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真夜中の住宅街は一つの静謐な塊となっていた。未だ雨は降り止まず、ぽつ、ぽつと軽快な音を鳴らし乍ら地面や壁にぶつかっては消えていく。当の雨粒は闇に紛れ、街灯の周囲にだけ、その姿を現していた。
数時間前のことである。雨乞いが、例の雨女の活動出来る範囲や時間を確保する為に何者かが仕組んだものではないか、と言う仮説を私達は立てたのだが……その後、直ぐに飯綱さんがその仮説が正しいのかを確認しに行こうと言ったのだ。何ともアクティブな人である。怪談屋の主、森須 八雲も確かにフィールドワーク地味たことをしていたが、この人の場合は……何だが切った貼ったや徒手空拳を前提とした索敵に近い行為に思える。懐に据えた刀の所為だろうか。
ひとつ、大きな欠伸をしてぎゅっと力強く目を瞑り開ける。眠い。
噂では目撃されるのがいつも深夜と言うので、丑三つ時に至るか至らないかというこの時分に外を徘徊しているのだから当然だ。親にバレずに家を出るのも一苦労だった。
……それに、例の公団の近くに現れるとも限らない。実際、私達の立てた推論はあくまで推論なのだ。雨女と繋がりがあるとは限らない。若し、推論が正しかったとして、既に雨女が通り過ぎた後なら……況や、この活動は徒労の類いである。
骨折り損の草臥れ儲け。
そうはならないことを祈りたいものだが……。否、そうでも無いか。出てきたら出てきたで、恐ろしいものは恐ろしいな。
そんなことを考え乍ら、虎さんと飯綱さん両名と若干距離を取りつつ(具体的にはお互いが目視で確認出来る程度の距離だ……凡そ2、300メートルほどか)徘徊する。
あまり離れすぎても、当の目的である雨女への対策を私は持ち得ていない。
あの二人が私の参加を若干拒否していた節があるのはそういうことだろう。そこを私が無理を言ってついてきたのだ。雨女の姿を一目見てみたいという或る種の野次馬根性の顕れである。
ざぁざぁ、と未だ軽快に雨音は鳴っている。
ぱたぱた、とビニールの傘に当たっては跳ねっ返って弾む雨滴。
とたんとたん、と板金屋の、今日日珍しいトタン屋根では密かに雨が踊っている。
ずっずっ、と衣擦れのような音が聞こえる。
衣擦れ……?
途端、雨足が強くなった。
今迄が静寂であったと思える程に。
怒りに任せ殴りつける様な、何かを音と視界を奪って隠し通したい様な、そんな具合に。
脳裏に過ぎったのはつい先月の出来事だった。
顔を見てはいけない怪異。
若し、今……後ろを振り向けばどうなる。
引き摺られるのは私になるんじゃないか……?
拍動が聞こえた。
視界の端が黒く窄まる。
血管という血管に、血が巡るのが分かった。
大丈夫だ。あの二人もいる。何より、今回の目的がのうのうと姿を現してくれたのだ。何時現れるとも何処に現れるとも知れなかった存在が。千載一遇の好機。
そう覚悟し、息を呑んで振り返った。
薄汚れた白い布が眼前にあった。
ひらひらとしたそれが衣服であるということに気付くのにそう時間は要さなかった。恐る恐る、視線を上げていく。
……コラージュだ。
複数人のものを切り貼りしたような顔。不格好な継ぎ接ぎ。直感した。これが雨女だ。
唸り声とも呼吸音ともつかぬ音を上げながらそれは私の横を通り過ぎていく。のろりのろりと。牛歩を重ねて。
ずっ。ずっ。
雨で掻き消されていた先程の異音が、再び聞こえた。
視線だけを下に落とす。
人だ。
噂に違わず。
人を引き摺って歩いている。
そこからはうろ覚えだ。
ただ、恐怖心と同じくらいに、助けないとと言う考えが頭を占めていた。
気付けば引き摺られている被害者を掴んで居た。
勿論、絶叫しながら。
くん、と抵抗を感じたが早いか、勢い良く女の顔がこちらを向いた。梟の様に首だけを回して。左右で大きさの違う不格好な目と目が合った。
死ぬ。
そう思った瞬間、雨女は後方に吹き飛んで行った。否、蹴り飛ばされて行った。
「大丈夫っすか!?」
虎さんが焦ったように聞く。私の叫び声に二人が駆けつけてくれたのだ。
引き摺られていた雨女の被害者は、私の手にあった。さっきので何とか引き剥がせたのだ。かくん、と足から力が抜け、私はその場にへたり込む。
視線の先では……飯綱さんがあの刃の無い刀を手にして、雨女と対峙していた。
「自分、えらいブッサイクやな。出来損ないのキュビズム顔やん」
雨女は先程と同じように、唸りとも呼吸ともつかない音だけを上げている。
「……反応ナシ、と。耳糞でも詰まっとんのか?それとも端っから会話する気が無いんか?いや、出来ひんのか」
そう言うと飯綱さんは刀を上段に構える。
「なぁ、自分。これ見えるか?刃先無いように見えるやろ。実際、形としては無いんやけどな。本質的には、ちゃんとあるんやわ」
よく見ると、その刀の鍔から先。本来刃があるべき空間には雨が弾かれ、つ、と滴っていた。
透明の刃、と言った感じだ。
彼女は続ける。
「目に見えんもんやからな。目に見えんもんだけ切るんや。お前みたいなんにはうってつけ言うわけやな」
そう言うと、目にも止まらぬ速さで刀を振った。恐らく、二、三度。
それに合わせ、水滴が遠心力で宙を舞う。
すると、すぅ、と雨女の姿が次第に薄くなって消えた。霧のように。靄のように。
気付けば雨は、ぱらぱらと小降りに変わっている。
「……倒した……んですか?」
私が途切れ途切れにそう聞くと、飯綱さんはうーん、と軽く唸って腕を組みながら小首を傾げた。
「どやろなぁ。手応えは全然あらへんかったし……何より、あれは多分なんか中に入っとるな。中におるやつ抑えんとまた出てきよるで」
「……中に入っているって……何が……」
私がそう聞くと、彼女は真顔で言った。
「決まっとるやん。人や。人」
そうしてこう続ける。
「まぁただ、うちも何かを切ったは切ったからな。今回の件も無駄では無いんとちゃうか?」
知らんけど。そう括って、彼女は刀を鞘に収めた。




