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この無能!仕事が遅いぞ!と罵られた公爵令嬢は、婚約破棄されて自由を手に入れる。今まであなたの仕事もしていたのは私ですよ~どうなっても知りませんわ  作者: 山田 バルス


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第十九話 「彼女を追い出した、本当の理由」

 

 

 十数年前。

 ベルガリア王国で、疫病が流行した。


 王都でも多くの人々が倒れた。

 その中には。

 マルクスの妻、マリエットもいた。


「マルクス……」


 寝台の上。

 マリエットは苦しそうに息をしていた。


「大丈夫だ」


 マルクスは妻の手を握った。


「必ず治す」

「……本当に?」

「ああ」


 その頃。

 王家の薬草庫には、疫病に効果があるとされる希少な薬草、雪見草が保管されていた。


 王家だけが管理する、貴重な薬草だった。

 マルクスは国王のもとへ走った。


「陛下!」

「どうした、マルクス」


「王家の薬草を使わせてください」

「……」

「マリエットが病に倒れたのです」


 国王は苦しそうな顔をした。


「分かった……」

「ならば!」


 マルクスは頭を下げた。


「陛下、早く薬草を分けてください」

「それは……できない」


「なぜです!」

「王家の薬草は、法律により、王族以外の使用は禁止されている」


 マルクスの顔から血の気が引いた。


「今、妻が死にかけているのです!」

「分かっている」


「ならば、なぜ!」

「一人を例外にすれば、次は十人が求める。十人を許せば、百人が求める」


 国王は苦しそうに言った。


「王家の薬草を守ることも、王の責務なのだ」

「……」

「すまない」


 マルクスは震える手を握りしめた。


「あなたは……私の親友でしょう」

「ああ」

「それでも……妻を助けてくれないのですか」


 国王は何も答えられなかった。


 それから数日後。

 マリエットの容態は急激に悪化した。


「マルクス……」

「ここにいる」


 マルクスはマリエットの手を優しく握った。


「レオポルドは……?」

「隣の部屋で寝ている」

「わたしの可愛い坊や……」


 マリエットは薄く笑った。


「あの子を……お願い」

「お、おい、何を言ってるんだ」


「あなたなら、大丈夫」

「マリエット……」


 マルクスの声が震える。


「私は……何もできなかった」

「そんなことないわ……」

「君を助けられない……」


 マリエットは弱々しく首を横に振った。


「あなたのせいじゃないわ……」

「私は、どうしたらいいのだ」


「マルクス……あの子をお願い……」

「マ、マリエット……」


 そう言い終えると、マリエットはそっと目を閉じた。

 そのまま眠るように静かに息を引き取った。


 マルクスは。

 最後まで、その手を離さなかった。


 ◇


 現在。

 マルクスは古い刺繍を握りしめた。


「……あの日」


 声が震える。


「私は、何もできなかった」


 妻は死んだ。


「法律を守って……何が残った?」


 マルクスは目を閉じる。


「王が堅物なら」


 静かに呟く。


「国民は苦しむ」


 だから。

 決めた。


 もう二度と。

 王の判断だけで、大切な人が失われる国にはしない。


 王が無能なら。

 王を変えればいい。

 正しい判断ができない王ほど迷惑なことはない。


「……私は、この国を変える」


 そのために。

 財務にも司法にも、信頼する人間を送り込んだ。


 軍にも。

 王太子宮にも。


 少しずつ。

 王の周囲を、自分たちの人間で固めていった。


 ◇


「父上」


 扉が開いた。

 レオポルドだった。


「まだお休みになられていなかったのですか?」

「ああ」


 マルクスは刺繍を机の引き出しにしまった。


「どうした?」

「父上が推薦した人物が、無事に重要な役職につきました」


「そうだな」

「これで、計画はさらに進みます」


 マルクスが顔を上げた。


「お前も、そう思うか」

「はい」


 レオポルドは迷いなく頷いた。


「母上を救えなかったあの日から、私はずっと考えていました」

「……」

「国を守るというのは、王の命令に従うことではありません」


 レオポルドの瞳に、強い意志が宿る。


「国を守るために必要なら、王さえも動かすべきです」


 マルクスは静かに息を吐いた。


「お前には、母のことをほとんど話していなかったが……」

「知っています」


「それでも、お前は私の考えを理解しているのだな」

「当然です」


 レオポルドは答えた。


「母上が亡くなったのは、薬草を使わなかった王の責任です」


 レオポルドは拳を握った。


「だから、私たちが王の代わりをすればいいのです」

「そうだ」


 レオポルドは淡々と言った。


「王に、自分がすべてを決めていると思わせればいい」


 マルクスの口元がわずかに上がった。


「それが傀儡だ」

「はい」


 レオポルドは頷いた。


「表向きは王家を支える忠臣」

「だが実際には?」


「王が見る情報を選び、王が会う人間を選び、王が下す判断をこちらへ誘導する」

「……」

「そうすれば、王は王座に座ったまま」


 レオポルドの声は静かだった。


「ただし、国を動かすのは私たちです」


 マルクスは息子を見つめた。


「二度と、無能な王の判断だけで大切な人を失う国にはしない」

「……レオポルド」

「王家のために国があるのではありません」


 レオポルドは静かに言った。


「国のために、王家を正しく使うのです」


 マルクスは笑った。

 父と息子は。

 静かに視線を交わした。


 そこに迷いはなかった。

 彼らにとって。


 これは権力を奪うことではない。

 ――国を正しくするための、必要な手段だった。


 ◇


 その夜。

 ベルガリア王国では。


 誰も知らないところで。

 王家への復讐計画が。


 着実に進んでいた。

 宰相マルクス。

 その息子レオポルド。


 そして。

 知らないうちに、その計画に利用されているシャルミナ。


 彼らは。

 アリーゼを王太子の隣から追い出した。


 彼女が無能だからではない。

 むしろ。

 彼女が優秀だったからこそ。


 彼女が王太子妃になれば。

 王宮の財務にも、外交にも。

 大きな影響力を持つことになる。


 しかも。

 アリーゼは、自分たちの思い通りに動く女性ではなかった。


 だからこそ。

 彼女が王太子の隣にいることは。

 マルクスたちにとって、最も都合の悪いことだった。


 けれど。

 彼らは知らない。


 自分たちが排除した女性が。

 異国の地で。


 さらに大きく成長していることを。

 商売を学び。


 外交を学び。

 人との繋がりを学び。


 そして。

 かつて自分を「無能」と呼んだ者たちが想像もしないほどの力を。

 少しずつ身につけていることを。



 ◇


 一方。

 ルーヴェン公国。


「できました!」


 私は机の上に広げた商談計画書を見て、思わず笑った。


「これなら、生産者にも商会にも、買う人にも利益が出ます」

「ええ」


 エドガルド様が頷いた。


「素晴らしいですね」

「ありがとうございます!」


「アリーゼ嬢」

「はい?」


「あなたは、本当に楽しそうですね」

「……そうですか?」

「ええ」


 エドガルド様は微笑んだ。


「以前より、ずっと」


 胸が温かくなる。

 以前の私は。


 自分が無能だと言われないように。

 ランスロットに認めてもらうために。


 必死だった。

 けれど。


 今は違う。

 私は。


 自分の未来のために学んでいる。

 自分の力で。

 新しい道を歩いている。


「明日の商談も楽しみです」


 私が笑うと。

 エドガルド様は、少しだけ目を細めた。


「その笑顔」

「はい?」


「とても素敵ですよ」

「……!」


 思わず、言葉を失った。

 ランスロット殿下から。

 私はこんなふうに褒めてもらったことがあっただろうか。


 そう思った瞬間。

 なぜか胸が、少しだけ苦しくなった。


 あの頃の私は。

 誰かに認めてもらうために、必死になっていた。

 そのことを思い出したからだった。


「そ、そういうことを急に言わないでください」

「申し訳ありません」


 そう言いながら。

 エドガルド様は楽しそうに笑っていた。

 私は頬を押さえる。


「もう……」


 けれど。

 嫌ではなかった。


 むしろ。

 嬉しかった。


 ◇


 そして、その夜。

 私は公爵家へ、一通の手紙を書いた。


 ルーヴェンで始めた商売について。

 これまで学んだこと。

 これからやってみたいこと。

 そして。


 もし許されるなら。

 商売を手伝ってくれる人を、こちらへ寄こしてほしい。


 そんなお願いを書いた。

 書き終えた手紙を見つめる。


 以前の私なら。

 こんなお願いをすることさえ、ためらっていただろう。


 誰かに頼ることは。

 自分が無能だと認めることのように思えていたから。


 けれど。

 今は違う。

 一人で全部を抱える必要なんてない。


 商売は。

 人と人との繋がりで成り立つものだから。

 私は手紙を公爵家へ送った。


「明日は、もっと面白くなるわ」


 ルーヴェンの夜空を見上げながら。

 私は微笑んだ。



 

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