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夜会から数日たった朝、もはや日課と成りつつある修道院への出発に向けて準備をしていたルシアス耳に、聞き慣れた騒がしい声が入ってきた。
朝からリドア嬢のお出ましである。
「ルシアス殿下、リドアは悲しゅうございます。なぜこの前はあんな酷いことをなさったの?殿下の本当の気持ちはわかってますのよ?恥ずかしがらなくて大丈夫ですわ。だから、殿下をお迎えに参りましたの。さあ、今日は私の館にいらして、お茶をしましょう?」
なぜあの光景を見て、ルシアスが恥ずかしがっているという解釈になるのか不明であるが、リドアの思考回路は今のところ自分に都合のよい解釈になるようだ。ディロスでキマっているのだろう。先日よりもギラギラしている。ルシアスは、いつものように素気なく返す。
「申し訳ないのだが、リドア嬢。私はあまり時間の余裕が無くてね。今日もアピス殿と打ち合わせが入っているのだ。また今度誘っていただけるだろうか?」
「今日は無理ですわ。私が決めましたの。殿下のお仕事は全て無しです。しぁ、行きましょう?」
呂律すら怪しい。
リドアは強引にルシアスの腕を掴んで動かそうとする。ロイがすかさずリドアの手をルシアスから剥ぎ取る。
「リドア嬢、これはいけません。無礼ですよ。」
その瞬間、リドアは火がついたように泣き叫び始めた。
「ひどいですわ!私、何もしていないのに!痛いわ!痛い!なんてことするの?貴方、私に嫉妬してるのね!痛い!痛い!」
知覚過敏になっているのか、とんでもない騒ぎ方だ。暫く様子をみていたが、一向に静かになる様子もない。ルシアスは、今日の予定を全て取り消してリドアに従うことにするとリドアに告げる。そうしたところ、リドアはぴたりと泣き止み、満面の笑みで満足気にルシアスの腕を取った。そして、ロイに勝ち誇った様子で言う。
「ご覧になって?殿下は私を選んだの。貴方じゃないわ。今度その汚らわしい手で私を触ったら、容赦しないわよ。覚えておきなしゃい。」
ルシアスは苦笑しながら、リドア嬢とその館へ向かう。
秋咲きのバラが芳しく咲き誇る庭の先に、その邸宅はあった。ウーベル邸との間は200歩程度だろうか。本邸よりはやや小さいものの、重厚で美しい。その昔は、離れとして利用されたのかもしれないなどと考えながら、ルシアスは足を踏み入れる。
静かな邸内は綺麗に整えられ、乱れた様子はない。が、仄かに甘い香りが漂っている。あまり長居はしない方がよさそうだとルシアスは思いながら、ロイに視線を送ると目で同意している。気がついたようだ。
豪奢な応接室で歓談する。正確には、興奮状態であるリドアのまとまりのない話に相槌を打つだけなのだが。使用人は下げているようなので、ロイがさり気なく窓を少しだけ開ける。外の空気が新鮮に感じる。小一時間ほどリドアの話に付き合って、そろそろお暇させていただくと告げると、今度はスクアが加わる。更に小一時間ほど経ち、帰ると告げようとした時、事態が動いた。
応接室にふらりと一人の男性が入ってきた。スクアの夫ではない。全身を黒で纏ったその男は、虚ろな目でこちらを見る。
「やっと来たか。」
ロイが反射的に身構える。風貌から頭目であろうと判断する。ルシアスが微笑んで答えようとした時、スクアが慌てて動き出す。
「何してるの?早く出ていって!」
スクアは男をドアへ押しやりながら、こちらを向いてルシアスに言い訳をする。
「殿下、申し訳ございません。私の親戚なんですの。近頃体調が優れないため、こちらで養生してますのよ。間違ってこちらに来てしまったようです。」
男がスクアの手を振り払う。
「間違っちゃいない。俺はこいつに用があるんだよ。」
「やめて!早く出ていって!」
リドアも加勢して、二人で押し出そうとするも、男はびくともしないようだ。
「私に何のご用ですか?」
ルシアスが問う。
「ご用もなんもないだろ。うちの若い衆を誑かしてんのはお前だろ?生意気なことやってくれるじゃねぇか。」
「私には貴方の仰っている内容に思い当たる節が無いので、他の方とお間違えかもしれません。ただ、自らの意思で行動を起こそうとしている若者達ならば、幾人か存じ上げておりますが。」
ルシアスはにやりと口角を上げて、続ける。
「貴方のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「お前になど名乗る気はない。」
「おや、残念ですね。『コウモリ』の頭目ともあろうお方が名を名乗らないとは。『コウモリ』も知らぬ間に、随分と廃れたものですね。」
『コウモリ』の存在など、こちらに来てからしか知らないのだが、煽ってみる。
スクアとリドアが驚き、押し出そうとする手を留めてルシアスを見る。
「『コウモリ』を知ってるの?」
リドアが尋ねると、隣の男がルシアスの代わりに答える。
「お前ら何処まで馬鹿なんだよ。こいつは最初から『コウモリ』に気がついてる。ディロスのこともだ。わかってて、ここに来てんだよ。最近、あいつらにまで何か吹き込んでやがる。連絡取り合ってるのも知ってるんだよ。そのすました喋り方も気に食わねぇ。」
「どうしよう?お母様、私どうしたらいいの?怖い!嫌よ!嫌!」
「リドア、落ち着きましょう。何か方法があるはずよ。えーっと、何かしら、考えないと。」
スクアとリドアが狼狽し始めた。
ルシアスと頭目との睨み合いは続いている。ルシアスが口火を切る。
「おや、ディロスで楽しんでいるだけかと思っていたのですが、案外事情は把握していらっしゃるのですね。」
ルシアスは、相手が苛ついているのを楽しげに睥睨しながら、ソファで寛ぐ足を組替えて続ける。
「では、一つ提案があります。彼らを解放してあげてもらえませんか?勿論、ただでとは言いません。少し交渉しませんか?」
「お前ら貴族とは交渉しねぇ。騙されるのがオチだ。俺はこの仕事から足を洗うつもりはねぇよ。あいつらも俺が死ぬまで道連れだ。」
「ほう、まだ少しは頭が働くようだ。では、ディロスの供給を私が担うと言ったら?彼らを解放して、貴方は安定したディロスの供給を受ける。お互い、幸せではありませんか?」
「うるせぇ。交渉はしねぇ。」
頭目が苛ついて、声が大きくなる。
「それは残念ですね。では、話を戻しましょう。貴方は何をしにここにいらしたのですか?まさか、一言苦言を呈するためにいらっしゃったのではないでしょう?」
頭目は声を荒げ始めた。ディロスの影響だろうか、額に汗が滲んで、両手が僅かに震えている。
「お前が邪魔なんだよ。俺の周りを嗅ぎ周りやがって。さっさと王都に帰りやがれ。あいつらの事は、今なら見逃してやる。じゃなけりゃ、ただで済むとは思うなよ。」
「残念ながら、今のところ私には撤退するという選択肢は持ち合わせておりません。どうやら貴方とは気が合わなそうだ。」
「王子だか何だか知らねぇが調子に乗りやがって。痛い目に合わせてやろうか?」
男の表情が険しくなっていくのを観察しながら、ルシアスがもう一言付け加える。
「そうそう、あまりにも貴方がぼんやりしていたので、ネクタリスの群生地も見つけさせていただきましたよ。」
「何だと!?」
「今頃、私の優秀な部下が火を付けている頃でしょう。丁度、秋になりよく燃える時期になりましたね。」
ルシアスが窓からネクタリスの群生地がある方角を見やると、うっすらと煙が立ち昇っているのが見えた。
「なんてことしやがる!どうすんだよ!え!どうしてくれるんだよ!」
頭目の表情が一変する。激昂とはこういう事かと、心の中でルシアスは思う。
折悪しく、リドアが頭目に縋り付く。
「ねぇ、どうしたらいいの?あなた、なんとかしなさいよ!その為にここに居させてやってんでしょ!」
リドアが拳で彼の胸あたりを軽く叩いた瞬間、リドアは崩れ落ちた。
「うるせぇ女だな。俺に楯突くんじゃねぇ。」
スクアが驚いて、リドアを抱き上げ、動きを止める。
「ねぇ?リドア?ねぇ?ねぇ!起きて!!」
激しく揺さぶるも動かない。
リドアはまるで人形のようにくたりとしたままだ。余りの速さに瞠目する。何が起きたのか分からなかった。ルシアスとロイは動けなかった。




