第三章《薫り立つ暗雲》 3
「はっ! はぁっ!」
「動きが鈍ってきたぞ。ほら、もう一度!」
昼下がりの日差しの下、二人分の声と木と木が打ち合う音がサーベラス自警団の訓練場に断続して響いていた。
右に左に斬撃を捌かれながら、勇輝はアルダレスに対して打ち込みを続けていた。
「よし、打ち込みは終了。休憩を挟んで、次は模擬戦闘といくぞ」
「はぁ……はい!」
返事をして日陰まで移動する。初日に比べて十倍は厳しくなった鍛錬だが、木剣を取り落すような無様を晒すことがなくなったことに勇輝は密かに充足感を感じていた。
剣術の稽古を受け始めて既に十日が経過している。自分でも思っていた以上に剣術の素養があった上に、質が良すぎる師に教わった影響もあって勇輝の剣術は十日前とは比較にならないほどに上達していた。
――といっても、これだけハードワークだと、強くならざるを得ないんだよな。
胸中で呟いた声にしみじみと感じ入る。如何に素人とはいえ、身体能力がファーレシアの人間以上に向上していなければ死んでいてもおかしくない訓練メニューが課せられている。
もっとも、付け焼刃的な技術であることは否めないので実際の練度は大したことがないのが実状ではあるのだが。
「お疲れさまです、勇輝さん。お水どうぞ」
「ありがとう、アーティア」
最近は毎日のように見学に来ているアーティアから水筒を受け取ると運動するのに支障が出ない程度に飲み込む。ある程度余裕ができたところで周囲に視線を向けると、アーティアが訓練を終えた自警団員に同じように水筒を渡していた。
「マネージャーみたいだなぁ……」
その姿を見つめながら、ここ数日のことを思い出す。サーベラスの町での日常は常に平穏に流れていた。
幸いにして、新婚云々の噂はそれほど流れることなく、ラティス・マグナの噂を流さないようにするという暗黙の了解が町中に浸透しただけに留まっていた。
アーティアに贈ったロザリオは、身動きした拍子に鎖の音が聞こえることがあることから、服の下に常に着用しているようだった。気に入ったようではあるが、手間をかけて手に入れたものでないだけに申し訳ない気分になるのも事実だ。
そういえば、と勇輝は思う。あの日から、ダルツィーネの姿を一度として見ていない。サーベラスを象徴する商店街――通称、露店通り――に店を構えているものと思っていたが、どこに行ったのだろうか。
「勇輝、そろそろ始めるぞ」
「あ、はい。すぐに行きます」
考え事を中断し、立て掛けていた木剣を手にして思考を入れ替える。模擬戦闘で余所見や考え事をしていては怪我を免れない。
訓練所の中央。響力機関の働きで浮かび上がった線――石灰のような役目だろうか――に形作られたステージに立つと半身を開き、剣を持つ左手を前に突き出す構えを執る。
これが、勇輝が教わった唯一の構え。剣道でいう正眼ではなく、アルダレスが教授した特有の剣術の基本だ。
「いいか、お前の弱点は以前に教えた通りだ。それを意識しながら戦うこと」
「はい。わかりました」
以前の教えを脳裏に反芻する。自分の弱点は不自由な右腕を無意識に庇う闘い方をすることだ。
生まれつき異常を持っていた右腕は、右肩の力だけで腕を完全に上げることができない、骨が変形して腕が真っ直ぐにならない。感覚が鈍いために左腕と同じように扱うことができないといった問題を抱えている。
日常生活を送る上では問題の少ない身体障害であっても、こと戦闘においては致命的な弱点と為り得る。それを自覚した上で戦闘に身を投じる事。
教えられたことを明確に思考に焼き付けて、勇輝は地を蹴った。
「いきます!」
● ●
「うう、疲れた……」
「お疲れ。まだまだ右側が甘いが、それでも確実に上達してるぞ。最近の挙動からすると、どうやらマティアスとも特訓しているようだな?」
「……まずかったですか?」
さらりと言われた言葉にどきり、とする。毎晩のように話している友人――今では既に親友と言っていい間柄だ――に稽古のことを話した際、彼もまた協力してくれるとのことだったので好意に甘えたのだが。
「いや、正しい判断ではある。マティアスは俺以外のどの自警団員よりも強い町一番の猛者だからな。無理しない程度なら上達も早いだろ。まぁ、頑張れ」
背中を叩くアルダレスに「どうも」と返すと、詰所の方が騒がしいことに気が付いた。
「団長! 調査隊の方々がいらしてます。団長を指名しているんですが」
「調査隊? ああ、カイオスの奴が忍びで来たのか……わかった。すぐに応対するから、応接室に通してくれ」
「了解しました」と走っていく団員を見ながら、アルダレスは勇輝の肩に腕を絡ませて歩き出した。
「ちょ、団長!?」
「ちょうどいい機会だからな、お前に現王国騎士団長様を紹介してやるよ」
有無を言わさずに引きずる力に抵抗を諦めると、素直に足を動かす。観念したことを理解したのか、アルダレスの口元には人の悪い笑みが浮かんだ。
そのまま詰所へと入ると、詰所で唯一飾りの施された所内では最も豪奢な扉をノックして応接室へと入る。
「よぉ。元気だったか? カイオス」
「ああ、アル。久しぶり、そちらも息災のようで何よりだ」
アルダレスが声をかけると、立派な甲冑に身を包んだ金髪の青年が立ち上がって一礼した。外見で判断するなら27歳のアルダレスと同い年か一つ二つ違いといったところだろうか。洗練された動きにどことなく気品を感じる。
「……アル、そちらは?」
じっと見つめる視線に気付いたように勇輝に視線を向けると、カイオスと呼ばれた騎士はアルダレスに視線を戻した。
アルダレスは勇輝の背中を押して前に踏み出させると、勇輝の頭の上に手を置いた。
「こいつの名前は朝凪勇輝。聞いて驚け、ただ口外はするな。こいつは本物のラティス・マグナだ」
「ラティス・マグナ!? あの、伝説の!?」
アルダレスの言葉に目を見開いて勇輝を見るカイオスだったが、この類の反応は既に飽きるほど見ている。驚愕するカイオスを無視して勇輝は口を開いた。
「初めまして。朝凪勇輝です。団長の言うことはあまり気にしないで普通にしてください。普通に」
「あ、ああ。私はカイオス=レオンハザード。そこにいるアルとは同期の騎士で、当代の王国騎士団長を務めさせていただいている者です。お見知りおきを」
普通という言葉を強調したことが功を奏したのか、自分を取り戻したカイオスは軽く咳払いをして礼をした。
「それでカイオス。一体どうしたんだ? 連絡もなくやって来るなんて珍しいじゃないか」
互いに席に着き、挨拶もそこそこにアルダレスが問うと、カイオスは表情を硬くして足を組んだ。
「ああ、王都の方で不穏な噂を聞いたものでね。こうして調査隊を組んでやって来たんだ……最近、サーベラスの近辺で不審な集団が活動しているらしいんだが、そちらでは何か掴んでいるか?」
「あー、そのことか。恐らく自警団で把握していることとそちらの情報に差異はないな。一応、フリミングという男がこの件に関与していると見て監視はしている状況だ」
膝の上で組んだ手に顎を乗せてアルダレスはカイオスを見ると、何事かを思い出したように声を上げた。
「そういえば先日、ダルツィーネという商人と奴が接触したという報告があったな。その商人はそれ以来姿を見せていないらしいが、その集団に関係している可能性は高いな」
不意に挙げられた名前に勇輝は息を呑んだ。自分はその現場に遭遇した当人だ。恐らくその報告はジュリオが行ったのだろう。
「ダルツィーネさんが、何かを企んでいる?」
呟いたその声にアルダレスが反応する。数瞬思考するように視線を泳がせると、合点がいったように手を叩いた。
「そういえば、勇輝もその場に居合わせたんだったな。それなら知っているかもしれないが、フリミングはしきりにラティス・マグナのことを嗅ぎ回っていたらしい。接触の場でも勇輝のことを気にしていたらしいから、怪しさは一入ってことだ」
一息に説明して背もたれに身体を預けると、アルダレスはカイオスへと視線を向ける。
「以上が、自警団が把握している現状だ。勇輝と今回の動きの関連性は、今のところその程度しかわからんが、推測するにラティス・マグナの出現という不測の事態が起こった影響でサーベラス(うち)への襲撃を見送った野盗連中の行動かもしれないな。近い内に対処しないといけないことだが、何せ情報が少ない。迂闊に動く訳にもいかないだろうしな」
「了解した。こちらも対処のための人員を調査隊から数人割こう。情報収集に関しても協力すると約束する」
カイオスの申し出に「ああ、頼む」と答えてアルダレスは席を立った。
「それじゃ、今回はこれで。まだこいつの訓練メニューが終わってないんでな。勇輝、行くぞ」
「え? って、うわっ。あの、カイオスさん失礼します。団長、引っ張らないで!」
「頑張って。アルはスパルタだから、大変でしょうけど」
引きずられるように連れ出される勇輝の姿に同情するように苦笑するカイオスの姿が、勇輝にはとても印象的に映った。




