第四章《白刃踊る歌劇》 7
鬱蒼とした木立の中に、小気味いい間隔で剣戟の音が鳴り響く。
「マティアス、目を覚ませよ! 訳のわからない力なんかに負けるな!」
命を削るといっても過言ではないほどに熾烈な衝突の中で、それでも勇輝はマティアスに呼びかけることは忘れなかった。
「……」
呼びかけに応じる言葉はない。命がけの説得に返ってくるのは、目の前の敵を確実に仕留める為の無慈悲な白刃だけだ。
的確に勇気の弱点――右腕の死角を衝いて迫る刃を時には避け、時には弾きながら、勇輝は小さく舌を打った。
――どうすればいい!? どうすれば、マティアスを正気に戻せる?
ククリの言葉通り、どちらかの死が覚醒の鍵なのだとしても、そんな手段を選ぶなど論外だ。それで得られるものは勇輝にも、マティアスにも存在しない。
――どんなに強力な催眠だって、醒ます手段はあるはずだ。けど、どうすればいい?
思考を走らせながらも数合斬り結ぶ。その中で隙が生まれない程度に周囲を確認すると、山の深くまで連れて来られたことがわかった。
そして、少し開けた広場のような場所に辿り着くと、一際強い一撃によって勇輝とマティアスの距離が開いた。
息をつく暇もなくマティアスが攻撃してくると身構えるも、予想に反してマティアスはこちらを窺うようにその場に留まっていた。
「何だ? 一体どうして攻撃してこない?」
勇輝は注意深くマティアスを見つめ、そこで一つあることに思い当たった。
「……待てよ。どうして、俺はこれだけの余裕がある? 何であれだけの実力があるマティアスを相手に、考え事をしながら戦えた?」
気が付いてみれば不可解な点はいくつもある。
マティアスは狩人だ。完全に操られているというならば、弓の使用や奇襲といった確実な攻撃方法をとるはずだ。それをせずに剣だけで、それも勇輝にとって防御や回避が可能な攻撃ばかりを繰り出してきたのは一体何故だ?
「まさか、目が覚めかけてるのか? マティアス!」
友の名を叫び、呼びかける。勇輝の声が届いたのかマティアスの表情には生気が戻り始める。
「……ゆう、き」
今にも消えそうなほど小さな声が勇輝の耳に届く。間違いなく、マティアスは自らの意思を取り戻し始めている。
「――あら、いけないわ。ルールは守ってもらわないと」
「なっ!?」
突然マティアスの傍に舞い降りたククリに瞠目する。彼女は勇輝の様子を無視してマティアスの瞳を覗き込んだ。
「目が覚めるにはまだ早いわ。あなたの役目はまだ終わっていないのよ」
「……う」
マティアスの瞳が再び曇り出す。その場景に焦燥を感じ、勇輝は声の限りを尽くしてマティアスに呼びかけた。
「そんな力なんかに負けるな! 目を覚ませ、マティアス!」
知らず、叫ぶ声にそれまで以上の熱が篭る。その声に導かれるように、マティアスの瞳が焦点を結んだ。
「ゆう、き……う、ああああ!」
「っ! くぅ!」
叫びと共に振り上げられたマティアスの剣は、咄嗟に躱そうとしたククリの柔肌を一瞬の差で浅く斬りつけた。
「まだ、そんな力があるなんて、小憎らしい子。けれどその選択は、あなたをより傷つけるわ」
吐き捨てるように口を開いて、ククリは再び木立の陰へと姿を隠した。
「マティアス、意識が戻ったのか?」
「待った! 来ちゃ駄目だ勇輝!」
マティアスの叫びが走り出そうとした勇輝の足を止める。同時に背筋を戦慄が走り、その場を飛び退いた。
一瞬の間を置いて、先程まで勇輝が立っていた場所をマティアスの剣が薙ぎ払う。予期せぬ事態に勇輝は困惑した。
「な、なんで……目が覚めたんじゃないのか、マティアス!?」
「ククリの魔眼による拘束が解けきっていないみたいだ。身体の自由が利かない!」
動きを止めようと足掻くマティアスの意思とは無関係に、彼の身体は勇輝に対する攻撃を止めようとしない。マティアスの抵抗によって動きが止まることがあってもそれは一瞬の事でしかなかった。
「くそっ! なんだか、さっきよりも厄介だな……」
毒づいてマティアスの斬撃を受ける。先程までとは違い、マティアスの攻撃に一切の躊躇いがない。意識が戻った所為で、無意識による手加減が及ばなくなったらしい。
「勇輝、僕のことは気にしないで戦ってくれ! そのままじゃ、体力を無駄に消耗するだけだ!」
「そんなこと言っても、できるはずがっ、ないだろ!」
猛攻というには及ばないが的確に急所を狙う剣閃を防ぎながら、勇輝はマティアスに反論する。
「勇輝!」
「俺は、お前と殺し合いをするために戦い方を覚えたんじゃない!」
心の限りに叫ぶと、勇輝の想いに呼応するかのように空から雨が降り始めた。
「勇輝……だけど、僕の力では魔眼の力をどうやっても振り解くことができないんだ。それに今、僕にかけられた魔眼の力はさっきまでのものとは違う」
不意にマティアスの動きが止まる。彼の意思によって無理に抑えつけているのだろう。身体が小刻みに震えている。
「今の僕は、君を殺したとしても止まらない。いずれこの手でサーベラスの町に住む人たちを、ジュリオやエミリー、アーティアさんたちを殺めてしまうかもしれない」
その言葉に、勇輝の鼓動が不自然に跳ねる。剣を持つ手に、必要以上の力が篭った。
「……僕はもう、僕自身が原因で誰かが死ぬのは嫌なんだ。ここで僕が君の命を奪って、町の人たちまで殺めてしまったら、僕は一体どうなってしまうのかもわからない」
深い悲哀を込めた言葉に、勇輝は以前聞いた彼の両親のことを思い出した。
マティアスの両親は二人とも既に亡くなっている。共に病死だったが、父親はマティアスが赤子の頃に亡くなり、幼いマティアスをたった一人で育てていた母親は過労によって重い病気を患ったらしい。
これは後からジュリオに聞いた話だが、マティアスは母親の死をずっと自分の責任だと思っており、それが原因で心に傷を抱え、親しい人間から離れるために山で狩人をしているということだった。
――きっと、俺とマティアスが似ているのはそこなんだ。
心が傷付き、心を傷付けることが怖くて自分から線を引いた。その気持ちを、勇輝自身も持っていたからこそ、勇輝とマティアスはお互いの信条を越えて親友になったのかもしれない。
「もう既に、僕たちは互いが出会う前には戻れない。母さんの死を防ぐために過去に戻ることも、僕自身の生き方を変えることだってできはしないんだ。……だから勇輝。君の手で終わらせてくれ」
身体の抑えが利かなくなっているのか、徐々にその身が勇輝へと向かう。それを必死で抑え、苦しそうに顔を歪めながらマティアスは懇願する。
「けど、それでも……俺は――っ! くっ、ああぁぁ!」
親友の心情への理解と己の感情との間で起こる葛藤が叫びとなって口から零れた。
「俺は……俺は!」
やるせない思いを胸にしつつ勇輝は聖剣を構える。それでも、未だに胸の葛藤は消えない。
「お願いだ、勇輝! 僕に、君たちを殺させないでくれ!」
「っ! うあああああ!」
マティアスの限界を超えて襲い来る彼の身体に、悲痛の叫びを上げて突貫する。
二つの影が交わるその一瞬、全ての音は雷鳴によって掻き消された。
雨脚は次第にその強さを増していき、雷鳴の轟と共に滝のような勢いで降り注ぐ。
そして稲光が通り過ぎた後、二つの影は一つに重なっていた。
聖剣はマティアスの身体の中心――心臓の下部を貫いている。
……完全に、致命傷だった。
「……お前は、酷い奴だ。俺を殺したくないなんて言うくせに、俺に、お前を殺させるなんてっ」
震える声で目の前の、自らに寄り掛かる親友を非難する。今更ながらに、彼を貫いた剣を持つ手が震える。
「ごめん、よ。だけど、僕の最後を、看取ってくれる人が、勇輝で、良かった……」
雨と血で濡れた髪を顔に貼りつかせながら、マティアスは儚く笑う。
既に身体の自由は戻っているようだった。
「なんて、顔をしてるのさ……いい、かい? 君、は僕を、救ってくれたんだ。それなのに、自分を責めるのは、よしてほしい、な」
「ああ、わかってる。わかってるけど、それでも俺は、俺自身が許せない」
血液を失い、顔色が土気色に変わった親友の姿に、勇輝の心は裂くような痛みを感じ続けていた。
「何が伝説の勇者だ! 何がラティス・マグナだ! どれだけ特別な存在だと言われたって、俺は……たった一人の親友も護ることができない!」
雨空を見上げ、当り散らすように叫ぶ。改めて言葉にすることで、自分が如何に無力な存在であるかを自分に言い聞かせる。
「俺は……弱い。どうしようもなく、愚かで弱い……」
力なく項垂れる勇輝の肩を、マティアスの手が軽く叩く。思わず彼の顔を振り返ると、マティアスは真剣な眼差しで勇輝を見つめていた。
「僕は、そんな弱い君、だからこそ、友達に、なれた。ラティス、マグナなんていう、伝説じゃ、なくて、朝凪勇輝という、君だから、救いを、求めること、が、できたんだ――だから」
マティアスは思うように動かない手で腰のポーチに手を伸ばし、空色の宝石が象嵌された特殊な意匠のリングペンダントを取り出した。
「これを、君に……勇輝と、僕が、親友である証の、ペンダント。僕の、これと同じ、で手作り、なんだ……」
首元から夜色の宝石が象嵌されたリングペンダントを取り出して微笑み、マティアスは勇輝に空色のペンダントを差し出した。
「マティ、アス……けど俺は、お前のことを護れなか――」
「――いいんだ。僕は、君、が、親友だった、から、救われ、たんだから。だか、ら……僕を、忘れ……いで」
呼吸もままならない状態で、それでも勇輝の言葉を遮ってかけられた言葉に、勇輝は否定の言葉を返すことなどできなかった。
「わかった。ありがとう、マティアス。大事にする」
ペンダントを受け取り首にかける。その姿を見届けると、マティアスは首にかけたままのリングに人差し指を通して前に突き出した。
「……君が、僕の初めての、親友で、よかった」
マティアスの意図を察して勇輝もまた同様にリングを突き出した。
「……俺もだ。マティアスが親友であることを、誇りに思う」
いつまでも、お互いが無二の親友であるように、その誓いを込めて二人は互いのリングを打ち鳴らした。
清々しい音が辺りに響き、その響きが霧消すると、マティアスの身体は突然重みを増した。
「――ありがとう。ゆう、き」
その一言がマティアスの遺した最後の言葉だった。
「マティ、アス? マティアス!」
呼びかけても返事はない。自らに寄り掛かる親友の身体は、降りしきる雨によって既に冷たく冷え切っていた。
勇輝とマティアス。互いの顔に涙はない。しかし、悲しみと胸の内で荒れ狂う激情を抑えることができずに勇輝は叫び声をあげる。
「マティアス! ……あああああ!」
慟哭の絶叫は激しい雨音によって、誰にも届くことなく響き続けていた。




