序奏の章《喧騒(シアワセ)を呼ぶ明星(うぶごえ)》 2
その日、サーベラス唯一の雑貨喫茶店セピアに喫茶店としての顔を望むことはできなかった。
入店してくる客は日用雑貨の買い物だけを済ませ、喫茶店としての機能を利用せずに帰る者ばかりであり、最早ただの雑貨店と言っていい状態である。
「今日はいつにも増して不景気ね」
「隊商の一団が出発したばかりだからな。大きな買い物の後だから、財布の紐も固くなるさ」
午前分の帳簿をつけ、頬杖を着くナターシャの愚痴に肩を竦めながら、アルダレスは先日友人から受け取った論文に視線を落とした。
「『聖剣伝説検証論 秘されし史実とラティス・マグナに関しての考察』ね……詳しい資料が欲しいとは言ったが、カイオスもまた堅苦しいのを寄越してくれたな」
頁を繰りながら軽く嘆息し、斜め読みの要領で必要な個所に見当を付けていく。単純な作業だが、挿絵もない学術書であるだけに気が滅入ってくることも事実だ。
「堅苦しいって、古文書の方もある程度見繕ってみたんでしょ? それでも駄目だったの?」
「ああ。勇輝本人に読んでもらったが、特にめぼしい情報はなかったな。一応、訳文にしてもらったが、古代言語より難関なメモが返って来たよ」
言って、勇輝の世界で使われているという言語で書かれた訳文をナターシャに見せる。解読しようと眉根を寄せてメモを睨んでいた彼女も一分後には諦めたのか、首を振っている。
「所々は読めるけど、角張っている文字は読めないわね。多分、この辺りはアマツハラの漢字と同じものだと思うけど」
聖剣や解放という文字を指しながら答えるナターシャに無言で頷き、アルダレスはメモを論文に挟み込んだ。
「本人に朗読してもらった方が早いからな。これは栞に使うくらいしか用途がない……と、そろそろあの二人が来るな」
立ち上がり、四人分の飲み物の準備を始めると、開いたドアに揺られたベルの音が店内に鳴り響いた。
「こんにちは。団長、ナターシャさん。あ、これお土産です」
「あら、ありがとう。すぐに切り分けてしまうわね」
「さすがに今日は誰もいないわね」
店の入り口から聞こえてくる声に顔を向けると、瓜二つの容貌でジュリオとエミリーがナターシャと話しながら店内の様子を眺めていた。
「来たか。二人とも、カウンターにでも座ってくれ。今、茶を出す」
響力機関の火を消してティーカップへ紅茶を淹れると、トレーに乗せてカウンター席の方へと運ぶ。
「あ、アルさん。アティと勇輝は聖域の方に……」
「知っている。今朝、本人たちに聞いた。これは俺とナターシャの分も込みだ」
エミリーの言葉を遮って席に着くと、ナターシャもジュリオ達が持ってきた果物を切り分けて隣に座った。
「多分、今日のお客はもう来ないと思うし、店を閉めても構わないけどね」
「全くだ」
ナターシャの言葉に肩を竦め、アルダレスは静かに茶請けへと手を伸ばした。
「それにしても、もう一月か。月日が経つのは早いな」
アルダレスが感慨を持って呟いた言葉が勇輝のことを指していることに気付き、ジュリオは静かに頷いた。
「サーベラスはあんまり事件の起こらない町ですからね。今回ほどの騒ぎって、僕の覚えてる限りでもアティや団長たちがやって来た時と、父さんが死んだ時、くらいかな?」
「四年前と、十年前か。たしかにこの町は交易都市という割には騒動の起きない場所だからな」
遠い目をするアルダレスに習い、ジュリオもこの十年を振り返る。商業が盛んな交易都市特有のトラブルはあるが、それでもこの一月に勝る出来事はそう多くなかったように感じる。
異世界から来た伝説の勇者に、一歩間違えれば甚大な被害が出ていた襲撃事件、そして疎遠になっていたとはいえ付き合いが長かった幼なじみの死。
「僕は荒廃戦争のことはよく覚えてないけど、四年前の事件が大変だったことは覚えてるよ。この一月はあの時と同じくらい……いや、あの時以上に多くのことが動いてる気がする」
皿の上に寝ている果物の皮を指で弾いて、天井を見上げる。
「勇輝が悪いわけじゃない。そんなことは当たり前だって断言できる。だけどこれから先、ラティス・マグナの伝説みたいに、何か大きな災厄が起こるんじゃないかって、そう思う時があるんだ」
「災厄、ね……今回の騒動はその始まりっていうこと?」
エミリーの言葉に声もなく頷くと、ジュリオは無意識に頭を掻いた。
「ま、未来のことはわからないし、先のことを考えるのは疲れるよね」
三人は軽く笑ってジュリオの言葉に頷いた。
「大丈夫よ。もし今まで以上に大変なことが起こっても、みんなで力を合わせれば何とかなるわ」
「エミリーの言う通りだな。何せここには伝説のラティス・マグナに、将来有望な銃闘士がいるんだ。楽ができて俺も嬉しいよ」
「え、いや、団長も働きましょうよ!?」
再び店内に笑い声が響く。話している内容は物騒だが、それぞれの間にある空気が軽く、明るいことにジュリオは安堵し、内心で溜息を吐いた。
――みんな大人なんだよね。僕も強くならないと。
皆、二週間前の事件から意識を切り替えて生活ができている。事件のことを未だに引き摺っているのは、この場ではジュリオだけのようだ。
自分の未熟さを感じ、ジュリオは深く息を吐いた。
「ジュリオ、どうしたの? 暗い顔してるけど」
「え? あ、いや大丈夫です。ちょっと考え込んじゃって」
ナターシャの心配を躱すように軽く首を振り、視線を天窓へと向ける。相変わらずの晴天が窓いっぱいに映り込んでいた。
「そういえば、アティと勇輝は今頃聖域に着いた頃かな?」
彼らが町を出たのは一時間前だ。サーベラスから聖域までの距離を計算すると、薬草でも摘んでいる頃合いだろうか。
「そうだな……道中で獣魔や野盗にでも遭遇しない限りは到着しているだろうな」
「万が一何かあっても、あの二人なら問題ないでしょうね。アティも弓を持って行ったもの」
「弓、か……そういえば団長。アティっていつの間に弓の扱いを覚えたんですか?」
ジュリオは四年前の事件で初めてアティが弓を射る場面を見た。その時には既に結構な実力だったことは覚えているが、当時の教会にいたのは彼女と年老いた司祭が二人だけだったはずで、弓の使い方を覚えられる環境ではなかったはずだ。
「あ、ああ。そうだな……サーベラスに来る前に、あいつの家族が教えていたみたいだ……アティの姉は名人と呼ばれる程度には腕の立つ人間だったから、アティが弓の扱いに秀でていてもおかしくない、な多分」
「へぇ。アティのお姉さんって有名な人なんですか?」
「……まぁ、な。詳しくは言えないが、恐らくお前も名前を耳にしたことはあるかもしれない、な」
――そんなに答えにくい質問だったかな?
目を逸らし、一瞬とはいえ詰まらせて答えたアルダレスの態度に首を傾げながらも、アーティアの弓は自分の闘術と同じ長さで積み上げられたものだと直感する。
「そっか、だから四年前にアティが一人で生活するって言った時に団長もナターシャさんも反対しなかったのか」
「それだけじゃないんだけどね。理不尽な暴力に対抗できる力を持っていても、それはまだ13歳だったあの子が町外れで一人暮らすことに賛成する理由にはならないもの」
「それなら、どうして?」
ジュリオとエミリーの視線に苦笑しながら、ナターシャは右手を振った。
「いえ、大した理由じゃないのよ。喧嘩して、仲直りして、離れてみることも大切だって思っただけ。それに毎日私達に顔を見せに来るっていう条件もつけていたから、完全な一人暮らしというわけでもなかったし」
声の調子は明るく高いが、ナターシャの表情はどこか翳ったままだった。
「……それに一人暮らしと勇輝のことは、あの子の数少ない我儘だもの。できる限り聞いてあげたいのが親心でしょ? ……まあ、当時は反対や喧嘩もしたけどね」
――本当にそれだけ、なのかな?
笑う彼女の言葉に別の意味を感じて、ジュリオはそれ以上の追及を思い留める。それはエミリーも同様のようで、彼女は話題を変えるように手を叩いた。
「でもその我儘のおかげで勇輝はサーベラスに居られて、また賑やかになってきたんだもの。結果としては良いことも多いと思うわ」
「そうだな。この三カ月はサーベラスも大分静かだったからな……ん? そういえば」
何かを思い出したように立ち上がるとアルダレスはカウンターの裏から生活で使用している居住スペースへと姿を消した。
「……何?」
「さぁ? 多分何かを取りに行ったんじゃないかしら?」
二人は軽く肩を竦めて他愛のない話に興じ、ジュリオは椅子に身体を預けて果物を口にする。そんな状態が一分経過し、アルダレスが帰ってきた。手には封のされた大きめの手紙を持っている。
「三日前にあいつから手紙が来てたことを忘れていた。全員で読めと封に書いてあるんでな。アティはいないが、まあ今読んでもいいだろう」
「あいつ?」
開封され、机に広げられた手紙に目を通すと、感情に任せて書き殴ったような癖のある文字が目についた。
『じっちゃんの用事も終わったから、これから帰るね! 多分マルデュークの月に入ったくらいに着くと思うよ。お土産とかいっぱい用意しておくから歓迎ヨロシク! 追伸! 私はそっちに帰るけど、じっちゃんは別の遺跡に行くって言ってたから歓迎は私の分だけでいいよ』
手紙と共に入っていた何枚かの不可解な絵も一通り見て、四人は一斉に溜息を吐いた。
「たしかに、最近は静かだったけど……あいつがいると、賑やかっていうよりも騒がしくなるよね」
「というか、あの子いつの間に町から出て行ったの? てっきり家に籠ってるんだと思ってたんだけど」
エミリーの言葉にたしかにと頷きながらジュリオは黙っている二人を見る。ナターシャは疲れたように椅子に座り、アルダレスも首を振って店の奥へと入っていく。どうやら、〝彼女〟の要望のための下準備をしておくつもりのようだ。
「けど、マルデュークの頭って……下手すると今日にでも帰って来るってこと?」
暦がマルデュークへと移行してから今日で三日ほどが経っている。予告した月に届くように 手紙を出す辺り〝彼女〟らしいが、相手の迷惑も考えるべきだと思う。
と言っても、それでもどこか憎めない所が〝彼女〟の魅力でもあるのだが。
「はぁ……それじゃ、姉さん。今日はとりあえず帰ろうか」
「え、ええ。そうね……ナターシャさん、私たちはこれで――」
その挨拶は最後まで言い終えることが叶わなかった。豪快な音と共に店の扉が開き、ドアベルの音がけたたましく鳴り響く。
「たっだいまー! アル、ナっちゃん! 元気してた?」
突然の騒音に耳を抑えて振り返ると、汚れの目立つ服を着た一人の少女が手を振って立っている。
「……アリア」
どこかげんなりした声は誰のものだったか。
もしかしたら、突然の来訪者である彼女――アリア=アトライナ以外の全員が発したものかもしれない。




