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数日後、ウーベル邸において、赤錆病に対する農地改革、及びその経済的保証について、王家の書類を伴った協定の調印式が執り行われた。そして、今後の安定した食糧確保のための流通も加味した対策、赤錆病の手技的対策も細目として定まった。来期から本格的に始動する運びだ。
調印式後、盛大な晩餐が開かれた。今回は周辺諸侯も招いたそうだ。ルシアスは、ここでも地道に政治活動をして、顔を売って歩いた。
ひとしきり挨拶をして疲れ果て、バルコニーで夜風を浴びていると、後ろから視線を感じた。振り返ると一人の男が睨んでいるように見えた。
「ロイ、なんだか睨まれているようだ。あれは確か、キニス領主であったか。何故かな?」
「さあ、何か心当たりはないのか?誰かに恨まれるような事はしてないのか?」
「恐らくないと思う。あまり自信はないが。」
ロイががっくりと肩を落とす。
「過去のことを言ってもどうにもならないが、せめてこれからはもう少しまともな生活を送ってみてはどうだ?こんな事に苦言を呈するのは、私自身も好まないが、これから先は沢山の人と関わるのだ。もう少し、自重してはどうだ?」
「確かにロイの言うとおりだな。私も人生が続くとは思っていなかったので、羽目を外した感は否めない。今後、鋭意努力する。」
ルシアスは生きていることの幸せを感じると共に、やはりあの数年は、自身の黒歴史だったかもしれないと思った。
「それはそうと、あの領主、まだ睨んでいるぞ。ロイが気に入っているのではないか?私に対する嫉妬かもしれないな。」
キニス領主を見つめながら、ルシアスが妖艶な笑みを浮かべ、わざとあちらに見えるようにロイの頬を撫でて、少しだけ挑発してみる。先日のリドアに端を発したロイとの口づけの噂は、恐ろしい速さで広がったようだ。今日は見目麗しい男性からやたらと声をかけられる始末である。
そんな事を話していると、キニス領主がこちらに近づいてくる。
「ルシアス殿下、ロイド・ノックス公爵と少しお話をしてもよいでしょうか?」
キニス領主は、思い詰めた様子でルシアスに尋ねる。ルシアスは優雅に微笑みながら、ロイに流し目を送る。ロイは心の中で、先程伝えたばかりのはずと思いながら、その視線をかわす。
「構わない。私はワインでも貰いにいこう。丁度、フルーメル殿とも話さねばならぬ事があるのでな。」
ルシアスはその場を離れ、フルーメルと並んで座り、ソファで寛ぐ。二人で人の動きを眺めながら、他愛のない話を一通りした後、ルシアスはおもむろに話を切り出した。
「そういえば、フルーメル殿、奥様のご加減はいかがですか?」
今日、フルーメルの妻は体調不良のため全ての行事を欠席していた。
「幸い、快方に向かっています。今回の事件が相当にこたえたようです。身内でこのような事が起こるとは、本当に衝撃的でした。私の力不足の致すところ、大変申し訳なく思っております。殿下におかれましても、回復され、心から安堵しております。」
フルーメルは申し訳なさそうな顔をして謝る。
「ありがとう。しかし、貴方にとっては良いことばかりでしょう?」
二人は目を合わせず、人の動きを眺めたまま続ける。
「と、言いますと?」
「貴方は見ているだけで良かった。手に余る状態であった『コウモリ』が壊滅し、ディロスの存在も揉み消された。何よりも、あの母娘が力をなくしましたしね。」
フルーメルの動きが一瞬止まる。
「そこまでご存じでしたか。いやはや、ルシアス殿下は聡いお方だ。」
フルーメルは誠実で人が良さそうな答え方をする。しかし、内心驚いているようだ。大方、ぼんやりした王子がアウルムの入れ知恵を携えて遊びに来たのでも思っていたのだろう。
「それと」
ルシアスは一呼吸置いて言葉を発した。
「身重の奥様を大切になさってください。つわりはお辛いでしょう。これからはリドア嬢との関係をネタに脅されずに済みますからね。」
フルーメルが瞠目する。彼は、ルシアスとは違い、本当にリドアと男女の関係があった。叔父と姪の関係ではあるが。そこに、妻が妊娠した。姪との関係を妻が知るところとなれば、なかなかの修羅場になるだろう。だから、あの母娘に強く出ることができなかったのだ。
初日の現地調査の折に、アピスだけよこした時点で怪しむのは当然だ。何よりも優先事項のルシアスとの現地調査に来ないなどあり得ない。優秀なジェニが、美味しい店の情報のついでに、ウーベル領主の噂を拾い上げてきてくれていたのだ。ウーベルの使用人達の不満も相まったのだろう、皆良く喋っていたそうだ。
妻が妊娠中であることも、つわりが酷いことも、リドアのことも、全て既に状況確認済みである。
「私も随分と甘く見られたものだ。」
ルシアスが小さく呟くと、フルーメルの額にうっすらと汗が滲む。
ルシアスはフルーメルと目を合わせて、美しく微笑んでみせる。
おもむろにソファから立ち上がり、ロイのいる方に足を向ける。数歩歩いたところで振り返り、一言付け加えた。
「歩く時は足元をよく見たほうが良い。まだ大きな石がありそうだ。お幸せに。」
バルコニーでぼんやり夜景を眺めるロイの隣にルシアスは立つ。
「愛の囁きは終わったか?」
「あぁ。とんでもない告白を受けたよ。」
「ほう。素敵な話だな。」
「素敵なんてものじゃない。」
ロイがルシアスに目を向ける。
「私がキニス領の、かつてのシルヴァ国の、正統な王族なのだそうだ。」




