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暫し沈黙。
とは言っても、どれ程の長さ黙していたかは定かではない。
ほんの一瞬きの間か、将又数秒、十数秒と硬直していたか。
それで言うなら硬直していたかどうかも定かではない。
目は泳いでいたかもしれない。口を開いて何かを言い出そうとして、また噤んでを繰り返していたか。何か考え事をするように中空を見上げていたやもしれないし、それとは逆に、目を逸らして伏せていたかもしれない。
何れ、傍から見れば挙動不審であったのは確かだろう。
何故私が怪談屋に電話をした人物だと分かったのか、だとか、まず貴方のお名前は、だとかそういう事が頭の中を巡っていた。
何かを言いたいようで、それでいて何から言えばいいのやら判然としない。
当然だ。依頼がある訳では無いし、何か確固たる用向きがあるとか、そういう訳でもないのだから。
唯、勢いで───それも最早心神喪失状態と言ってしまっても過言ではないのではないかというような心持ちで───この現状に至っているわけで。
ふと、嫌な間が流れているのを感じ取った。
今、この人とこの空間における主導権を私が握らされているのだ。私が吸い込んだ息を吐いて、声帯を震わせ、(文字通りの意味で)口舌を動かさなければ、ここに流れている宇宙は動き出さないのだ。
怪談屋は待ち草臥れたような面持ちで私を見つめている。
「あっあの」
漸く、私が対面する彼に向けての第一声を放った。
「学校に……その、ポスターが貼ってありまして。それを見かけて少し気になるなぁなんて……思って」
取り敢えず、直球勝負で行くことにした。元来、多弁な方でもなければ、当然舌先三寸と言うこともない。きっと何かしらの話を捏ち上げたって、語るに落ちるに違いない。
だから嘘はつかず、都合の悪いことだけ、隠すことにした。ポスターが貼ってあったのも、それが気になったのも事実なのだから。
顔色を窺うように怪談屋の目を見つめる。彼はつまらなそうな、怪訝そうな目付きでこちらを見据えていた。
再び沈黙。何かを待っているような、間。とは言っても、私は聞かれて答え終えたのだ。この間は私のものではない。怪談屋の彼が主導で作り出している間だ。
はぁっと軽く溜息をついて怪談屋は横を向いた。
「それだけか?怪談は」
それだけか、と言われればそれだけだ。しかし、「怪談が」とはどういう意味だろうか。
「全く。僕ぁ忙しいんだ。君みたいな冷やかし偏屈芋女と違って。嘘でも作り話でも噂でも、怪談なんぞ世の中溢れ返っているだろうに。それすら語ることもできないとはモグリにも程があるぞ」
「そも、ポスターが貼ってあるのが怖いのか?ポスター恐怖症か?難儀な奴だなお前は」
捲し立てるように怪談屋はそう言う。
なんだか知らないがとても、途轍もなくカチンと来た。そもそも私は事の経緯を説明しただけで何ら怪談を語った心算は無い。
それに、私は怪談や都市伝説の類が好きだ。モグリ呼ばわりされるなど……況してや怪談を語ってもいない段階で評されるなど以ての外。存外に心外というものだ。
少し大きな声で反論する。
「言わせてもらいますけど!私は貴方に電話をかけた経緯を説明しているのであって」
「僕ぁ君に依頼人かどうか聞いたのだぞ。なれば君が答えるべき文言は『はい』か『いいえ』の2択だろう。」
遮るように怪談屋は言った。
「それをすっ飛ばすなら用件を手短に……詰りこの場合、怪談を話すのが君の役割ということだ。下らない意味もない前置きだけを話すことのどこに理屈がある」
威勢よく返した出鼻を挫かれて返す言葉が見つからなかった。
三度沈黙。
怪談屋が鬱陶しそうに、気怠そうに立ち上がろうとした時、漸く私は口を開いた。否、開けた。
「……怪談を話す?……私が?」
先程、怪談屋が言った台詞の疑問を口にした。
「怪談屋って、人に怪談を話す……この場合、私に話すんじゃないんですか?」
「あン?噺家や落語家のことを言ってんのか?お前は魚屋が魚を何も無いところから生み出してると?八百屋が何も無いところから青果を取り出してると?」
怪談屋は座り直し───そうは言っても矢張り足を組んで今度は両の腕をソファの上に乗せた、傲慢な姿勢ではあるのだが───私を見下すように顎を上げた。
「仕入れるんだよ。怪談を。まぁ、お前みたいな乳臭い生娘の語る怪談なんぞ、大抵ネットの拾い物か出来の悪い三文創作だがな」
再びカチンと来た。態度もそうだが、なんとも人の神経を逆撫でする口調をした輩だ。
私は堪らずに返す。
「私だってもういい歳なんですよ。乳臭いだの言われるのは心外です」
見え透いた虚勢。呆けた顔で怪談屋が固まる。
考えている……と言うよりは言ってることが理解できないと言った表情で。
居た堪れ無くなったのか、その怪談屋の反応に対してムキになったのか、自分でも分からない程胸の内が騒めいていた。身体が熱い。
まだ湯気の上がるキリマンジャロをぐい、と飲み干して私は勢いよく挙手をして叫んだ。
「店主!もう一杯!」
……到底、古風で質素な喫茶店で聞こえるべき文言ではない。それにも関わらず、店主は眉根一つ寄せないでじっくりと珈琲を焙煎し始めた。目の前の七三男と違って大人の余裕と言うものを感じる。
そうして、こと、と二杯目の珈琲が私の眼前に差し出された。なるべく上品さを意識しながら、珈琲カップの耳のような取っ手を摘んでぐいと一息に飲み干す。
かた、と固く軽い音を立ててカップは小皿を敷いて着席する。
「どうです。私は子供なんかじゃないです。」
出来る限り胸を張って見下ろすような目線で怪談屋にそう言った。
「珈琲が飲めるから子供じゃないってのはガキの理屈だろ」
そう真顔で返された。
「ぐぅ」
喉の音とも腹の音ともつかない音がどこかから聞こえた。と言うか私から出た音だった。
精一杯大人ぶろうとしたが、身の丈に合わないことは基本的にするべきでは無いと実感した。先刻、私は似たようなことを思っていたじゃないか。結局、賢しらに振舞っても語るに落ちる……否、"騙る"に落ちるのだ。偽証は徹頭徹尾偽証の域を出ず、その特質故に必ず齟齬や矛盾を孕む。いくら繕ってもその内にある真実は真実であるが故に、無くすことも隠すことも儘ならない。
だから、私はその時点で大人らしい振る舞いを、捏ねくり回した体面ばかりの虚飾を、一切止めにした。
実の伴ってない主張は正当性にも信憑性にも欠ける。だから、私にとってそれらが伴っているものだけは訂正しておきたい。
「怪談ならひとつありますよ」
恥からか興奮からか、いつの間に熱くなっていた身体や頬を落ち着けるようにそう言った。
ふぅん、と怪談屋は興味があるのかないのか分からないような息を吐いて、先程よりは真っ直ぐ私を見た。
成程。怪談屋、と屋号を掲げているだけあって、怪談に対しては多少確りとした姿勢を持っているようだ。
反応次第では、私が逆にこの男の程度を量れるのではないかとそう思った。人から怪談を仕入れるというのだから、在り来りな話やテンプレートは熟知しているだろう。否、正しく言うなら熟知していなければそれこそモグリと言うものである。
ただ、そのテンプレートを踏襲するのでは先程彼が言ったような「ネットの拾い物」に当て嵌ってしまう。故に、そう言った方向の話で反応を探るのでは悪手の域を出ないだろう。
私は怪異譚の古典とも言え、現代の怪談にもその源流として確認出来るような話が山々ある遠野物語から抜き出し、手を加えて語ることとした。
それはこんな具合だった。
或る日突然、ぼやくように国語の国木田先生がこんな話をしてきた。
最近、妙な人影を見る、と。
国木田先生は女性で、ストーカーに付き纏われているとか、そう言った類の話かと勘繰ったけど、どうやらその後に続く話がおかしい。
聞けばその人影は前方にあるのだと。
齢が二、三ばかりの泣いている赤子をあやす母親のような後ろ姿だと言う。
それの何が妙なのか解らず問うと、ただの後ろ姿なら何も不思議なことはないんだけどねぇと、言う。
なんでも、その人影は先生の進む先に現れるらしい。追い越そうと速度を上げるとその人影も速度を上げる。大体五十メートル程の距離を保っているらしい。
だからずっと追いつけない。その為、人影の顔を確認できたことはないそうだ。
そして、常に進行方向の先に現れるのだと言う。
例えば、道の角を曲がるまで角を過ぎ去った先の直線方向にいたのに、角を曲がれば、視線の先にその人影が居る。
普通の人間であれば有り得ない挙動だ。瞬間移動していることになる。
先生は幻覚か幽霊なのかしら。不思議だわ、なんて悠長なことを言うもんだから、私は少しお休みを取れば、なんて提言した。いつも親身になって相談に乗ってくれる数少ない先生だから、私も他人事のように思えなくて。
その話をしてから一ヶ月程経った頃、また先生が声をかけてきた。
「少しずつ人影との距離が縮まっている」と。
私はどうしようもない不安感が胸に湧いた。先生が一ヶ月もその人影を見続けていたことも当然恐ろしかったのだが、何より、その話をする先生の目付きが異常に輝いていたから。
魅せられていると言うのはこういう状態かと思った。
聞くと、どうやら人影が現れる路が決まっているらしく、また、段々その人影があやしている赤子の泣き声が大きくなっているのだと言う。
「あれだけ大きな声で泣いているのに、誰も人影の方を見ようともしないのよ。やっぱり実在していないのかなぁ」
先生はそう言っていた。
そしてその後に続けて
「それでね、小泉さん。多分だけどそろそろあの人影の顔が見られるような気がするの」
絶対におかしい。私はそう思った。もしも幽霊か何かなのだとしたら、顔を見てしまえば呪われるのではないか。
その路を使うのはやめたほうがいいと止める私を大丈夫だよ、と軽く遇って先生は立ち去った。
去り際にこんなことも言っていた。あら、どこかで赤ちゃんが泣いてるわね、って。当然……私には何も聞こえなかった。
それで私はその日、先生の帰りを尾けることにした。
このまま先生を一人にしているとまずい気がしたから。
学校から数分住宅街を歩いて、先生が人影が出ると言っていた例の路のある角に入ろうとしていた。
止めよう、と思って駆け出すと、その角の先から
「あ」
って先生の声が聞こえた。
……その角の先に先生の姿はなかった。
その代わりに、私、見えたんです。
百メートル程先の方に、先生が言っていたのと同じ人影が。
先生の話だと、初めは五十メートル程の距離だと言っていた。きっと、気づかない間に先生の視界に入り続けていたんだろうと私は思う。
その日から国木田先生は行方不明。私はその路を使うことは無くなった。
話終えると怪談屋は不思議そうな顔をしていた。私の怪談に「モグリ」の前言撤回をする準備でもできたのか、とそう思っていると
「……大丈夫か?」
と聞いてきた。何がだろうか。
「さっきから呂律が回っていないし、顔も赤い。熱でもあるんじゃないのかね」
……そういえば、なんだか顔が熱い。否、顔だけじゃなく身体も。なんだろう。視界がぼやけて狭窄している。ほんのちょっと気持ち悪い。
そう気づいた刹那、私は意識を失った。
目を覚ましたのは二、三時間程後のことである。病院で寝かされていた。聞けば、珈琲に含まれるカフェインで酔ったのでは無いかという話だ。まだ頭が痛い。あの喫茶店の店主には本当に迷惑をかけてしまった……。今度お詫びに行かなければ。
その後、帰宅した際、両親に五百円玉を手渡された。
これはなんなのかと聞くと、怪談屋を自称する男の人が「怪談代」として渡してきたのだそうだ。
まともに私の怪談は伝わっていたのだろうか。結局、あの人がどれ程怪談に精通してるのかは分からず終いだったな……。そんなことを考えながら布団に潜った。
なんだか今日は変な一日だった。だけど、また明日からは普通の日が戻ってくる。何の変哲もない代わり映えのない平坦な毎日が……。
そうであればどれ程良かったか知れない。
翌日、国木田先生が行方不明になった。
忽然と、姿を消した。




