第3話:魔力を使わずに、あなたを助けますわ!
「お姉ちゃん!」
戦いが終わると、女の子が母親と一緒に駆けてきた。
「お嬢ちゃん!」
「お姉ちゃん、カッコよかった!」
「え?」
「栞をこう、えいって掲げて『えもーしょんぶらすたー!!』って。大魔導師さまだったんだね!」
フローラは苦笑いした。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
女の子が笑う。
屈託のない笑顔を見ていたら、訂正する気もなくなった。
「……どういたしまして」
フローラも笑った。
今度は。
少しだけ胸を張って。
「あっ、そうだ!」
フローラは思い出した。
「髪飾り、まだ見つけていませんでしたわね」
「うん……」
女の子が俯く。
フローラは周囲を見回した。
瓦礫。
崩れた露店。
抉れた石畳。
そして。
「あら?」
瓦礫の隙間に、小さな赤いものが見えた。
フローラはしゃがみ込み、そっと拾い上げた。
赤い花の髪飾り。
少し土で汚れていたが、壊れてはいない。
「ありましたわ!」
「ほんと!?」
「ええ。ほら」
女の子の顔がぱっと輝いた。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「今度こそ、なくさないようにね」
「うん!」
女の子は髪飾りを胸に抱き、母親に手を引かれて帰っていった。
フローラはその背中を見送った。
守れた。
自分にも。
誰かを守ることができた。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
◇
「フローラ、リナ。無事か」
重い足音とともに、大きな影が近づいてきた。
タワーシールドを背負った大男――ボルスだ。
「よぉ、おっさん!」
リナが手を振る。
「おう。見てたぞ、あの光」
ボルスは抉れた地面を見下ろし、太い眉を寄せた。
「……王都の地図を描き直す羽目になりそうだな」
「も、申し訳ございません……」
「謝るな。魔獣は消えて、怪我人も出てねぇ。上出来だ」
そう言ってから、ボルスは表情を引き締めた。
「――と言いたいところだが、一人足りねぇ」
「え?」
「避難所の点呼だ。露店通りの木彫り屋、トマ爺さんが見当たらねぇ」
フローラの胸が冷たくなった。
「最後に見たやつの話じゃ、避難の途中で店に引き返したらしい」
ボルスが顎で示した先。
抉れた地面の縁に、三階建ての古い建物が傾いて立っていた。
一階が露店、上が住まい。
光条が足元の地面ごと削り取ったせいで、土台の片側が宙に浮いている。
――ミシッ。
建物が、軋んだ。
「……あの中に?」
「たぶんな」
フローラは息を呑んだ。
自分の放った光が、あの建物を傾けた。
通信機から声がした。
『フローラ』
晶だった。
『先に言っておく。《恋栞》は使うな』
「……はい」
『今のお前が撃てば、建物ごと吹き飛ぶ。障壁も、あの梁の重さを支える設計じゃない』
「分かりました」
フローラは《恋栞》を胸元にしまった。
「撃ちません」
◇
『ボルス、構造を解析した』
通信機から、晶の声が響いた。
『入口側の梁を支えれば、荷重が逃げる。奥の部屋はあと数分持つ。ただし、それ以上は保証できない』
「数分ありゃ十分だ」
『ルナ、時間を測れ。限界が近づいたら、全員を呼び戻す』
『承知しました』
入口は、半分潰れていた。
ボルスがタワーシールドを差し込み、落ちかけた梁を肩で受け止める。
「長くは持たねぇ。行け」
「あたいも行く」
リナが身を屈めて隙間をくぐる。
フローラも後に続いた。
中は薄暗かった。
棚が倒れ、木彫りの小物が床一面に散らばっている。
鳥。
猫。
小さな馬。
「爺さん! トマ爺さん!」
リナが叫ぶ。
奥から、しわがれた声が返ってきた。
「……来るな」
いた。
倒れた作業台の陰に、白髪の老人が膝をついていた。
両手で床の木屑をかき分けている。
「爺さん、何やってんだ! 出るぞ!」
「先に行け」
「は!?」
「まだ見つかっとらん」
「何がだよ!」
「お前さんには関係ない」
老人は顔も上げずに、床を探り続ける。
――ミシミシッ。
天井から、細かな砂が落ちてきた。
「ああもう、担いででも――」
リナが老人の腕を掴む。
「放せ!」
老人がその手を振り払った。
年寄りとは思えない力だった。
「あれを置いて行くくらいなら、ここで潰れたほうがましだ!」
リナが舌打ちする。
「フローラ、手伝え。両側から抱えりゃ――」
「リナさん」
フローラはリナの袖を、そっと引いた。
「少しだけ、待ってくださいませ」
「待てる状況じゃねぇだろ!」
「分かっています」
フローラは老人の隣に膝をついた。
散らばった木屑の上に。
戦闘服の裾が汚れるのも構わずに。
「おじいさま」
「……なんだ」
「探しているのは、どんなものですの?」
老人の手が止まった。
初めて、顔がこちらを向く。
「……鳥だ」
「鳥」
「手のひらくらいの、木彫りの小鳥だ。翼が片方、少し欠けとる」
老人は掠れた声で続けた。
「女房と二人で、最初に彫ったやつだ。売り物じゃない。四十年、店の一番上の棚に置いとった」
「奥様と……」
「去年、死んだ」
フローラは、何も言わずに頷いた。
朝の女の子の顔が浮かぶ。
お母さんからもらった、赤い花の髪飾り。
大切なものを探している人の顔は。
今日、もう見ている。
「一番上の棚、ですわね」
フローラは倒れた棚を見た。
壁際の、背の高い棚。
それが根元を残して、手前へ倒れている。
老人が探していたのは、その根元のあたりだった。
――棚が倒れるときは、根元を軸にして回る。てっぺんほど、速く、遠くへ動く。
いつだったか、店で晶が言っていた。
崩れた商品棚を前にして、どこから拾えばいいか分からずにいたフローラに。
「おじいさま。下の段には、何が?」
「……大物だ。熊やら、鹿やら」
フローラは床を見た。
大きな熊の彫り物は、棚のすぐそばに転がっている。
中ほどの段にあったらしい猫は、少し離れて。
一番小さな馬は、作業台の向こうまで。
上の段のものほど、遠い。
まるで、一本の線を引いたように。
「棚が倒れたとき、上のものほど遠くへ飛んだのかもしれませんわ」
フローラは立ち上がり、その線の先を目で追った。
熊。
猫。
馬。
作業台。
その奥の、古い箪笥の下。
ほんのわずかな隙間。
フローラは床に這いつくばった。
「おい、フローラ!」
「もう少しですわ!」
隙間に腕を差し込む。
指先に、何かが触れた。
固くて。
小さくて。
翼の片側だけ、手触りが違う。
「…………ありました」
引き抜いた手のひらに、木彫りの小鳥が乗っていた。
煤で少し汚れている。
けれど、壊れてはいない。
「これでしょう?」
老人は、しばらく何も言わなかった。
震える手で小鳥を受け取り、欠けた翼を親指でなぞる。
「……ああ」
それだけ言って、小鳥を胸に押し当てた。
――バキッ!
天井の梁が、大きく鳴った。
『フローラ、リナ! 出ろ!』
晶の声。
フローラは老人の手を取った。
「参りましょう、おじいさま」
老人は、今度は振り払わなかった。
「リナさん、反対側を!」
「おう!」
二人で老人を支え、入口へ急ぐ。
梁を受け止めるボルスの腕が、震えていた。
「急げ!」
三人が隙間を抜ける。
ボルスが盾ごと身を引いた。
――ゴッ、ガラガラガラッ!!
背後で、建物が崩れ落ちた。
土煙が上がる。
ボルスのタワーシールドが、飛んできた破片をまとめて弾いた。
やがて。
煙が晴れた。
「……全員、無事か」
「おう!」
「はい!」
老人は地面に座り込み、両手で小鳥を包んでいた。
「お嬢ちゃん」
老人がフローラを見上げた。
「なんで、分かった」
「何がですの?」
「わしがどうしても出て行かんと、分かっとったろう。だから無理に引っ張らなかった」
フローラは少し考えてから、笑った。
「大切なものを探している人の顔は、今朝も見ましたもの」
「……そうか」
老人は小鳥を見下ろした。
「ありがとうよ」
それから、ぼそりと付け足した。
「さっきの光は、ちと派手すぎたがな」
「申し訳ございません!!」
◇
三日後。
王城の大広間には、多くの人々が集まっていた。
貴族。
騎士。
役人。
そして、王都の市民たち。
その中には、赤い花の髪飾りをつけた女の子と。
木彫りの小鳥を胸ポケットに差した老人の姿もあった。
中央に立っているのは、フローラだった。
「……あの、アキラ様」
「なんだ?」
「どうして、こんなことになっていますの?」
「表彰式だ」
「それは分かっていますけれど! わたくし、王都に大穴を開けましたのよ!?」
「キマイラごとな」
「褒められることではありませんわ!」
「市民の命を守ったんだ。表彰されて当然だろ」
晶は真っ直ぐにフローラを見た。
「キマイラを倒したのも、トマ老人を助けたのも、お前が自分で選んだことだ。胸を張れ」
フローラの頬が赤くなった。
「……はい!」
フローラは背筋を伸ばした。
◇
「フローラ・リーヴェル」
防衛治安大臣ボルスの声が、大広間に響いた。
「先日のキマイラ襲撃において、市民の命を守り、魔獣を討伐し、さらに倒壊寸前の建物から市民を救出した。その功績を称え、王国特別功労章を授与する」
拍手が起こる。
晶がフローラの胸元に勲章をつけた。
「おめでとう」
「……ありがとうございます、アキラ様」
「それから」
「はい?」
晶はにやりと笑った。
「フローラ。これからも私のそばにいてくれ」
「…………!」
フローラの思考が止まった。
そば。
アキラ様の。
そば。
これからも。
「お前の力が必要なんだ」
「…………!!」
フローラの顔が真っ赤になった。
「ふ、不束者ですが!」
「待て」
「末永く!」
「待て待て!」
「よろしくお願いいたします!!」
「だから結婚じゃない!!」
――パキン!
大広間の隅に置かれた魔力測定器が、音を立てて割れた。
全員が振り返った。
測定器から、細く煙が上がっている。
一拍置いて。
大広間が、笑いに包まれた。
フローラは真っ赤になって俯いた。
「……アキラ様の意地悪」
「なんで私が悪いことになっている!?」
◇
表彰式の後。
フローラは王城の訓練場にいた。
隣にはリナ。
「よっ、王国最強!」
「やめてくださいませ!」
「へへっ。いいじゃねぇか。あたいより強いんだろ?」
「違いますわ」
フローラは首を振った。
「わたくし、まだ、戦い方も分かりません」
「まあ、そりゃそうだな」
「だから」
フローラはリナを見た。
「わたくしに、戦い方を教えてくださいませんか?」
「……あたいが?」
「はい。あの建物の中で、思いましたの」
フローラは自分の手のひらを見た。
「わたくしにも、できることはありました。でも、リナさんとボルスさんがいなければ、あの方を助けられませんでした」
「だから?」
「今度は、自分の足で誰かのところへ駆けつけたいんです」
リナはしばらく黙っていた。
そして、にっと笑った。
「いいぜ! ただし、手加減しねぇぞ?」
「望むところですわ!」
「よし! じゃあ、まずは走り込みからだ! 訓練場、十周!」
◇
夕暮れ。
訓練を終えたフローラは、王城の庭園を歩いていた。
足が痛い。
腕も痛い。
身体中が痛い。
けれど。
不思議と、嫌ではなかった。
「フローラ」
声がした。
振り返る。
「アキラ様!」
夕陽の中に、晶が立っていた。
「訓練はどうだった?」
「大変でしたわ……四周で倒れました」
「らしいな」
「でも」
フローラは笑った。
「楽しかったです」
「……そうか」
二人は並んで、庭園の小道を歩いた。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
噴水の音だけが聞こえる。
「なあ、フローラ」
晶が口を開いた。
「《恋栞》を渡したとき、正直に言うと、私はお前の魔力しか見てなかった」
「……え?」
「お前の感情が、あの栞と抜群に相性がいい。それが、お前を選んだ一番の理由だった」
晶は足を止めた。
「お前には、とんでもない魔力がある。でも、あの店で必要だったのは力じゃなかった」
「…………」
「お前はそれを、自分で判断した。膝をついて、話を聞いた。あれは、私が作った道具じゃできないことだ」
フローラは胸元の《恋栞》に触れた。
戦えなかった自分に。
晶は、戦う力をくれた。
けれど。
戦おうと決めたのは、自分だった。
力を使わないと決めたのも、自分だった。
怖くても。
逃げたくても。
守りたい人がいるなら、前に出る。
そんな自分でも。
誰かの役に立てるのかもしれない。
「アキラ様」
フローラは顔を上げた。
「わたくし、もっと強くなりますわ」
「ああ」
「そして、もっとたくさんの人を守れるようになります」
「期待してる」
「それから――」
フローラは《恋栞》をぎゅっと握った。
「ずっとアキラ様のおそばで、戦います」
晶は少しだけ目を見開いた。
それから。
いつものシニカルな笑みではなく、まっすぐな笑顔を見せた。
「……そうか」
「はい」
「嬉しいよ、フローラ。お前みたいな相棒がいてくれるなら、心強い」
「相棒……」
フローラはその言葉を、胸の中で繰り返した。
相棒。
おそばで。
ずっと。
それはつまり――。
「…………」
いいえ。
今は、それでいい。
フローラは小さく首を振って、笑った。
「はい。相棒ですわ」
夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
その胸元で、黒薔薇の《恋栞》が、ほんのりと桃色に灯っている。
ただし。
その栞を光らせているものが何なのか。
当の女王様だけは、まだ知らない。




