第二章《異世界の時間》 2
「勇輝さん。おまたせしました。ナターシャさんを連れてきましたよ」
アーティアが再び部屋に戻ってくると、その後ろに落ち着いた雰囲気を纏った女性と少し長い鳶色の髪をまとめた青年を連れていた。
「はじめまして、勇輝さん。私はナターシャ=ファンディエナ。こっちは夫のアルダレスです」
「よろしく、アルダレスだ。アティを助けてくれたらしいな。アティの親代わりとして妻共々礼を言わせてくれ」
そう言って二人は勇輝に握手を求めようとして、傷の具合を心配してか会釈をするに留めた。
「いえ、こっちこそなんか迷惑かけちゃったみたいで、すみません」
せっかくの好意なので、身体に力を入れて握手に求める。ファンディエナ夫妻はこちらを心配しながらも笑顔で応じてくれた。
「あれ? 親代わりって、アルダレスさんって幾つなんですか? 俺やアーティアとそれほど変わらないように見えるんですけど?」
「俺たちは今年で27歳だよ。……まぁ兄代わり、姉代わりといった方が正しいとは思うがね」
「27!?」
告げられた年齢に驚愕して声を上げると、アルダレスは「見た目だけは若いとよく言われるよ」と苦笑した。
「アル、年齢の話はいいでしょう。今は勇輝さんの身体の状態を確認するのが先よ――勇輝さん、失礼しますね」
言うが早いかナターシャは服の袖を捲り、一言こちらに断ってから胸――ちょうど心臓の上辺り――にその手を触れた。
「――響く歌声よ。彼の内に眠る真実を照らし出せ――高らかに唄え、万象の瞳 (サーチ・クレア)」
囁くような文言。ナターシャがその言葉を紡ぐと同時に涼しさを感じさせるような音色が響き渡る。
「これって……」
「探知用の奏術を人体に施せるようにしたものです。青色ではなく金色に属している奏術ですから、安心してください」
「え? えぇと……」
ナターシャは笑顔で軽く説明をしてくれたが、その言葉の意味するところがわからない。この世界の知識を持たない勇輝には、奏術という技術は魔法のように得体の知れないものなのだ。
「ナターシャさん。アルさん。勇輝さんのことなんですけど――」
こちらの困惑を読み取ったアーティアが先刻話した経緯を二人に説明すると、二人は先程のアーティアと同じように特に何かを疑うでもなく異世界に関しての話を信用してくれた。
「なるほど……異世界の人間が聖剣を手にした、か。つまり彼は伝説のラティス・マグナだ、ということで正しいのか」
「恐らく、そうなるでしょうね。さっきと今とでは傷の状態に差がありすぎるもの。先天的に響素を溜めやすい身体でも、普通はここまで早い回復は見られないわ」
「いや、一体何のことですか?」
夫妻そろってあっさりと納得しているが、勇輝は何のことか見当もつかない。隣を見ればアーティアもよくわかっていないように首を傾げている。
「一体、何がどうなってるんですか? 事情がさっぱりわからないんですが」
「私もよくわからないんですけど、どういうことなんですか?」
絶望的に足りていない知識を補充するために説明を求めると、アルダレスは頷いて近くにあった椅子に腰を下ろした。
「断っておくが少し長くなるぞ。どこから話すか……そうだな、勇輝君はファーレシアのことはある程度アティから聞いたのか?」
「いえ、この世界の名前と聖剣というものがあるというくらいです。あと俺のことは呼び捨てでいいです。君付けは呼ばれなれてないので」
「わかった。なら、ファーレシアについては後で質問をしてもらって、答えていく形式を採るとするか。まずは勇輝が現在置かれた状況について説明した方がよさそうだな――ナターシャ、茶でも淹れてきてくれ」
そう言って足を組むと、近くに立っていたアーティアには座るように指示した。ナターシャは「はいはい」と応じて部屋から出て行った。
「さてと、まず結論から言うと、だ。君はこのファーレシアに存在する最も有名な伝説の主人公と同じ存在になったのさ」
「はい? 主人公ですか?」
「そうだ。ファーレシアの、文字通り全てに伝わる伝説――聖剣伝説の勇者ラティス・マグナ。このクレスエント王国の始祖としても有名なその存在は、災いを断ち切ると同時に災いが現れる兆候とも言われている」
一口にそこまで説明して、アルダレスはポケットから一枚の紙を取り出すと勇輝へと差し出した。
「これは?」
走り書きと思われる文字と、それらの文字とは異なる雰囲気を持った文字が書かれたその紙は、メモ帳のようである。
「見ての通り、そいつはファーレシアに伝わる古代文字とそれに関する覚書きをしたメモだ。とりあえず、読むという意思を持ったままその文字を見てくれ」
「わかりました」
言われた通りにメモに書かれた文字を見る。異言語としか言いようのないその文字を読もうと意識すると、頭の中に微量の情報が流れ始めた。
『――――ハロック山・遺跡より第三期探索隊によって発見。以降に碑文を記載。
緑の日/アンサス この日、この瞬間を忘れぬように、我らが友人「 」と「 」に捧ぐ。
以下にフローシャ=ランチェスター氏による訳文を記載。
緑の日/アンサス この時の在り方を忘れぬように、我らが■■と■■に捧ぐ
※■に関しては文字の腐食が激しく、読み取り不能』
「っ!? これって、一体どうなってるんですか? 急に文字の意味が頭に浮かんできて」
思わずアルダレスの表情を仰ぐと、彼は納得したように頷いていた。
「やはり文献にあった通り、ラティス・マグナは現代の言語も古代言語もひっくるめて読んだり話したりできるみたいだな。まぁわかりやすく説明するには体験が一番と思ったんだが、これが勇者としての力の一端らしいんだ。こういう力を持った存在に、君はなったということさ」
アルダレスがそう言って立ち上がり部屋の扉を開くと、トレーを持っているために両手が塞がった状態のナターシャが部屋へと入り、「お待たせ」と言って全員に茶を配った。
「え? 全然気が付かなかった。アルダレスさん、よく気付きましたね」
「アルでいいよ。何というか、慣れだな。勇輝だって感覚を鍛えればこれくらいはできるさ」
照れた様子もなく扉を閉めて再び椅子へ座ると、お茶を一口飲んでアルダレスは口を開いた。
「さて、ラティス・マグナのことに関しては俺たちもよくわかっていないんでな。これから追々調べてわかったことを教えるとして、あとはこの世界について勇輝の聞きたいことに答えていくしかないが、何か質問は?」
「えと……それじゃあ、ファーレシアがどういう世界なのかということについて教えてください」
自分が特殊な立ち位置にいることがわかったところでこの世界のことを理解しなければ今後どうしてゆくかを検討することも儘ならない。この世界の習慣や常識を知ることが第一に優先すべき行動だろう。
「まぁ、その質問が妥当だろうな。だが、俺は生まれも育ちもこの世界だから、説明しようにも穴があるかもしれないということは覚えておいてくれ」
そう前置きをしてアルダレスは机に広げられていた世界地図を広げると中央の大陸――ちょうどサーベラスという文字が記された辺りを指差した。
「まず、ここが現在俺たちのいる町サーベラスがある辺りだ。サーベラスはクレスエント王国という国家に属していて、クレスエント 王国というのはこの中央にあるクレイドア大陸で最も大きい大国だ。ここまではわかるか?」
確認する視線に頷く。ここまでは先程アーティアにしてもらった説明と重なっている。こちらの理解を確認すると、アルダレスは点々と世界地図を指差していく。
「このクレイドア大陸を中心に、東にあるのがディアド大陸。南西にモルドア大陸。そして北西のオリオン大陸から成るのがこの世界ファーレシアだ。各地の風土などは後日に説明する」
「わかりました……? あの、この右下にある絵は何ですか? 響翔都市国家リベールとありますけど」
平面に記されている世界地図の中に唯一立体で書かれている陸地のようなもの。それはどことなく地図にそぐわない違和感を持っていた。
「そいつは、人工の大陸だ。響翔都市国家リベール。空を飛翔して位置を変え続ける国家だよ。今では奏術や響力機関の最先端の場だな」
「奏術って、またその言葉か……奏術というのは一体何なんですか? この世界には当たり前のように存在している技術のようですけど」
これまでも度々出てきた奏術という言葉。この世界特有の技術を指すのであろうそれは、自分の知り得る常識にはないものだ。それでいながら、この世界の技術的基盤になっているように感じる。
「奏術か……詳しい起源は誰も知らないと思うが、この世界の基盤であることは間違いないな。簡単に言えば、大気中に含まれている響素という要素を操って現象を起こすことができる術だ。確かに重要な技術ではあるんだが、これを説明すると一日じゃ足りないんでな。後でナターシャから奏術に関する本でも貰ってくれ」
「そうね。昔使っていた本がいくつかあるから、自由に持ち出してくれて構わないわ。明日数冊持ってくるけど、傷が治ったら家に読みに来てもいいわ」
そう言ってナターシャは頷き、一息をついてアルダレスは話を続けた。
「続けるぞ。勇輝のいた世界にはなかったようだから説明しておくが、響素というものがこのファーレシアには存在する。これが本当の意味でファーレシアの生活基盤になっている要素だ。だが本来、奏術というのは簡単なもの以外は専門的な教育を受けたり、特殊な血筋であったりしなければ扱うことができない技術だ。それなのにこの響素が基盤となっている原因はわかるか?」
「え、と。奏術を使わなくても響素というものが扱えるか、奏術に代わる技術が存在しているということですか?」
言った後で前者の間違いに気付く。必要がなければその技術が生まれる必然性はあまりない。前者の通りならば、使用効率が悪いからという理由以外で奏術などという技術は誕生しないはずであるし、効率の悪いものが普及するとは考え難い。最初の段階で別のもの――地球でいう電気のようなもの――が広まるはずだ。
「そういうことだ。人々の生活には響力機関という自動的に響素を扱うための道具が浸透しているんだ」
カップを口元に運び、アルダレスは胸元のポケットから丸いもの――懐中時計を取り出した。
「ちなみにこれは響力機関で動いている時計だ。この他にも部屋の照明がいい例だな」
言われて視線を上向ける。そこには、仄かな燐光でありながら部屋全体を照らすだけの光量を持った不思議な照明が吊るされていた。
「これも響素で動いてるってことか。まるで機械だな」
思わず感想を漏らしながらアルダレスに時計を返すと、彼は軽く頷いてそれをポケットの中に納めた。
「機械というのが何かは知らないが、勇輝の世界にも似たものがあるのなら使い方もすぐに覚えられるだろうさ。それじゃあ、ひとまず他の質問は次の機会に回すとしよう。とりあえず、君の今後について、どうしたいかだけ教えてくれないか?」
「今後のこと、ですか?」
突然変わった話題に困惑しながら聞き返すと、アルダレスは深く頷いた。
「そうだ。勇輝は事故によってファーレシアに来たようなものみたいだが、この世界でやるべきことがあるようにも言っていたな。それを君自身がわからないんじゃ仕方がないが、せめて寝泊りする場所くらいは決めておかないといけないだろう」
「そう、ですね」
確かに傷が癒えるまでに決めておかなければならないことだ。ファーレシアを巡って元の世界に帰る方法を先に探すのか、ここに留まって自分がこの世界に来た意味を探すのが先か。
常識的に考えれば前者だ。もしこの世界に来た意味を理解して自分の目的が叶えられたとしても、その時には元の世界に帰る手段が失われてしまっている可能性もある。だが一方で、この世界に自分がやってきた原因を果たさなければ帰る手段を見つけることができないという漠然とした予感もある。
故に、選択は慎重に行わなければならないと勇輝の直感は告げていた。
「俺は……」
どうするべきだろうか? 自分はどうしたいのだろうか?
様々な考えが脳裏をよぎり、決断を阻害している。自分はこれほどまでに優柔不断だったのだろうか?
「――ここに、いてくれませんか?」
「え?」
突然の提案に思わず声の主を振り返ると、アーティアが静かな瞳でこちらを見ていた。
「傷が治って、勇輝さんの探しているものが見つかるまで、ここにいてくれませんか? 何故そう思うのか私自身にもわからないけど、そうして欲しいって思うんです」
「え、その、でも……」
「――なるほど、あのアティがねぇ」
「あらあら」
声の方へと視線を向けると、アーティアの提案に困惑する勇輝とは別に、アルダレスとナターシャはどこか納得したような表情で頷いている。
「勇輝さんの住む部屋ならすぐに用意できますし、この世界のことを教えることだってできます。だから、しばらくここにいてはくれませんか?」
「いや、だけど……アルさんやナターシャさんはどう思いますか? 俺がここに残るとしても、ここで暮らすのは問題があると思うんですけど?」
訴えかけるような視線を向けても、二人は笑顔を崩さなかった。
「いや、問題はないだろう? むしろ、勇輝という男手が居ればアティ一人よりも安全で俺達も安心できる」
「ええ。真っ先にそういうことを言ってくれる勇輝なら、私も安心してアティを任せられるし、問題はないんじゃないかしら?」
「いや、どうしてそういう……」
反論することを諦めて、勇輝は深く嘆息する。おそらく、言うだけ無駄だろう。
出会ってまだ一時間ほどしか経っていない自分をどうしてこれほど信用しているのかは知らないが、この二人はアーティアの意見に賛成しているようだった。
「……わかった。確かに、傷が治っても今のままじゃ世界中を巡るなんてできるはずないからな」
自分の中の倫理的な問題などを無視して冷静に現在の状況を考えると、ここに逗留するのが最善であると結論付く。ここはアーティアの好意に甘えるのが一番だろう。
「それじゃあ、ここに住んでいる間は教会の仕事を手伝わせてほしい。何もせずに住まわせてもらうわけにもいかないし」
「はい。ですけど、傷が治るまでは安静にしていてくださいね。治りかけで無茶をしたら、その分治りが遅くなりますから」
こちらを心配してくれるその言葉に頷いて、アルダレスへと視線を向ける。
「ということで、これからしばらくお世話になります」
「こちらこそよろしく頼むよ。とりあえずはもう休むといい。怪我人に無理させるのも悪いからな」
「そうね。アティも、もう休みなさい。あなたも疲れているでしょう?」
「はい。それでは勇輝さん。今夜はゆっくりとお休みなさい」
三人は立ち上がると部屋を軽く片付けて退室していく。
「ああ、そうだ。傷が癒えて落ち着いたら俺の店に来てくれ。その時に、まだ話していないことやこれから必要になると思うことを教えるよ。じゃあお休み」
「わかりました。お休みなさい」
アルダレスが部屋を去る際のそのやり取りが、ファーレシアにやってきた一日の、最後の会話だった。




