2-6
会議室を出て、風のように馬車に乗り込み、ルシアスは邸宅へ戻った。
執務室のソファに埋もれて、開放感を味わう。毎度のことであるが、ああいった場所は精神が削がれる。
「疲れた。」
ぽつりと呟くと、ロイがおもむろに尋ねる。
「最後のあれは何だ?よく意味が分からなかったのだが。」
ルシアスは独り言のように呟く。
「『正しい』と『間違い』という概念の向こうに、広い野原がある。そこで会いましょう。」
「それだ。」
ルシアスはソファに埋もれたまま、気怠げに答える。
「善悪や優劣、正解や不正解といった対立や評価という概念を手放した先に、本当の理解と平和があることを示しているんだ。とある詩人の言葉だよ。」
「なるほど。随分と哲学的だな。」
「そうかな。私には随分と詩的に感じるが。まぁ、要は、はいともいいえとも言いませんってことだ。」
ロイが苦笑する。
「確かにあの場ではどちらとも言えなかったな。しかし、宰相殿があんなに好意的な態度を取ると、アウルム殿下対ルシアス殿下の構図が嫌でも見えてしまうな。私は敵だと思っていたのだが、いつの間に仲間になったのだ?」
ルシアスがふふふっと笑う。
「どうした?」
「いや、兄様の表情が面白かったなと思い出したのだ。あんなに感情を顕わにする方なのだな。」
「私もそれには驚いたよ。最初は自分の駒として使うつもりだったのが、いつの間にか自分の抵抗馬になったと思っていらっしゃるんじゃないか?」
「恐らくそうだろう。私としては全くそんなつもりはないのだがな。」
「本当にそうなのか?宰相殿は君を対抗馬にするために、あんなに好意的な態度を見せて対立を際立たせたのではないか?王族ならば、王座を狙うのは当然のようにも思えるが。」
「君がそう考えるなら、他の者達も多かれ少なかれそう考えているのだろうね。私からすると、あり得ないことなのだが。」
「そうなのか?」
「あぁ。」
ルシアスはぼんやりと天井を眺めながら続けた。
「王というものは、時に自分の大切な人や物を犠牲にしないといけない時がある。それがたまらなく嫌なのだ。自分の大切なものをもう失いたくない。だから、私にとって王座とは全く興味のないものなのだよ。」
「そうだったのか。君が王座に興味がないと言っても、どうとでも取られるから、初めから何も言ってないのだな。」
「その通りだ。人は自分の都合のよい方に解釈する。ならば、初めから黙っていることだ。」
「面倒だな。」
「面倒だ。」
ルシアスが体を起こす。
「ところで、私は宰相殿と懇意になどしていないぞ。あれには私も驚いた。本当のところ、迷惑だったな。今回の定例会議では、初めから宰相殿は私に好意的な態度を取っていた。アウルム様の不安を煽る算段だろう。それは分かっていた。しかし、なぜ私と共に行動すると言ったのか。私が陥れるかもしれないないと考えない人ではないだろう。失敗すれば道連れだ。」
「陥れられることはない、失敗はしない、と踏んだかな。」
「そうかもしれないな。あの御仁には、驚かされるばかりだ。丁度、よい機会かもしれない。懐に飛び込んでみるか。」
「恐ろしいな。」
「存外、居心地がよいかもしれないぞ。」
そんな話をしていると、今回の首謀者が訪ねてきた。
「ルー、なんだか大変なことになってきたわね。大丈夫かしら?あぁ、どうしよう。」
「ウィリ、少し落ち着いて。ルシアスは大丈夫だ。宰相殿と腹を割って話せるよい機会だと話していたところだ。」
ロイがウィリを落ち着かせようと言葉をかける。
「そうなんだよ。宰相殿の人となりを知るよい機会だと思っているよ。」
ルシアスもロイに続けると、ウィリは不機嫌な顔をする。
「何言ってるの?ソラリウム宰相様は素晴らしい方よ。そんなの分かってるわ。今更何を言ってるのよ。」
ルシアスとロイは、ウィリの発言に驚いてぽかんとする。
「そうではなくて。私、宰相様がこの案件に関わってくださるなんて思ってもいなかったの。どちらかと言うと、アウルム様寄りのルーとは仲が悪いと思ってたから。あぁ、これって宰相様とお話できる機会があるってことよね?本当に、ルーって素敵な人。」
そう言って、ウィリはルシアスを抱きしめる。余程、嬉しいのだろう。
これは、つまり、ウィリの想い人が宰相であるということだろうか。ルシアスは確認する。
「ウィリ、君は、その、宰相殿を思っているの?つまり、彼に恋している?」
ウィリが嬉しそうに、恥ずかしがって言う。
「そんなにはっきり言われると、恥ずかしくなってしまうわ。でも、そうなの。私、ブルヌス様をお慕いしているの。最近はカルエラ様と一緒にいらっしゃることが多かったから、もうお近づきになる機会はないのではないかと思っていたんだけど、こんな展開があるなんて。人生って分からないものね。」
ルシアスとロイは暫し絶句する。人の思いとは、複雑なのだと改めて思い知る。しかし、腑に落ちるところもある。ウィリの父は、その母と親子ほどの歳が離れている。ウィリにとって両親の年齢差と同じ程の宰相殿は恋愛対象なのだろう。そして、彼女程の頭脳を持っていると、その辺の若造では物足りないのかもしれないとも思う。
ルシアスは思考から現実に戻って、ウィリに尋ねる。
「ウィリ、宰相殿と結婚したい?」
「もしうまくいくなら。そうしたら、我がミネラ家も安泰よ。ブルヌス様にこちらに入っていただくの。皆が幸せだと思わない?」
「そこまで具体的に考えているのか。」
ロイが驚いて呟く。
「誰も傷つけないんだから、妄想は問題ないでしょ。」
ウィリが不満気に言う。
「まぁ、この話は置いておいて、」
「置いておかないで。」
ウィリが言葉を挟む。ルシアスは気を取り直して続ける。
「とりあえず、この案件は動き出した。鉄街道管理を何とか国営にすることが目標だ。金銭の絡む話だから、そう簡単にはいかないだろう。」
「しかし、やらないという選択肢はもうない。前に進むしかないな。」
ロイが付け加える。
「楽しみだわ。」
一人だけ違う方向で喜んでいる人もいる。三人でいつものように雑談が始まった最中、灰色の側仕えがいつの間にか、ルシアスの側に侍っていた。クレアは、ルシアスの耳元にそっと告げるとふわりと消えてしまった。ルシアスが真顔になる。
「どうした?」
ロイが尋ねる。
「鉄街道で襲撃があった。」
「またか。ドロス領で?」
「いや、今回はミネラ領だ。しかも、全員惨殺されたそうだ。」




