奏術すら使えなくて……」
奏術というものは、その術が持つ難易度によって響階というレベルが存在しているらしく、第一響階とは初歩的な術を指して使われる区分だ。例外として日常生活で使用する奏術も存在し、それらは属性や響階に区分されることもないのだが、子供でも行使できるその奏術ですら勇輝には扱うことができなかった。
「そうか……だが、奏術を扱うにも相性っていうものがある。ラティス・マグナは魔王が使ったといわれる魔奏術以外の奏術を全て使えたと聞くが、まずは聖奏術を使えるようになるのが早道なのかもしれないな」
「けど、汎用奏術って系統分けされない簡単な奏術でしょう? だからこそ子供でも使えるわけだし」
本で読みかじった知識を試すには丁度良いと選んだのだから間違いはないはずだ。難易度が低いという以前の問題だけに自身の才覚を疑ってしまう。
「……えーと、コツが掴めていないんじゃないかな? 子供でも奏術が使えるのはみんながファーレシアで生まれ育ったからなわけで、最近まで触れる機会がなかった勇輝は接し方がわからない……みたいな?」
「一概にそうとも言えんがな。だが、響力機関を使うことはできるんだろ?」
ジュリオの慰めを一蹴して疑問を投げかけてくるアルダレスに声もなく頷く。その様子を眺めたアルダレスが口許に手を当てて黙考する。
「それなら、奏術が全く使えないという線はないな……ならばリミッター、か? 勇輝、今でも響鳴は使えるのか?」
「え? はい、使えますけど……力の調整ができないから、あまり使いたくないな……」
一月前の事件以来、響素を纏うというイメージを鍵として使えるようになった技術は、勇輝の肉体を著しく損耗させる奥の手だ。実戦以外で使うには色々と問題があるものだと勇輝自身は考えている。
「響鳴が身体に負担をかける力だというのは知ってるさ。だが、響鳴はラティス・マグナの持つ力の一部だ。もしかしたら、響鳴を避けるあまりに他の力も抑えているのかもしれない」
だから、響鳴使用と同時にならば奏術を使えるかもしれないと、アルダレスの眼は雄弁以上に語っていた。
「……はぁ、わかりました。五秒だけやってみます」
溜息と共に言葉を吐き出し、左手の中に聖剣を出現させ、正眼に構える。
息を深く吸って自身の身体と周囲に存在する響素の存在を強く知覚する。次第に自分の知覚が肥大し、拡散していく感覚が広がる。
「……鳴り響け!」
言葉と共に鳴り響く音律。それを最後まで聞かずに空いている右手に集中する。
「奏術を扱う上で重要なのは心だ。いいか? お前が願う力の形を思い描け。その心が、お前の願いを叶えてくれるはずだ」
「……心で力を」
心の中で明かりを灯す力を思い描く。炎ではなく、柔らかい光の光球を想起。
「うわぁ!?」
ジュリオの悲鳴に眼を開く。飛び込んできた光景は勇輝の想像を遥かに超えたものだった。
「な、なんだこれ!?」
右手から立ち昇っているのは光の弾などではなく、異常な眩さを放つ光柱だった。
「これ、やばいだろ!?」
慌てて奏術のイメージをカット。同時に響鳴も解除する。甲高い音が響くと同時に光の柱は霧散した。
「なんだよ一体? う……」
響鳴能力の反動による出血が勇輝の身体を襲う。事前に定めていた五秒を超えて持続させたため、予想を超えた出血量だ。
訓練場にいた自警団員の手を借りて壁に寄り掛かり、濡らした布で血を拭き取る。
人前に出ても問題ない程度の身なりになったところで、傍で立ったままのアルダレスを見上げた。
「勇輝、一体何の奏術を使ったんだ?」
「照明ですよ。響階も属性もない、一番簡単なやつ。イメージ通りにはいかなかったみたいだけど」
暴走か否かはわからないが、先程の光は本来の奏術としての枠を超えた何かになっていた。光に照射された訓練所の天板が焦げていることから、熱量も結構なものだったことがわかる。
「照明の奏術があれだけの攻性を? それならラティス・マグナの奏術っていうのは、最底響階が――」
「――本当に、ここはいつも賑やかだな」
「カイオス? もうそんな時間か……」
呆れたような声と共に姿を現した騎士にアルダレスは懐から懐中時計を取り出して時間を確認した。
「まだ少し早いかもしれないが、面倒な仕事は早めに片付けておくに越したことはないと思ってね。それに、アルに話を聞きたいという者もいるんだ」
「俺に話? こんな片田舎の自警団長に聞きたいことなんて想像できないな。そんな酔狂な客っていうのは一体誰だ?」
「見ず知らずの相手に酔狂とは言ってくれるな」
カイオスの後ろから聞こえてきた声に視線を向ける。まだ若い男の――少年の声だろうか。
その場にいるほぼ全員の視線を受けてカイオスは苦笑し、その身を半歩右に逸らした。
カイオスの長身に隠れるようにして立っていた人物がアルダレスの顔をじっと見ている。鋭さを感じさせるその眼差しは、まるで凍った炎のようだと勇輝は感じた。
「紹介するよ。彼の名はアクセル=ファンタズマ。枢機卿の推薦で王国騎士団に顧問剣士として配属されたほどの腕前で、シデン団長のお弟子さんだそうだ」
「あの人の弟子!? だが、俺があの人と会った時には弟子を連れてはいなかったが……」
「師父は俺を置いて行ったんだ。次にまみえた時に果たし合うに相応しい剣士になれと言い残してな」
拳を握りるアクセルの表情から何かを察したのか、アルダレスは頭を掻いて溜息を吐くと応接室へと歩き出した。
「お前が何を聞きたいのかは大体分かったが、それは少し長くなる。カイオス、先に用事を済ませてしまおう。アクセルは……ジュリオ、任せた」
「え? いや、団長!?」
困惑するジュリオの声にも構わずにアルダレスは扉の奥へと消えていき、迷惑にならないようにとアクセルに告げたカイオスもまた勇輝たちに会釈してアルダレスを追って行った。
「……」
「……」
「……」
ジュリオは気まずそうに、アクセルは興味なさそうに、そして勇輝も本能的に関わらないように、三者三様に下りる沈黙。
「あー、そうだな。とりあえず、そこの椅子にどうぞ。すぐに水持ってくるから」
「かまわない。訓練所にいるということは訓練中だろう? 訓練を続けてくれ」
「そういうわけにも……はぁ、わかったよ。勇輝、僕は井戸まで行ってくるから少しだけお客さんのことを頼むよ」
「え? おい、ジュリオ! ……待てよ」
抗議の声もむなしく扉の向こうへと姿を消したジュリオに軽く嘆息し、勇輝はアクセルを振り返った。
「えーと……団長たちの話が終わるまで、そこの椅子にでも座っててくれ。一応職務中みたいだし、酒は出さない方が――なんだよ?」
自分を見るアクセルの視線に明確な敵意を感じて、勇輝は眉を顰めた。
「どうしてお前は平然としている?」
「なんのことだよ?」
問い返す自分自身の声が不機嫌な色を乗せていたことに勇輝は驚いた。同時に自分は目の前の少年に対して謎の不快感を抱いていることを自覚する。
「お前達の失態で町の人間が死んだ。なら、二度とそのようなことが起こらぬように備えるのは当然のことだ。ここの自警団員がそれを理解しているのはこの場の空気でわかる」
言って、場内を見渡すアクセルに釣られるように視線を周囲にめぐらせる。たしかに場内の空気は勇輝が初めてこの場を訪れた時よりも熱く緊迫したものだった。
「水を汲みに行ったあの男もそうだ。表面上は平静を装っていながらも強い克己の心を感じる。あれは武人としての志を持つ者ならばわかる思いだ」
「ジュリオが……?」
「特別な力を持たない者は、それでも前に進む意志を持って動いている。だというのにお前は何故なにもしようとしていない? 特別な力を持つからその必要がないと思っているのか?」
嘲笑するような言葉にアクセルの眼を睨み返すと、敵意に満ちながらもまっすぐな眼差しの奥に冷たい炎が猛っているように感じた。
「それとも……お前にとっては誰かが自分の所為で命を落としても些末事でしかないのか?」
「っ! 違う!」
アクセルの言葉が否定したい昔日の自分の姿そのものを思い起こし、勇輝は声を荒げて否定した。
「お前に何がわかるんだよ! 戦いとは無縁の世界で生きてきて、自分の持つ力の使い方も、正体も、何もわからないまま、その所為で大切な友達を亡くした人間の気持ちがお前にわかるのかよ!」
「理解などできないな。特別な力を持ちながら大切なものを護りきれない愚か者の考えなど、俺には理解できん。生きてきた世界が違う? そうじゃない。お前は〝違う〟。お前の存在はそういう次元からは根本からズレている」
その言葉に。
「――」
なにか、自分という存在の芯の部分を掴まれてしまったような、そんな錯覚を覚えた。
自分自身のことなのに、常に見ているはずなのに違和に気が付かない。そんな朝凪勇輝を構成する核――魂とでもいうべき部分が赤の他人に触れられたような不快感。
得体のしれない怖気に勇輝が身体を固まらせていると、アクセルの視線が不意に外れた。
「だが……そうだな、お前にも同情の余地はあるか」
「……え?」
勇輝に対する敵意は衰えさせぬまま、アクセルはフっと嘲笑した。
「その大切な友人というのはあのマティアス=ランチェスターのことだろう? 大層な実力者だと聞いていたが、所詮はこの程度だ。そんな雑魚を友人に持ったのはお前の不幸だろうな」
「……なん、だと?」
マティアスへの侮辱は勇輝を縛っていた謎の鎖に罅を入れるには十分すぎる効果があった。知らず握った拳は爪が皮膚を破り血を滴らせ、身体の緊張も霧散する。
「そういうことだろう? お前の未熟に巻き込まれた程度で死ぬ愚か者が友人では同情の余地もあるということさ。それでも人を見る目がないと言わざるを得な――」
侮蔑の言葉は勇輝の拳によって最後まで紡がれることを許されなかった。ファーレシアの人間よりも高い身体能力を得た勇輝の力を受けて、アクセルの身体が訓練場の模擬戦闘舞台へと吹き飛んだ。
「訂正しろ。マティアスは雑魚でも愚か者でもない!」
「……フン、事実は事実だ。それとも、お前も奴の同類か――っ!」
甲高い金属音が訓練場に響き渡る。突然の異音に訓練中の自警団員が何事かと勇輝たちを振り返る。
「おい誰か、あの二人止めろ!」
「無理に決まってるだろ! 勇輝と王国騎士だぞ!?」
状況がわからずに騒然とする場内に関心を払うことなく、勇輝は手にした聖剣をアクセルに突き付けた。
「もう一度言う。訂正しろ。マティアスはお前なんかに貶められるような人間じゃない」
「知った事じゃないな。ラティス・マグナなどと囃し立てられて怠惰な日々を送るお前の友人など、大した人間のはずがあるまい」
手にした刀を油断なく構えながらもアクセルは嘲笑う。その態度が勇輝の感情を逆撫でする。
「……何も知らないくせに、ふざけんな!」
「やめなさい!」
荒ぶる感情に従うまま踏み込もうとした勇輝だったが、突然の怒声と共に訪れた冷たい感触に二の足を踏むこととなった。
「冷てぇ……何だ? 水?」
「頭は冷えたかしら、勇輝?」
額を流れ落ちる雫を拭いながら声の方を振り返ると、井戸桶を手にしたエミリーの姿があった。
「何があったか知らないけど、お客さんに斬りかかるなんて論外よ。小さい子が見てるんだからもっと配慮しなさい」
マーテルのことを指して言い放ち、エミリーはアクセルへと向き直る。
「あなたも、こんなところまでわざわざ喧嘩しに来たわけじゃないんでしょう? もう少し穏便に話そうとは思わないんですか?」
「事を荒立てるつもりはなかった。だが、そこの男が斬りかかってきた以上は対応せねばならないだろう」
興が削がれたといった風体で刀を納め、アクセルは視線を交わさぬままに返答する。その態度に感じるものがあったのか、エミリーはアクセルの顔をガシッと掴んで無理矢理に顔を向けさせた。
「人と話すときは相手の顔を見て話しなさい。相手に失礼でしょう」
「っ!? やめろ!」
彼女の突然の行動にアクセルは緊張に顔を強張らせながら顔を固定する手を振り払い、逃げるように距離を取る。
「エミリー、いきなり走らないで……って、どうしたの?」
「姉さん、桶返して……ん?」
先程までとは毛色の変わった空気が場に漂い始めると何も知らないアーティアとジュリオが顔を出し、それとほぼ同時に騒ぎを聞きつけたアルダレス達が応接室から現れた。
「お前達、何をしてるんだ……」
「アクセル! 無礼のないようにと言っておいたはずだろう!」
呆れるアルダレスと部下を叱るカイオス。二人の態度は互いの性格を表すように正反対で、事情を知らないアーティアとジュリオは揃って顔を見合わせるのだった。




