7
「ただいまー」
慣れた風にガチャリと扉を開け、飯綱さんが事務所に帰ってきた。私達が帰宅(この場合帰社と言うのが正しいのだろうか)してから凡そ1時間が経った頃のことだ。抑、ここを出た其の時から彼女は傘やら雨合羽やらを使っていなかったので、濡れ具合としては先刻公園に着いた時と遜色はない。然し、矢張り今の今迄ずっと雨に降られていたのだろう。三和土に立った儘、彼女は少し体を仰け反らせて大きなくしゃみを一つした。ずず、と鼻を啜りながら「ごめんけど、お湯で濡らしたタオルかなんか持ってきてくれへん?うちお湯出す場合はシャワー使われへんから……」と言ってしゃがみ込んだ。
そう言えば罰がどうとか呪いがどうとか言っていたっけか。
「ちょっとまって下さいね」
虎さんはそういうとソファから立ち上がって台所に向かった。暫くしてカチリと音が鳴り、コンロの火がつく音がする。
「あ、牡丹さん。一応、飯綱さんにバスタオル持って行ってもらってもいいっすか?」
「ラジャー」
私は虎さんの呼び掛けに軽く返事し、トイレの前に設置されている棚に向かった。トイレ……というより、此処はユニットバスなのだ。どうやら偶に缶詰で案件に取り掛かることがあるらしく、事務所を態々改造したと聞いた。だからバスタオルは其のユニットバスの手前の棚に置かれている。
フワフワの白くて大きなバスタオルを取り、飯綱さんに渡す。
「堪忍なぁ」と彼女は小刻みに肩を震わせ乍ら仄かに蒼白した顔で微笑みながらそう言った。よく見るとファンデーションやらアイシャドウやらが雨で崩れたような様子がない。端から化粧の類はしていないのだろうか。(雨で完全に流れきったという線も無くはないだろうけれど)
……どのからどう見ても、美人である。
正直、あの陰気で草葉の陰が住処のような喪服野郎とは対称的である。と言うより本当にどういう関係なのだろうか。呪いといい、気になることが多いけど……。
「どないしたん?そんな見つめられたら照れるやん」
飯綱さんはや〜ん、と柔らかな声を上げてほっぺたに手を当てた。
「いや、なんて言うかその……」
私は言い淀む。見つめていた理由を其の儘言うのはなんだか気恥ずかしかったからだ。何か良い言い訳は……。
「……どうしてあの子供達に混ざりに行ったんですか?」
気になっていたことを口にした。そうだ。赤い合羽の子供が怪異ではなく谷崎さんの思い過ごしなら今回の件はそれで終いの筈である。態々あの子供達に混ざる意味など無いのだ。実際、それで私達はその場で解散した訳だし……。
「あぁ、あれな。ちょっと気になることあって。まぁ、結論から言うとその気がかった部分が杞憂やないみたいなんやけどなぁ……」
「気になったこと……?」
「うん。せや。気になったこと。あの子ら、なんや変な遊びしとったやろ?こう、ゆらゆら揺れて」
そう言い乍ら飯綱さんは手や体をゆらゆらと揺らした。あの子供達がやっていた動きとそっくりに。
「やってましたね……そんな感じの動き」
「あれな、雨乞いの踊りやねん」
……雨乞い?
雨、雨、降れ降れと、そういう……いや……でも、なんで?
私がそう疑問を口に出そうとした時、台所の方から出てきた虎さんが声をかけてきた。手にはボウルを持っている。
「出来たっすよ!あったかおしぼり!」
「おおきにー!」
飯綱さんが大きな声で返し、私の方をつい、と見遣った。
「気になるやろうけど、先、体拭かせてな」
そう言うと彼女は虎さんからボウルを受け取った。
「ごめんけどここ、風呂場かなんかある?流石に玄関で服脱ぐんは……」
「一応ありますけど……ユニットバスっすよ」
「かまへんよ。うちかて他人ン家の生活設備にまで口出さへんわ。ほな借りるで」
そう言って彼女は扉を開けて中に入っていった。
「一応、俺らの予備の着替え置いとくっすよ!」と、虎さんが呼び掛けると、「あんがとー」と扉の奥からくぐもった声が帰ってきた。
いまいち掴みきれないところのある人だ。その点ではあの怪談屋と昔からの知り合いというのも納得できる。
其れから数十分が経った頃、飯綱さんが出てきた。ワイシャツに黒いズボン。いつもあの怪談屋が着ているものだ。胸周りが若干張っているものの、サイズ的には殆どピッタリで、似合っていた。顔の良い人は何を着ても似合うというのは至言だなと感じる。
「それで……雨乞いって……」
私がそう切り出した。先程の話の続きだ。
「そうそう。あれな。雨乞いの踊り。本来は笛とか太鼓とかの音に合わせて踊るんやけど。それでな。あの子らに聞いたら、踊りを教えてきよったやつがおるらしいんよ」
「それは……雨を降らせようとしてる人がいるってことですか?」
「多分な。犯人も目的もよう分からん。けど……まぁ」
碌な理由やないやろな。
飯綱さんはそう言って軽く溜息をついた。
目的が分からない。雨が降って何の得が……況してや、大都会と言えないまでも、私の生活圏内に畑は見ない程度には都会の筈だ。
目的……。
「あ」
一つの、可能性が頭に浮かんだ。
「なんとな〜しに、察したみたいやねぇ。牡丹ちゃん」
飯綱さんがくいっと口角を上げて言った。続けて虎さんが反応する。
「どういうことっすか?」
「……いえ、あくまで仮説……。否、でもこれが本当だとすると……相当気持ち悪いですよ」
私は自分自身の口元を手で抑えて言った。
「雨女ですよ。例の。人を引き摺っているっていう。若しかしたらあの雨女が活動出来るように雨を降らせ続けたい誰かが居る……。そういう仮説です」
雨女。
本来なら雨を呼ぶ存在。
しかし、今回の其れは「人を引き摺る」と言う差異がある。
そしてその特性は……都市伝説に見られる「ひきこさん」のそれだ。
加えて、彼女は雨の中しか現れない。
明確に、怪異として、怪談として、雨を呼ぶ存在から変質している。
飯綱さんから話を聞いた時は自然発生的なものだと思っていた。
思っていたが……若しも其れが人為的に起こされたものの可能性があるとしたら?
若しも其れを何かに利用しようとしている何者かが居るとしたら?
五月に起きたあの桜の事件を思い出した。
嗚呼、気持ち悪い。




