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怪談屋  作者: 伊藤修平
徒桜の怪
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2

 はっきり言えば気の迷いだった。

 気の迷い。

 そうとしか言いようがない。

 私は今、怪談屋の建物の前に居る。

 否、正確には怪談屋の真下。古風な喫茶店「すたぁげいざぁ」のテーブルに座って、大人ぶってキリマンジャロのブラックコーヒーを一杯頼み終えたところである。


 事の顛末(てんまつ)をお伝えしよう。

 あれはポスターを見かけた日のこと。

 結論から言うとポスターは先生に渡せなかった。

 と言うのも、音楽の男性教諭は後退した白髪を埋める様に額に皺が浮かんだ、天狗のような顔をした見てくれで、昭和然とした人である。なんでも吹奏楽部の顧問で色々な大会で結果を出しているすごい人だと言うが、その部活動のハードさ故に生徒の親からクレームが入るくらいである。吹奏楽部は文化系と運動系どちらにも収まらない中途半端な部活だと思っているが、ことこの学校に()いては野球部と比肩(ひけん)するほどには運動系の部活だと思える。

 そんな具合だから当然遅刻にも厳しく、ものすごい剣幕で怒鳴られた。蚊の鳴くような声でせめてもの言い訳に「お腹が痛くて……」と言ってみたが、その音圧で蚊も殺せそうな勢いで怒鳴るもんだから届いていないと思われた。

 しかし、「自分の体調くらい自分でなんとかしろ!お腹痛いなら休み時間の間に間に合わせろや!」と(しっか)り返してきたので、案外歳の割に耳聰(みみざと)いのかもしれない。

 それからの私はなんだかこの世にいてはいけない塵屑(ごみくず)のように思えて一層塞ぎ込んでしまった。

 ホームルームの時間になんの話をしていたかなんて思い出せない。


 そうして独りとぼとぼと家路に()いていると、なんだか無性にあのポスターのことが気になった。

「怪談屋」

 怪談屋と言えば、真夏の夜にロウソクなんか灯して、暗い色の浴衣なんか着て座布団の上で正座しながら、おどろおどろしい雰囲気の中、「あれは……たしか今日の様にじめーっとした夏の夜のことでした」なんて口上を言い出すあのことか。

 だとしたら何故学校にポスターが……?

 悪巫山戯(わるふざけ)や、不審者が入り込んでいそいそと貼り付けて帰った以外の筋書きに思い至った。

 宣伝だ。

 おそらく怪談のイベント事が近々あって、それの宣伝で貼られていたのでは、と。

 もしそうなら早合点でポスターを剥がしてよもや持ち帰るなど言語道断の行いでは……?

 そう思い始めると止まらなかった。

 少しずつ拍動が大きくなって動悸(どうき)のようになり、少し足が震える。

 先刻、散々怒鳴りつけられた私にとって、「怒られるかもしれない」という想像は必要以上に私の心を揺らした。


 家に着いた私は即座に部屋に入ってパソコンを起動した。ブーンと物憂げな機械音を鳴らして、父のお下がりはゆったりと立ち上がる。電話番号を調べる。

 頼むから出てくれるなと願いながらエンターを押した。

 Google Mapが表示される。

「怪談屋」

 確かに実在した。

 少なくともこれで、悪質な悪戯(いたずら)の線は消え去ったのだ。

 経路を見てみると、私の家から徒歩で行ける範囲。学区内にある。

 一層宣伝のポスターの可能性が強まった。

 わけのわからない焦燥感に突き動かされた。

 兎に角、バレる前に謝らなければという気分が起こる。

 今までそうした方が──────先生や親にバレて怒られるより自己申告で叱られた方が──────心のダメージが少なかったという経験則に基づく反応であった。


 そう。冷静さを欠いていた。

 幸か不幸か、家には私以外誰もいなかったのも大きいだろう。

 私の暴走を、私の混乱を止めるものは何も無かった。

 ポスターの記述通りにボタンを押す。

 3回コールの後、快活な男の声がした。

「もしもし」

 冷静に考えれば、かける前に分かったことであるが、電話をかけてどうするということをこの時に思い至った。

 ポスターを剥がしたことをこの人に謝るのか?謝ってどうする。

 とはいえ、無言電話もガチャ切りも家の電話からかけているという状況が許さなかった。

 きっと公衆電話からかけていたなら躊躇(ためら)うことなく切っていただろう。

 怪談屋。

 怖い話をする人種。

 そこで私は咄嗟に口にした。

「明日、お会いできませんか」

 これまた悪手である。

「間違って電話しました」とか、いくらでも誤魔化しようはあったはずなのに。テンパると(ろく)な選択をしない。

 受話器の向こうの善人とも悪人とも分からぬ声は答えた。

「宜しい。では明日の15:00に」

 途端、電話が切れた。


 だから冒頭言った通り。気の迷いなのだ。


「お待たせしました。キリマンジャロです」

 喫茶店の店主(マスター)幾星霜(いくせいそう)修練を積んできたであろう老木のような手でそっとコーヒーカップを私の前に置いた。

 ありがとうございます、と聞こえるか聞こえないかのような声で呟いて私は一口、珈琲を(すす)った。

 苦い。それでいて酸っぱい。なんなんだこれは。こんなものを有難がって呑んでいる父は変態なのか、将又(はたまた)味蕾(みらい)が死んでいるのか。

 頭の中で煩悶と苦悶が()い交ぜになったような心地がしたが、作ってくれた店主の手前、そして今の状況から来る不安を精一杯大人ぶることでやり過ごそうとしている自分を崩さない為にも、必死に涼しい顔を作ってこくん、と飲み込んだ。

 飲み干した今も尚、苦い後味が口中に広がっている。

 暖かいものを飲んだからか、身体が少しポカポカする。

 ふと、思う。

 もしかしたらキツイのは一口目だけでそのあとは美味しく感じるのでは……?と。

 何せ、今は口に苦味がある。この状態に慣れればその奥にある何らかの旨味を感じ取れるのではないだろうか。そうでなければ好き好んでこんなものを飲んでいる人間が、そしてこんなものが長々人類の歴史で生き残っている訳が分からない。

 ()もなくば、この飲料は変態とイキりと味音痴の手によって生かされているということになる。

 再びカップを口元に運ぶ。

 つい、と少量流し込む。

 ……さっきよりマシとはいえ、マシなだけだ。甘いとか美味いとかが無い。矢張(やは)り分からない味だ。

 でも、肌寒い今日この頃に露出の増えた服を着ている今、この温かさは染みる。


 そう。今現在、大人ぶることで平常心を保とうとしている手前、ほんの少し背伸びして露出の多い服を着ている。(とは言え、普段と比べて、という話なので、傍から見れば普通の(よそお)いである。)

 半袖の英字Tシャツにネックレス、下は膝上までの無地のスカートと言った出で立ちだ。


 からん、と喫茶店のドアベルがなった。

 見遣(みや)ると、背丈は百八十程あるかと思われる、真っ黒なスーツ……否、喪服というのが相応(ふさわ)しいように思える服装を着た男が入ってきた。濡れ羽色の髪をぴっちり七三で分けている。端が切れ気味の目にシュッとした顎の輪郭、そして何より筋の通った鼻。

 その男がツカツカと(あしおと)を立てて進みくる。

 私の席を通り過ぎようとした時、キュッと(きびす)を返し、テーブルの対面のソファにどかっと腰掛けた。足を組み、左腕をソファの背もたれに乗せ、その腕で頬杖をつく。

「君か?依頼人は」

 昨日の日暮れ、受話器越しに聞いたあの明瞭で快活な声だ。

 ハキハキとした口調で、怪談屋は不遜な態度で私にそう聞いた。

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