第二章《異世界の時間》 3
あの日以降は特に来客もなく、痛みの所為でベッドから出ることもできず、何の情報を得ることもできていなかった。だからこそ、傷が癒えてからの三日間はこの世界で暮らす上で必要な最低限の知識を学習していたのだが、地球の常識や環境とはあまりに異なる為、未だに順応しきれていない部分があるのが現状だった。
日常で使用する言語に関してはラティス・マグナの力のおかげか、ファーレシアの人間の言葉を日本語として理解できるので、吹き替え映画のように口の動きと言葉がずれているという違和感に慣れさえすれば問題なかった。
食事に関する単語の多くは地球のものと同じだ。ただ、食文化はパン食中心である為、米の食事が懐かしくなる。これも徐々に慣れていくだろう。
しかし、こうした生活の要因にはすぐ慣れることができても、うまく適応できない要素も存在する。
今まで生活していた世界との違いとして最も大きいものは一日に占める時間の割合だ。
ファーレシアは地球よりも広い表面積を持つ世界のようで、一日は28時間で構成される。朝や昼における時間は地球のそれと変わらず、四季によって変動するらしいが、常に夜が長いという特徴がある。単純に考えれば、地球の一日に四時間分の夜を足すといったところだろうか。
次に、日常生活における文化と技術力の差異が見受けられた。響力機関という、現代の地球における機械と同じだけの技術が存在しながら、この世界――少なくともこの国の文化は中世のヨーロッパと同程度のものが主体だったのだ。
この文化と技術の間に見られる差異は、二つの要素が混在した歴史を持たない地球で生活してきた勇輝にとって多大な困惑を感じるものだった。
――それでも、響力機関があるだけ適応はしやすいけど。
響力機関の扱い方は殆ど機械と同じだったので、ある程度の扱いはすぐに慣れることができたのは幸いである。文化レベルとの違和感を無視すれば過ごしやすいことは間違いなかった。
「――そろそろ店の中も空いてきたな」
「そうですね。多分もう少しでアルさんも来ると思いますよ」
回顧を切り上げて店内を見渡すと客もまばらな状態であり、客のいる席よりも空席の方が目立つ状態となっていた。
――カラン。
ドアベルの音に振り向くと、こちらへと歩いてくる店の主――アルダレスの姿があった。
「待たせたな。今日はこれで店仕舞いだ。残りの客の会計は、まぁナターシャがやるだろう」
無意識に視線を傾けた先にはこちらに手を振るナターシャの姿があった。軽く会釈してアルダレスへと向き直る。
「さてと、今日君たちを呼んだのは一つ確認したいことがあったからなんだが、アティは聖剣が勇輝に吸い込まれるように消えたと言っていたな?」
「ええ。まるで光の粒になって勇輝さんに溶けたように見えました」
「……やっぱり、自分の知らないところでそういうことがあったと聞くと生きた心地がしないな。大丈夫なのかな?」
何度聞いても身体に悪そうな話である。いくら身体の一部のように馴染んでいたからといって身体と同化してしまったというのは、何らかの悪影響を心配してしまう。
「勇輝の心配に関しては、恐らく問題はない。というのも、過去のラティス・マグナは聖剣を虚空から取り出したと伝えられている。 それを証明するために……ここじゃ何だな。少し場所を移すぞ」
誘導に従って喫茶店の裏、ファンディエナ宅の庭まで移動すると、アルダレスは再び口を開いた。
「ラティス・マグナは聖剣を必要とする時に自在に取り出すことができると言ったが、それがどういう原理なのかはわかっていない。だから勇輝、試しに聖剣を手元に呼び出すような想像をしてみてくれ。形を思い浮かべるだけでもいい」
「聖剣を想像……」
目を閉じ、想起を行う。一週間も前に手にしたあの白い剣の形を思い出す。すると次第に手の中に微かな重量が認めてられていく。
「――アストネリア」
突如として脳裏によぎった聖剣の名前を口に出す。その言葉を鍵としたかのように、手の中の感触は高い旋律を響かせ、一振りの剣と化した。
「聖剣が……」
「こいつは、本物か」
アーティアとアルダレスは予想以上にあっさりと剣を取り出したことに驚いたのか、目を丸くしていた。
手にした剣へと視線を落とす。白いという印象を強く感じるその剣からは、あの時のような意思を感じることはなかった。
「なるほど。確かにただの剣じゃないな。纏っている響素の質が違いすぎる。勇輝はこの剣を制御できるのか?」
「制御? これって制御が必要なものなんですか?」
投げかけられた疑問に困惑する。一週間前も今も、この剣を扱うことに意識を割く必要は感じない。
「俺の知る限りでは以前、リーリア教会の司教をしていた男性が聖剣に触れた瞬間、精神が崩壊するほどに強い拒絶を受けたんだ。奏術の才気に溢れた奴だったんだが、これが相手じゃあな」
「司教……だからアーティアは……」
勇輝の言葉にアルダレスは頷き、彼は教会暮らしのアーティアにとって、兄のような存在だったと教えてくれた。
「そうだな。やはり、これほどの響素を宿しているなら、高位の奏術師でもない限り剣として使うこともできないはずだ。無自覚に処理ができているなら、ラティス・マグナ――いや、勇輝は奏術に関して天賦の才を持っているということになるな」
「俺が奏術の才能を?」
未知の技術というイメージしかない奏術を扱う才能がある。その言葉は、とても実感できるようなものではなく、まるで他人の事情を聞いているような心境だった。
「ああ。ラティス・マグナが扱う奏術が既存の属性であるなら、俺達でも教えることができるはずだ。だが、文献に残っている聖奏術に関しては全く力に慣れそうにない。それについては自力で何とかしてもらうしかないが、な」
こちらの疑問に答えると、アルダレスは一人店の方へと歩き出した。
「ふむ……奏術に関しても検討するか。勇輝にアティ、少し町をぶらついて来い。夕方くらいに戻ってくれば用意も終わってるはずだ」
「え? 用意って――」
「わかりました! ほら勇輝さん行きましょう」
「え? いや、ちょっと!」
何のことかと聞こうとしたところでアーティアに背中を押され、勇輝はその場を後にせざるを得なかった。




