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箱の中には、筒型をした小さな金属が入っていた。
「なんだ?」
皆が覗き込む中、ロイが尋ねる。
「これが先程話したとんでもないものだ。この筒は二重になっている。」
そう言いながら、ルシアスが金属の筒を手に取る。筒の中からほんの少しだけ小さな径の筒が出てきた。それを全部抜いてみせる。
「この外側の金属の筒の中に液体にしたディロスを入れる。そしてこの小さな筒を戻し入れる。この小さな筒を押し込むと、この先にある細長い針からディロスが出る仕組みだ。針の中は空洞になっている。」
そう、作りは雑であるが、注射器のようなものだ。
ルシアスが内筒を勢いよく差し込むと、針金のような細い針先から、シュッと空気が勢いよく音を立てて出ていくのがわかる。
「これをどう使うの?」
ベスペルが興味深げに質問する。
「この針の部分を頭目の体の何処かに刺して、ディロスを打ち込む。それだけだ。」
「それでどうなるのだ?ディロスが体の中に入ったら、相手が興奮状態になって、こちらがもっと不利になるだけではないのか?」
ロイも興味深げに質問する。
「このやり方をすると、ディロスが強すぎて体が持たない。ディロスが入って程なくすると、死に至る。」
皆が驚いて場が静まる。
「つまりは、殺す目的で作られたものということか。」
ロイが尋ねる。
「いや、これはディロスに魅せられた者が、どうにかやって多量のディロスを体内に取り込もうと思って作ったものだ。昨年、私が滞在した夜に、これを使って突然死した者がいてね。大変な騒ぎになったのだ。その時の物を保存しておいてもらったのだ。」
「どこに滞在していた時の話なの?」
テリオが問うと、ルシアスは妖艶な笑みを浮かべて答える。
「夜の蝶が舞っている素敵な桃源郷だ。今度、一緒に行ってみるかい?大人になったお祝いに。」
ベスペルが代わりに「遠慮させてもらいます」と言ってテリオを自分の後ろに隠す。テリオは耳まで赤くなって照れているようだ。
「しかし、ルシアス殿下。私が取りに行った先はなかなかの店でしたが。」
サスがげんなりした顔で呟く。
「何か変だったか?何処の店かは忘れてしまったから、あの街に詳しいものに聞くように伝えたかと思ったが。」
「ええ、そうです。あの街に詳しい者が直ぐに教えてくれましたよ。素敵な店構えでしたが、兎に角、入って出るまで、女性に体をあちこち触られて、耳元で囁かれてという、なんというか、ものすごく積極的な女性達がいらっしゃるところで、人生で初めての経験をさせていただきました。」
もう一度、違う意味で、皆が驚いて場が静まる。
「ルシアス、君は本当に、なんというか。はぁ。」
ロイが髪を掻きむしりながら嘆く。
「そうか、新しい経験ができてよかったな。」
ルシアスはあっけらかんと答える。
少し微妙な空気の中、ベスペルが気を取り直して続ける。
「それはそうと、これを誰が頭目に打ち込むの?私達二人は警戒されているから難しいと思うのだけど。」
「それについては、少し考えがあるのだ。」
ルシアスはこれから始まる戦いの概要を皆に伝える。
「上手くいくだろうか?」
ロイが不安げに呟く。
「上手くやるのだよ。」
ルシアスが微笑む。
それからの数日は、アピスとの書類を修正したり、実際に整備する畑の様子を視察に行ったりと、今までやっていた赤錆病対策の続きを淡々とこなした。一つだけ違う事は、時折『コウモリ』が姿を現して、ルシアスやロイと二言三言話して消える事だ。現状報告である。そんな日々が1週間ほど経とうかという頃に、スクア企画の夜会が開催されることになった。ウーベル領内の諸侯を招いた夜会とのことだが、ルシアスとリドアの仲を公に晒したいという思惑が透けて見える。何処までも浅はかな母娘だ。ルシアスとしては、ウーベル領内とはいえ、政治活動ができるので悪い企画ではない。
夜会当日、ウーベル邸が華やかに飾られ、着飾った貴族達が談笑する。ルシアスも一人一人と軽く挨拶を交わしながら、とりとめのない話をする。政治とは大変なものだと、改めて実感する。宴も終盤に差し掛かった、そんな折、あの騒がしい声が聞こえてきた。周りの目を集めるように、声を張り上げる。
「ルシアス殿下、お探ししておりましたのよ。リドアは、殿下を見つけられず、とても不安でしたの。さぁ、一緒に参りましょう?」
リドアがルシアスの横にするりと入り込む。
『コウモリ』との接触も無事果たした為、そろそろこの茶番も終わりでよいだろう。だが、あっさり終わるのもつまらない、とルシアスの中にいたずら心が湧いてきた。
ルシアスは、とても美しく微笑んで、リドアの手をほどきながら伝える。
「いいえ。貴方とは参りませんよ。」
「なぜ?私達、あんなに素敵な夜を過ごしたのに。」
一層声を張り上げて、リドアが答える。皆の衆目が集まる。丁度頃合いのようだ。
ルシアスは振り返り、後ろに控えていたロイに視線を送る。ロイの頬を優しく両手で包み込むと、その熱を伝えるようにロイの唇に自身の唇をゆっくりと重ねた。そして、名残惜しそうにその唇を離すと、くるりと振りかえりロイにもたれかかる。そうすると、ロイが慣れた仕草で後ろから優しく抱きしめ、ルシアスの首にその顔を埋めた。それは、恋人達の仕草だった。
「リドア嬢、申し訳ないのだが、私は貴方の気持ちに答えることができないのだ。貴方では、私は満たされないのだよ。理解していただけるだろうか?」
ルシアスがロイにもたれたまま、困った顔をしてそう答える。
リドアは驚きのあまり、口をパクパクして、なんともいえぬ顔をしてその場を去った。
会場も一時静まり返ったが、楽団の旋律で直ぐに喧騒を取り戻した。
二人で共にバルコニーに移動する。
ロイがげんなりした顔で言う。
「一体、何度これをやればいいのだ?毎回使われるこちらの身にもなってほしいものだ。」
「今日も楽しかったではないか。皆の驚く顔はいつ見ても面白い。男女だと何も驚かないのに、男同士だと、あんなに驚くのだぞ。不思議だな。」
ルシアスが笑いながら答える。
そう、これは茶番なのだ。ルシアスが本気の人間に迫られて困った時の定番だ。最初は適当に近くにいる人間を、男女関係なく誰彼構わず捕まえてやっていたが、口づけされた方が本気になり、そちらまで大変な事になってしまうことが多々あった。以降、もっぱらロイが相手なのである。だからロイも慣れているのだ。ルシアスがロイに視線を送ったら演技開始の合図だ。何度やったか分からない。ルシアスは時々こういう悪ふざけをする。
「これで暫くはリドア嬢も大人しくなるだろう。このまま、自分からここを去ってくれたらよいのだがな。」
ルシアスが遠くの夜景を見ながら真顔で呟く。
「そうだな。しかし、それは無理だろうな。近いうちにまた会うことになるだろう。」
暫く二人で夜景を眺めて、夜会を後にした。




