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怪談屋  作者: 伊藤修平
徒桜の怪
10/14

8

 聖地巡礼、と言うのは何も今の時代に始まったものでは無い。遡れば江戸時代には存在していたとされている。しかし、その頃のものは今のサブカルチャーに使われているものよりはもっと原義に寄った……つまり、寺社仏閣を回る文字通りの聖地の巡礼であったようだ。

 そして聖地とは真逆の位置に存在する、穢慝(わいとく)禍殃(かおう)の渦巻く心霊スポットや忌み地と言うのも、広義での聖地巡礼に置かれることがある。

 要は心スポ巡りや心スポ行脚(あんぎゃ)と呼ばれる行為が心霊スポットを皮肉にも聖地と成し得ているのである。とは言ってもそれらの巡礼は、実際にはホームレスが住み着いていたり、同じ様に心スポに来た人が居たり、不良のたまり場になっていたりと、それらの事由から本当に出そう、と言った感覚は軽薄になっていくものである。他人がその場にいる時、心を騒ぎ立てる無音は途端に崩れ、心霊もへったくれも無いのである。

 抑々(そもそも)、怪異譚や怪談などの大半は創作であるわけで、実際起こった事柄と(いわ)くとが大きく乖離(かいり)しているというのも往々にしてある。そうなってしまえば、本物の幽霊が出る、などと言うのは噴飯物(ふんぱんもの)の主張では無いだろうか。(もっと)も、悪い噂がある所には悪いモノが()くから、心霊スポットとなった時点で穢れの多い場所になる、などと言った苦し紛れの言い訳のようなものもあるが、それに至ってはその心霊スポットである必要性や蓋然性(がいぜんせい)など端から否定しているようなものだ。

 そう。往々(おうおう)にして怖い雰囲気が、恐ろしい空気が、おどろおどろしい空間を演出しているに過ぎない。過ぎないのだ。


 今の状況を除いては。


 足が(すく)む、等という感覚に陥ったことはこの十四年で一度としてなく……否。それでは齟齬(そご)がある。一度として"なかった"。

 確実に怪異がいる───それも危害を加えられると言うのが(ほとん)ど確定しているような───場所に自ら足を運ばなければならないと言う状況は形容し難い不快感を伴う。今直ぐ全てを投げ出して、逃げ出したい気持ちに駆られる。

 恐ろしく、(おぞま)しい。

 怪談屋は、今私の首に付けられているこのチョーカーでは心拍数が測れて、リアルタイムでマルチデバイスにインストールされている専用のアプリケーションで確認が出来ると言っていた。

 きっと吃驚(びっくり)するほど高い数値が出ているのではないだろうか。確実に心臓に負担が掛かっているのが解る。耳も目も心做しか遠く、活動写真を見ている観客のような心持ちになる。どこか他人事で、どこか現実に根ざしていないような、そんな感覚。



「おい。着いたぞ」

 怪談屋がそう言って振り返った。

 あぁ、もう着いたのか。現実逃避の時間は()うにその幕を下ろしていたのだ。

 幕が降りたのならどうなるか。

 決まっている。

 幕が上がって次の演目が始まる。

 常々私が(ページ)を捲って追いかけていたあの本の様に。

 しかし、それとは大きく異なる点がある。

 ここは今、現実なのだ。

 頁を誰が捲るでもなく、物語は進む。

 私の意志とは無関係に。

 不如意(ふにょい)だ、と私は思った。


 恐る恐る一歩、足を進めた。

 角を曲がる。

 恐る恐る曲がる。

 刹那、私の眼前に飛び込んでくるのは、赤い服を着て赤子をあやす、女の人影。


 突如、視線が低くなった。

 お尻が痛い。

 何が起こったのかを理解できたのは数秒後のことであった。

 足の力が抜けて尻餅を()いたのだ。

 虎さんが何か言っているようだったが、聞き取れない。聴覚が麻痺しているようだ。


 あのSNSに上げられた写真を見ても、まだどこか白昼夢にいる気分だった。

 どこか嘘っぱちで、本当は何か壮大なドッキリが仕掛けられていて……。

 現実の出来事であると否が応でも自覚させられたことで、途端に肉体が拒絶反応を起こしたのだろう。


 ふっと目の前に手が差し伸べられる。虎さんのものだった。

「大丈夫っすか?立てます?」

 と、心配そうな顔をして彼は言った。私は応答したかったものの、上手く声が出ず、細かく首を横に振った。

「虎。おぶってやれ。この(まま)ここに座り込まれても邪魔なだけだ」

 怪談屋は虎さんにそう指図した。この男はどこまで行ってもこの男なのだな、とそう思った。

 虎さんは出来る限り体躯(たいく)を屈めて、その大きく広い背中を私の方に向けた。私は両の腕を伸ばし木の幹の様に太い首にしがみつく。

 途端にぐい、と目線がいつも以上に高くなる。今よりもっと小さな、記憶が残っていない子供の時分に、父親から「たかいたかい」をして貰った時はきっとこんな風に世界が見えたのだろうな、とそう思った。

 さっき(まで)の不安や恐怖と言ったものが安心感に代替(だいたい)されていくのを感じる。


「で、その女ってのはどこら辺から出てくるんですか?」

 正面を向いた儘、虎さんが聞いた。

 何を言っているのだろうか。あれほど目立つ警戒色の服を着ているのだから見えない筈がない。あんなに目立っているのに見えていない……?

「おい」

 怪談屋が私を見上げて(普段見下すような目線を向けて来るので、状況を差し引けば悪い気はしなかった。)聞いた。

「あの話、大方遠野物語か何かから持ってきたろう。行き先に必ずいる赤子をあやす母の人影。走っても追いつけない怪談があったな。それに"何か"を混ぜたな?(たし)かあの怪談は家の中に入っていくか何かしたが結局、その人影は姿を(くら)ませて終わる筈だ。神隠しの要素なんて無い」

 なんだ。バレていたのか。今更の答え合わせとなった。

「そう……です。そのまま持ってくるとインパクトに足りないと思って。神隠しの方は……寒戸の婆から」

 そう言って(ようや)く理解した。あぁ、そうか。だからだ。私が真っ先に気づくべきだった。

 怪談屋は呆れたように言う。

「全く。何故それを早くに言わなんだか」

「え、ちょなんすか。どういう意味っすか。説明して下さいっすよ」

 困惑したように虎さんが言った。

黄昏(たそがれ)に女や子供の家の外に出ているものはよく神隠しに()うことは他所(よそ)の国々と同じ、と言う語りから始まる怪異譚だ。居なくなった娘が30年後婆になって帰ってきてまたどこかに消える」

 怪談屋が返す。

「恐らく、今回その怪談と合わさったせいで、あの怪異は若い女にしか見えない、と言う状態なんだろう。だから僕らには見えない。」

「ん?でも牡丹さん、そんなこと話してましたっけ?」

「阿呆め。それで言うなら、この小娘は何処(どこ)(みち)かという事自体も話していない。類推するに、頭の中で決まっていた設定が怪異として形になったのだろう」

「なるほどっす!」


「いや……違います」

 私は納得する虎さんを遮るように言った。

「確かに神隠しの要素は寒戸の婆から取りましたが……あの怪談に、あの女の人影に、女性にしか見えないなんてことは考えていませんでした」

 そう。

 異常事態なのだ。(かた)った怪異が現実になったこと自体が異常事態なのだからこれは異常事態中の異常事態と言える。


 私の眼前にいるアレは


 一体なんなのだろうか。


 頭が痛くなってきた。

 何か身体に直接の不調があると言うわけではない。今自分の置かれている状況、そして今私の眼前に姿を成している世界の全てが、浮足立っている。地に足の着いていない白昼夢の様だ。

「……お前、嘘は……否。()く必要など無いのだから愚問だな。つまりあれは、お前の手を離れている怪異だということか」

「やっぱ偶然ってことなんすかね。牡丹さんはこの怪異の件には一切関与していないとか」

「阿呆め。僕が日頃なんと言っているか思い出せ」

「怪異には規則(ルール)起源(ルーツ)がある」

「憶えているじゃないか。1点のみの不整合でその他の整合を無視するのは(いささ)か頂けないぞ」

「でもじゃあ、その不整合にどう説明つけるんすか?」

「恐らく……推測に他ならんが元となった怪異の形質を継承している……端的に言えば、混合獣(キメラ)のようなものってところだ。そしてもうひとつ言えるのは、ゼロから怪異を……つまり、概念として新しいものを生み出すだけの力が「嘘の怪談」にはないと言えるな」

「それが規則(ルール)っすか?」

「そして起源(ルーツ)だ」

「それじゃああとやることは一つっすね」

「その通り。検証だ」


 先程とは違い、今度は私が置いていかれている。彼らがなんの話をしているのかはさっぱりわからない。

 寒戸の婆を知らなかった、怪談には(うと)そうな虎さんが私を置いて、怪談屋と怪談についての会話が出来ているということは、ある種実務としての怪談への耐性があるということだろう。

 私のそれはあくまで机上の、言ってしまえば座学のそれだということだ。

 虎さんが私に声をかける。

「ちょっと動くっすよ」

 私が怖がらないように先んじて教えてくれる。気遣いの出来る男だ。


 虎さんは一歩、一歩と前に進んで行った。十歩ほど進んだ辺りで再び声をかけてくる。

「どうっすか?」

「何がですか?」

 乗り心地だろうか。大変快適だ。

「女っす。女は動いてます?」

 否。動いていない。元ネタ、及び私の怪談通りなら動くはずなのだが……。

「動いてないです!」

「つまり、自分の足で動かないとこの怪異は動かないということっすね。」

 これも私が設定していない範囲の話だ。

 成程。これが「検証」か。


「おい。背負われて許りの芋虫女」

 遂に芋女の間に虫を入れてきた。正直、今の私の状況を見れば必死に枝葉に捕まる芋虫や尺取虫の様なものであろうが、それが一介の女子中学生に対する呼称だろうか。

「いい加減自分で歩け。と言うか、歩いてもらわねば次の検証が出来ん」

「すんませんっす、牡丹さん。協力して下さい。足の方は大丈夫っすか?」

 もうとっくに足や身体の震えは収まっている。ただ、安心出来るからもう少ししがみついていたかっただけで、歩けない訳ではない。

 大丈夫だと答えると、虎さんは硝子(ガラス)細工の工芸品を扱うかのように、そっと私を地面に下ろした。

 そんな虎さんとは対照的に喪服男はおい、と声をかけ私に指示した。

「向こうの歩道に渡ってみろ」

 渋々承諾し、横断歩道を使って私は車道を挟んで対岸の歩道へ渡った。否、渡る途中。つまり、厳密には車道の上で怪談屋に「止まれ」と命令された。

 何事かと足を止めると、怪談屋は横を見てみろと言わんばかりに顎をくい、と動かした。

 私は怪談屋と虎さんの向いている方向に目をやる。


 そこには数十メートル先に赤い女の姿があった。


 車道の上に、あった。


それを告げると

「撤収だ。欲しい情報は全部手に入れた」

 怪談屋はそういうと踵を返して、靴音をつかつかと鳴らしながら歩き去る。

 虎さんが私の方に歩いて来て「行きましょう」と手を引いてくれた。またおんぶしましょうか?と聞いてくれたが、冷静になると恥ずかしかったので断る。

 戻って大丈夫なのかと聞くと、虎さんは自信のあるような顔でこう言った。


「あの女を倒す方法が多分分かったんすよ」




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