第二章《異世界の時間》 6
歓迎会の盛り上がりも静まり始めた頃、勇輝は宴の席を抜け出し、建物の裏手に見えていた山へと入り込んでいた。
「ふぅ、騒がしさに息が詰まるな。いい人達だっていうのはわかるんだけど」
歩きながら、独り言を呟く。性格上、勇輝は賑やかな場所は苦手だった。とはいえ、それは元の世界に対して鬱屈した感情を抱きがちな性格だったことに起因していたので、ファーレシアの騒ぎは不快には感じない。
「そう、か……ここは地球じゃないんだよな」
思わず言葉にしてしまうような事実。そんな現状を、恐らく勇輝はファーレシアに来て初めて感慨を伴って実感していた。
嫌いと言い切れる世界ではあったが、それでも離れてしまうと一抹の寂しさを感じるものだ。
「大丈夫かな、俺は」
この世界には、家族はおろか同郷の人間すらいない。自分は完全な異邦人である。サーベラスの人々は自分を温かく迎えてくれたが、いずれはアーティアや町の人々と離れ、一人で旅することになるかもしれない。
その時、自分はこの世界で生き残ることができるだろうか?
先の見えない不安は、勇輝の心を縁から削っていく。この心が完全に削れてしまう前に、自分はこの世界に溶け込むことができるのだろうか。
「考えていても仕方ない。結局、俺にできることをするだけだ!」
連鎖するように湧き上がる不安を振り切るように強く声を出すと、心が少し軽くなったように感じた。
「って、あれ? ここ、どこだ?」
答えの出ない思考から意識を戻すと、勇輝はいつの間にか深い森の中に足を踏み入れていたようだ。周囲を見ても木々が生い茂るのみで、夜間の為に視界も悪い。そして生憎と灯りと呼べるものも見当たらない。
完全に遭難していた。
「どうしようか……えっと、こういう時は――っ! 誰だ!?」
この場に留まるべきか考えていると、何かが近くの茂みを揺らす音が聞こえて反射的に距離を取る。
「誰だ、というのはこちらの台詞だよ。ここは町の人が踏み入るような場所ではないのだから」
視線の先にはランプを手にした少年が、苦笑しながら立っていた。年齢は勇輝と同じか少し上といったところだろうか。暗い森の中でもランプの光に映えて美しさを主張する亜麻色の髪と、優しい光を湛えたライトグリーンの瞳がどこか自然に溶け込んだ雰囲気を纏った少年だ。
「あ、ああ、ごめん。君はサーベラスの人?」
「まぁ、そうなるかな。サーベラスには住んでいないけれど、一番密接な関係があるのはあの町くらいだからね。そういう君はサーベラスに用事がある人かな? 旅の人にしてはずいぶんと軽装だけど」
柔らかな表情を崩さずに受け答える少年は、勇輝の服装を怪訝そうに一瞥すると首を傾げた。
「え? あ、いや。少し前からサーベラスの教会に世話になってるんだ。確か、リーリア教会だったかな? 今日は町の人が歓迎会を開いてくれたんだけど、人の多さにあてられちゃって……」
「なるほど。酔い覚ましに散歩をしていたら迷ってしまった、ということかな。確かに町はいつにも増して賑やかだった。騒がしすぎるのは僕も苦手だから、君の気持ちもなんとなくわかるよ」
合点がいった風に頷いて、少年はその笑みを勇輝に向けた。
「それならまだ町に戻りたくはないだろうし、僕の家に寄っていくといい」
「え、いいの?」
「構わないさ。おかしなことを言うようだけど、なんだか君は他人のような気がしないんだ。君さえよければ、是非話し相手になってほしいな。勿論、戻りたいなら町へ案内するけれど」
言って、少年は微笑むように表情を崩した。この少年は笑顔が最も楽な表情であるようだ。
「いや、そういうことならお邪魔するよ。俺もなんだか君が他人のような気がしない」
勇輝の返事を聞いた少年は頷き歩き出し、三歩踏み出したところで何かに気が付いたように振り返る。
「自己紹介がまだだった。僕はマティアス=ランチェスター。この山で狩人をしているんだ。君の名前は? 君の言葉で教えてくれないか」
「え……」
彼――マティアスの言葉は、言外に彼が勇輝の名前を既に知っていると告げていた。その上で、勇輝自身に聞くまではその名を呼ばないとも。
――いい奴なんだな。
「ああ、朝凪勇輝。俺の名前は、朝凪勇輝だ」
居心地のいい空気を纏う少年の名前を胸に刻みながら、勇輝は自らの名前を伝えるために口を開いた。
「――勇輝。いい名前だ」
マティアスは頷くと、止めた歩みを再び進める。勇輝もまたそれを追って歩き出した。
これが、朝凪勇輝とマティアス=ランチェスターの出会いだった。
● ●
山の中腹、サーベラスを見下ろすことができる見通しの良い広場になった場所にマティアスの家はひっそりと佇んでいた。
家というよりは小屋と言った方がしっくりくるその建物は大した広さもなく、狩りを行うためのベースとしての役割が濃いようだ。
「どうぞ。大したものも出せなくて申し訳ないけど」
「ありがとう、いただくよ」
木製のコップに淹れられた飲み物を受け取り、口に運ぶ。どうやら紅茶のようだ。
「それにしても、マティアスがジュリオ達と幼なじみだなんて、世間は狭いな」
「サーベラスはそこまで広い町ではないから、町の人間は皆知り合いなんだよ。僕も少し前までは町の方で生活していたわけだから、知り合いもそれなりにいるんだ」
向かいの椅子に座ったマティアスは、紅茶の香りを楽しむようにコップを回しながら言った。
確かに、サーベラスの人間は互いが家族であるかのように仲が良かった。それこそ、町に一人の人間が入ってきただけで新しい家族が増えたと町全体で祝ったように。
「むしろ僕としては、今年になって君がファーレシアにやってきたことの方が驚きかな」
「どうして? そりゃ、異世界の人間が入り込んで来たら驚くと思うけどさ」
「いや、君が異世界の住人だから驚いたわけではなくて、今年――千年祭が開かれる年に、君が現れたということに驚いたんだ」
言って、マティアスは紅茶を口にした。その様子を見ながら、勇輝は胸中に湧いた疑問を口にする。
「千年祭って一体何だ? それと俺がファーレシアに来たことに、何か関係でもあるのか?」
マティアスはコップを置いて静かに頷いた。そして、机の隅に置いてあった本を開くと勇輝に差し出した。
「……絵本?」
「そう。ラティス・マグナの伝説について書かれたファーレシアで最もメジャーな物語を描いた絵本さ。千年祭というのは、この絵本の結末に勇者がクレスエント王国を建国したことを始点として千年ごとに行われる世界的な祭りのことだよ。当然、勇輝には縁の深い事柄だと思うよ」
微笑を乗せた表情で勇輝を見つめ、マティアスは席を立った。そのまま部屋の奥にある本棚から数冊の本を抜き取り席に着く。
「これは、僕の母さんが亡くなる前まで研究していたファーレシアの古文書でね、今では使われてない初期の聖リア語で書かれてる。僕もある程度は読めるようになって知ったことだけど、その中にあることが書かれているんだ」
「あることっていうのは……俺のこと、なんだろうな」
「うん。大体あっているよ。これが、その内容の現代訳」
渡された紙に目を通す。すると、以前と同じように異界の文字が頭の中で変換された。
『人の世に生まれし魔王を討ちて後、七度目の月染が起こりし時、聖剣を持つ者現れ、対なる剣を持つ者と相対す』
読み終わり、視線を上げる。その仕草を見たマティアスは頷いて紙を受け取った。
「ここにある月染というのは、千年の周期で起こると言われている十二の月が黒く染まる現象のことでね。原因はまだ明らかではない けれど、専門家の間では魔王は倒されたわけではなく、封印されたというだけで、千年ずつ封印が弱まっているんじゃないかという推論がされているそうだよ。十二じゃなくて七度目なんていう中途半端さを考えれば、それも説得力があると僕も思う」
そう補足すると、マティアスはすぐ傍の窓から夜空に輝く六つの月を眺めた。自然、釣られて勇輝も月を見る。
「黒い月、か。まるで周期の長い月食だな。それにしても勇者に、魔王ね……」
本当にフィクションのような言葉が次々と出てくる。それこそ、この世界が自分の白昼夢――あるいはただの夢か――ではないかと何度も疑ってしまうほどだ。
「だけど、ラティス・マグナが今年になって現れた理由に因果があるかはわからない。クレスエントからクレイドルまでの月が昼に出ていることが関係してるかもしれないけど、確証はないしね」
「クレスエントにクレイドル? ええと、確か十二の月の名前だったか?」
一週間で学んだ知識にそれらしいものがある。マティアスは頷くと、視線を戻した。
「そう。十二の月にはそれぞれ名前があって、それらは昔から世界中に国や暦として使用されているんだ。順番に、セクスティア、アンサス、マルデューク、サティアラス、フォルティス、クレイドル、アルウィース、フェブレイン、ロステル、ツァイゼンス、ヴァイグレイド、そしてクレスエント」
例えば、現在勇輝がいるサーベラスはクレスエント王国に属し、今月はアンサスの月が暦に当てはまる。そうマティアスは説明した。
つまりは、少なくとも今も存在している国が生まれた頃には、月には既に名前がついていたというだ。
「名前があるということは、当然意味があるということ。だからこそ、全ての千年祭に共通点がないか調べてみたけれど、全てが同じ月の並びであるということしかわからなかったんだ」
「月の並び、か。奏術なんてものがあるんだし、それが何かに関係しているっていう可能性は確かにあるよな」
月の役割にどのような重要性があるのかはわからないが、日本にも風水や陰陽術などというものが隆盛を誇っていた時代がある。一概に関係ないと決めつけることはできないだろう。
「……だけど、マティアス。俺がファーレシアに来た目的やきっかけは、伝説とは全然関係がないんだ。これって一体どういうことだと思う?」
意見を求めるとマティアスは思案するように口元に手を当て黙想した。
「彼の者、だったね。その名称と外見的特徴には心当たりはないな。だけど、世界の間に穴を開けるなんて力を持った存在が知られていない筈はない。……うん。次までにできるだけ調べておくよ」
「ああ、頼むよ。俺も教会の書庫で調べておこうと思う。それにしても、マティアスは博識だな。もしかしたら、アルさんよりも昔のことに詳しいんじゃないか?」
心から感じた言葉を口にすると、マティアスは恥ずかしそうに頭を振った。
「母さんのやり残したことに興味があって調べていたら詳しくなってしまっただけだよ。それ以外の知識はからっきしなんだ」
僅かにはにかみながら答えるマティアスに笑い返すと、その後は他愛もない――日本のことやファーレシアに来てからの少しのことを話した。
一時間はそうしていただろうか。盛り上がった会話は扉を叩く突然の来訪者によって中断された。
「はい。どなたですか?」
「僕だ、ジュリオだよ。マティアス。迷子が来てないか? こう、黒い髪で見慣れない服を着た人なんだけど」
言葉と共にドアが開くと、向こうからはジュリオとアーティア、エミリーが顔を見せた。
「あ、いたいた。勇輝、森に迷い込んだようだったから、ここにきて正解だったみたいだね」
「勇輝さん! 突然いなくなるから心配しましたよ!」
あっさりとした様子のジュリオと、対照的に真剣にこちらを心配するアーティアを見た瞬間、連絡くらいすれば良かったなと勇輝は思った。
「ごめん。ちょっと話が盛り上がっちゃって、迷子になっていたことをすっかり忘れてたよ」
「まあ、そんなことだろうとは思っていたけれどね。マティアスと勇輝って相性が良さそうだもの」
勇輝とマティアスを見ながら嘆息すると、エミリーはアーティアの背中を軽くさすった。
「どうやら、お迎えが来たようだね。勇輝、今日はこの辺りでお開きとしようか」
「ああ、そうだな。それじゃ、お暇させてもらうよ。またな、マティアス」
軽く笑いながらマティアスに手を挙げて別れを告げると、勇輝はアーティア達と共にマティアスの家を後にした。
その後は主賓がいなくなっていることに気付かず続けられていた宴会に混ざって、賑やかなまま夜を明かすことになった。




