第2話:戦えない私ですが、キマイラくらい倒してみせます!
「市民の避難は、まもなく完了します」
「ご苦労、ボルス」
王城の司令室。
晶は巨大なモニターに映し出された王都の地図を見つめていた。
報告しているのは、防衛治安大臣ボルス。
「キマイラは?」
「第三地区に侵入。現在、封鎖区域内を移動しています」
「人的被害は?」
「今のところありません」
「よし」
晶は頷いた。
「ルナ。フローラとリナを出す」
「フローラさんは実戦経験がありませんが」
「分かってる。だからリナをつけるんだ」
晶はモニターに表示された戦闘服の性能値を確認した。
「防御機構は試験済みだ。キマイラの攻撃にも耐えられる。緊急転送装置もある」
「ですが、初めての実戦です」
「無理はさせない。危険なら即座に回収する」
晶はキマイラを見つめた。
「市民の避難を完了させてから始める。リナもいる。私たちも監視する。これ以上、安全な実戦試験はない」
「……承知しました」
『第三地区の避難完了を確認しました』
「よし。フローラとリナを待機地点へ」
ルナが通信回線を開いた。
「フローラさん、リナさん。待機地点へ移動してください」
◇
数分後。
フローラは王都を走っていた。
隣を走るのはリナ。
晶を「アネキ」と慕う、腕利きの双剣使いだ。
こちらも黒と金を基調とした戦闘服。
ただし、短いジャケットにショートパンツという、動きやすさを重視した姿だ。
腰には二本の剣。
「似合ってんじゃねぇか、フローラ!」
「ありがとうございます。リナさんも!」
「へへっ。じゃ、初陣といこうぜ!」
「待ってください」
「ん?」
「わたくし、戦えませんわよ!?」
「今さら!?」
――グオオオオオオッ!!
大気が震えた。
「ひっ!」
フローラの肩が跳ねる。
石畳の向こう。
巨大な魔獣が姿を現した。
獅子の頭。
山羊の胴。
うねる蛇の尾。
キマイラ。
一歩踏み出すだけで、石畳が割れる。
蛇の尾が振るわれた。
無人の露店がまとめて吹き飛ぶ。
フローラは通信機に手を当てた。
「晶様」
『なんだ?』
「先ほど、Bランクとおっしゃいましたわね」
『言った』
「実物を見ると、Sランクに見えますわ」
『Bだ』
「やっぱり帰らせていただきます!」
くるり。
フローラは踵を返した。
『待て、どこへ行く』
「ですから、帰りますわ」
『なぜ!?』
「わたくし、戦えませんもの!!」
『だから戦えるように装備を渡したんだ!』
「説明と訓練が先ですわ!!」
「……アネキ。あたいが先に行くぜ」
リナが双剣を抜いた。
『頼む。フローラは後方で待機だ』
「了解!」
リナが飛び出した。
踏み込む。
石畳が弾ける。
小柄な身体が、一気にキマイラとの距離を詰めた。
巨大な爪が振り下ろされる。
潜る。
「おらぁっ!」
右。
一閃。
返す左。
二閃。
血飛沫が舞う。
キマイラが吼えた。
前脚が薙ぎ払われる。
リナは跳ぶ。
爪が、その真下を通過した。
着地。
即座に、もう一度踏み込む。
「す、すごい……!」
『感心してる場合じゃないぞ』
「ですが、リナさん一人で十分では?」
『まだ分からん。まずは相手の動きを見ておけ』
「は、はい……」
そのときだった。
『陛下!』
通信機から、ボルスの声が響いた。
『避難所から子供が一人抜け出したとの報告が!』
『何!?』
晶の声色が変わる。
『なぜだ!?』
『避難中に髪飾りを落としたことに気づき、探しに戻ったようです!』
「髪飾り……?」
フローラの胸がざわついた。
まさか。
「きゃあああっ!」
悲鳴。
聞き覚えのある声だった。
フローラが振り返る。
「――!」
いた。
赤い花の髪飾りを探しながら、石畳の上にしゃがみ込んでいる女の子。
朝。
一緒に髪飾りを探した、あの子だった。
「お姉ちゃん……!」
女の子がフローラに気づく。
同時に。
キマイラが吼えた。
巨大な前脚が持ち上がる。
フローラの顔から血の気が引いた。
怖い。
相手はBランク。
ついさっき帰ろうとしたくらいには怖い。
それでも。
「……っ!」
フローラは走っていた。
今度は。
踵を返さなかった。
「お嬢ちゃん!」
「お姉ちゃん!」
女の子を抱き寄せる。
「フローラ!」
リナが叫ぶ。
遠い。
間に合わない。
巨大な爪が振り下ろされた。
フローラは女の子を抱き締める。
「きゃああああっ!!」
――ガキン!!
「…………え?」
桃色の障壁。
半透明の光が二人を包み、巨大な爪を受け止めていた。
『言ってなかったか?』
通信機から晶の声。
『それは防具だ』
「聞いておりませんわ!!」
『よし。予想どおり、使えるな!』
「予想どおりでも嫌ですわ!!」
「お姉ちゃん……」
腕の中から声がした。
女の子がフローラを見上げている。
「やっぱり、強い人だったんだね!」
「…………」
フローラは困ったように笑った。
「いいえ」
女の子を抱いたまま立ち上がる。
「わたくし、本当に戦えませんのよ」
それでも。
逃げることだけはしなかった。
◇
「ルナ。フローラの状態は?」
王城の司令室。
晶はモニターを見つめたまま尋ねた。
「正常です、マスター」
「魔力変換率は?」
「感情起伏による魔力変換率――通常適合者の百七十八倍です」
「おぉ!」
晶が身を乗り出す。
「やはりフローラが適任だな!」
「なお、最初の大幅な上昇を観測したのは、戦闘服へ換装した直後です」
「なんで?」
「マスターとお揃いだからでは?」
「お揃いじゃないぞ。同じ技術を使ってるだけだ」
「……そうですね、マスター」
「?」
晶は首を傾げた。
◇
リナがキマイラを牽制している間に、フローラは女の子を、封鎖区域の外へ向かう兵士に引き渡した。
「今度こそ、戻ってきちゃダメよ」
「うん……」
「お母さんが心配してるわ」
「……うん」
女の子は俯いた。
「ごめんなさい」
フローラはその頭をそっと撫でる。
「大切なものだものね」
「うん……」
「髪飾りは、わたくしが探すわ。だから今は、お母さんのところへ帰ってね」
「分かった」
兵士に手を引かれ、女の子が歩き出す。
だが、数歩進んだところで振り返った。
「お姉ちゃん!」
「はい?」
「頑張って!」
「…………」
フローラは笑った。
「ええ!」
そして。
振り返る。
そこにはBランクのキマイラ。
やっぱり怖かった。
足だって震えている。
けれど。
もう帰ろうとは思わなかった。
「うおおおおっ!」
リナの双剣が閃く。
右。
左。
さらに右。
三本の傷がキマイラの前脚を走る。
「ちっ、硬ぇ!」
巨大な尾が唸る。
「うおっ!?」
リナが飛び退く。
蛇の尾が石畳を叩き砕いた。
破片が飛ぶ。
咆哮。
巨体が暴れる。
建物の壁が崩れ落ちた。
『リナ、離れろ!』
「アネキ?」
『フローラの準備ができた』
フローラの顔が引きつった。
『次はフローラだ』
「やっぱりですの!?」
キマイラが振り向く。
その視線が、フローラを捉えた。
「無理ですわ!」
『お前ならできる!』
「どうやって!?」
『簡単だ。《恋栞》を使え』
「これを?」
フローラが胸元から《恋栞》を取り出す。
『お前の感情を、全部魔力に変える』
「全部……」
『術式はこちらで制御する。お前は感情をぶつけることだけ考えろ』
「感情を……ぶつける」
『そうだ』
《恋栞》が光り始めた。
『いけ、フローラ』
「晶様……」
『魔法名は――《エモーション・ブラスター》だ』
「エモーション……ブラスター」
キマイラが吼える。
フローラの足が震えた。
怖い。
当然、怖い。
「お姉ちゃん、頑張ってー!」
遠くから、小さな声が届いた。
「…………!」
フローラは《恋栞》を握り締めた。
朝。
泣きそうな顔で髪飾りを探していた女の子。
見つけた瞬間。
あんなに嬉しそうに笑っていた。
あの子には、待っている母親がいる。
帰る場所がある。
その笑顔を。
こんな魔獣に奪わせるわけにはいかない。
『フローラ』
晶の声が聞こえた。
『お前にしかできないんだ!』
「――はい!」
桃色の魔力が噴き上がった。
髪が浮く。
スカートがはためく。
一条。
二条。
数え切れない光の帯が、フローラの身体を包んでいく。
『感情起伏による魔力変換率、二百四十倍』
「あぁ……」
フローラが自分の手を見る。
分かる。
身体の奥から。
次から次へと。
とんでもない量の魔力が湧き上がってくる。
「あぁ、力が溢れてきます」
『二百七十倍』
「晶様」
『なんだ?』
フローラが顔を上げた。
目の前にはBランクのキマイラ。
見ただけで帰ろうとした怪物。
なのに。
今は――。
フローラは笑った。
「今なら、ドラゴンさえ倒せそうです!」
『いや、さすがにそこまでは――』
両手で持った《恋栞》の先をキマイラに向ける。
桃色の光が一点へ集まった。
空気が震える。
石畳が軋む。
「エモーション……ブラスター!!」
『話を聞けぇぇぇ!!』
世界が、桃色に染まった。
轟音。
衝撃。
石畳がめくれ上がる。
桃色の光条が、一直線に王都を駆け抜けた。
キマイラの巨体が、その中へ呑み込まれる。
爆風。
そして――。
静寂。
「…………」
フローラが瞬きをした。
キマイラがいない。
跡形もなく。
消えていた。
それだけではない。
「…………え?」
キマイラが立っていた場所から、その遥か後方まで。
石畳がない。
大地そのものが、一直線に抉り取られていた。
深く。
長く。
まるで――巨大な竜が、地面を食い破りながら駆け抜けたように。
「…………」
フローラは抉れた大地を見る。
「……え?」
《恋栞》を見る。
「……へ?」
自分の両手を見る。
もう一度、大地を見る。
「……わたくしが、やったんですの?」
隣では。
双剣を構えたリナも固まっていた。
「……なあ、フローラ」
「はい?」
「あたいより強くないか!?」
そのころ、王城の司令室では。
「…………」
晶がモニターを見つめていた。
「マスター」
「……なんだ?」
「推定出力、想定値の二十七倍です」
「…………」
「なお、第三地区の石畳と地下水路の補修費は、現在試算中です」
「…………」
「マスター?」
晶は頭を抱えた。
「……とんでもないものを作ってしまったかもしれん」




