第9話 屍術士との戦い【弐】
【前回までの『五国捜神記』!】
燃え上がる深潭村! 迫り来る夜叉衆! 絶体絶命の虎嵐の前に、
蒼き剣士・凌蓮が現れたァァッ!!
水は木を生ず――二人の龍武侠、ここに共闘ッ!
だがァッ! 斬ったはずの敵が、再び立ち上がるッ!!
死者を操る玄道士! 倒せぬ屍を前に、どう戦う両雄ゥゥッ!?
凌蓮は後を追って屋根から飛んだ。
「……小僧! 勝負はこれからぞ!」
玄道士は叫び、次の瞬間、自らの左手を口元へ運んだ。
――ごりっ、
と小指を噛み千切る。
血が噴き出す。
玄道士は悲鳴どころか、呻きすらしない。
血を地面へ叩きつけるように、指で円を描く。
円の内側に、歪な紋。
紋が、まるで蠢く虫の群れのように広がり、地面を染めていく。
――〈幻屍陣〉
ぞぞぞぞ……
足の裏から、ざわめきが這い上がった。
凌蓮は一瞬、眉をひそめる。
(……地面が柔らかい?)
踏み締めたはずの土が、わずかに沈む。
まるで、巨大な獣の腹の上に立っているかのように。
凌蓮の剣先が、微かに震えた。
「これは……陣の内側だ」
倒れていた屍体が、いっせいに起き上がる。
一体。
二体。
十体。
いや――
数が、合わない。
「……増えてやがる」
虎嵐が唸る。
屍たちが、ゆらりと立ち並んだ。
喉を裂かれた者も、
腕を失った者も、
何事もなかったかのように歩いてくる。
しかも、その動きが揃っている。
まるで――一つの心臓で鼓動しているかのように。
ずっ、
ずっ、
一歩踏み出すたび、地面の呪紋様が淡く赤く脈打つ。
「……幻か!?」
虎嵐が目を擦りながら、低く唸った。
「陣が、屍体を復活させ、さらに、幻を作り出している……」
凌蓮の声は冷静だったが、視線は険しい。
さきほど斬り捨てた二、三十人ばかりの夜叉衆だけではない。
黒装束の人数が明らかに倍以上いる。
幻と、本物。
区別がつかぬ。
「凌蓮! これ、数がおかしいぞ!」
「分かっている!」
凌蓮が応えたとき、屍体たちの口が、同時に開いた。
「……どこを見ている?」
「水明観の坊や」
「虎児よ」
声が、四方八方から響く。
玄道士の声だ。
「はははははは……」
「あはははは」
複数の屍が、やまびこのように玄道士と同じ声をあげる。
玄道士の本体は、いずこか分からない。
「屍爆!」
玄道士が指先から呪符を放ち、それが陣の中に立つ屍体に突き刺さる。
みちみち、と、
屍体の腹が、
胸が、
頭が、
見る見る膨らむ。
「離れろ!」
凌蓮が叫ぶ。
――次の瞬間。
どんっ、
と爆発した。
砕けた肉や骨の破片が飛び散る。
虎嵐は咄嗟に月虎爪で払う。
凌蓮は道服の袖で顔を覆った。
「ふははは! どうじゃ、〝人の花火〟の味は?」
玄道士は楽しげに叫び、
「――さぁ、どこまで持つかのぅ」
呪符を次々に放った。
三体、五体、十体――
少しずつタイミングをずらしつつ、
みちみち、と屍の腹が膨らむ。
「来るぞ!」
どん!
みちみち、
どっ、
骨の破片が、弾丸のように飛び散り、凌蓮たちを傷つける。
「……ぬぅ」
凌蓮は低い声でうなった。
屍人が襲いかかって来る――爆発。
屍人の間を縫うように、凌蓮達は右へ左へと陣内を駆ける。
「あはははは!」
「どうした?」
「こまねずみのようだのう」
玄道士のかん高い声が、至る所から聞こえ、
「瘴毒散」
また呪が詠唱された。
それは、先に放たれていた〈屍爆〉が前提条件となる呪術。
爆ぜた屍体の残骸から、黒い瘴気が噴き出した。
ふしゅうぅ……
ずぉぉん……
凌蓮の額に、汗が滲む。
瘴気が黒い霧となり、広がって行く。
側にいた虎嵐の姿すら見えなくなった。
(まずいな……)
凌蓮は狼狽した。
刃で振り払うこともならず、瘴気は肺へ絡みつく。
「ぐ……っ!」
視界が曇る。
手脚が痺れ、軽い目まいを感じる。
(……落ち着け。臍下丹田で気を巡らせるのだ……)
凌蓮は薄く目を閉じ、〝胎息〟の呼吸に転じた
――鼻や口を使わない、胎児のような呼吸法である。
「――虎嵐! 瘴気だ! 胎息にするのだ!」
「分かった!」
虎嵐は応え、
「皆! どこだ?」
と、仲間の遊侠たちと声を掛け合い、手探りで探し当てると、
「――ちょっと、我慢しろ!」
遊侠たちの鳩尾近くの〝経穴〟を、次々に素手の手刀で突いて回った。
ぐほっ、
と、一旦は息が詰まるものの、遊侠たちの呼吸が、丹田からの方式に変わった。
虎嵐自身は、修行により瞬時に切り替えることができる。
「凌蓮! まだまだ、歩く屍体が残ってるぞ!」
と虎嵐が言ったとき、どん、と再び屍体が爆発した。
「やばいぞ! このままじゃ!」
爆発の後は、さらに爆発? それとも瘴気の放出か? 虎嵐も焦っている。
「落ち着け! 私に任せてくれ!」
凌蓮は懐から、丈夫な凧糸を取り出した。
指先に水気を集める。
〈凝氷〉
凌蓮の指先が碧く輝き、糸の先端に、円錐形の氷が結ばれる。
それを、そっと地面へ垂らす。
氷錐が、ゆらりと揺れる。
――静止。
次の瞬間。
氷錐が、ぐるんと円を描いた。
さらに回る。
加速する。
ぐるん、ぐるん、ぐるん――
「……っ」
振り子は乱れ、そして、
じゅっ、
と蒸発した。
同時に、
「瘴毒散」
と玄道士の声がこだまし、屍体から瘴気が噴き出す。
「――あ、ちくしょう! 俺達をなぶってやがる!」
虎嵐が慌てる声にも動ぜず、
「諦めぬぞ。もう一度……」
凌蓮はつぶやき、今度は氷錐をより鋭く作り上げた。そして、地面へ垂らす。
揺れは小さい。
だが急に、
ぐっ、と引きがあった。
今度は回らない。
氷錐は空中で傾き、ぴんと糸を張り、〝その方向〟を示している。
「そこかっ!」
凌蓮は、綱をつけた猟犬に引かれるがごとく走った。
〈昇龍脚〉
凌蓮が跳んだ。
空中で剣を真上に掲げる。
〈水龍断滝〉
――一閃。
剣が滝の流れのごとく、真っ直ぐ振り下ろされる。
落下の衝撃と共に、蒼い剣気が叩きつけられた。
黒い瘴気の霧が、左右に引き裂かれ、うねうねと蠢く。
さながら黒い大蛇を真っ二つに切ったかのごとく。
――だが、それは程なく、ふにゃりと力なく地面に垂れ、消えていった。
炎の爆ぜる音も、死骸が足を引きずる音も、嘘のように遠のいた。
――静寂。
凌蓮は剣を下段に構えたまま、一歩も動かなかった。
目の前の地面を見据えている。
――と。
ずずず、
土が盛り上がり、黒い影が立ち上がった。
黒装束に、黒い菅笠をかぶった者。
――玄道士。
すかさず、凌蓮はその喉元に剣を突きつけた。
虎嵐が凌蓮の元に駆けてきた。
その場に立つ人影を、燻る炎と月明かりが照らす。
次の瞬間。
――ばさ、
音を立てて、黒い菅笠が裂けた。
遅れて、頭巾が空を舞い、地に落ちる。
それは、剣に斬られたというより、役目を終えて、剥がれ落ちたかのようだった。
――月光に照らされた顔。
「む!?」
凌蓮の動きが止まった。
「……女将?」
虎嵐が息を呑む。
そこに立っていたのは、深潭村の酒家の女将だった。
「女将ではない」
女はカン高い声で笑った。
「我が名は、幽声」
声はあの時と同じ。
だが、目だけが違う。
「村人は、少しずつ入れ替えたよ。夜叉衆とね」
幽声は額の血を拭いながら、肩をすくめる。
「私も、その一人。女将に化けて、代わったまでさ」
「……最初から、村そのものが――」
虎嵐が歯を食いしばった。
「なるほど。だから、死気が水路から広がったのか」
凌蓮は剣を突きつけたまま、女将だった幽声を見据える。
「さあ……続きをやろうか?」
幽声は薄く笑った。
虎嵐は、胸の奥が冷えるのを感じた。
――まだ、終わっていない。
その時、遠くから、いくつもの足音が走って近づいて来るのが聞こえた。
次第に鎧が擦れる音も、はっきりとして来る。
幽声も虎嵐達も、互いに目を離さない。
「――虎嵐さん! 兵だ! 兵士が来ます!」
呑鯨が向こうを指さす。
「皆、大丈夫か?」
虎嵐は凌蓮の横で、幽声を睨みながら、警戒を解かずに言った。
「なんとか全員、生きてます。多少の怪我はしてますが、大丈夫……」
「良かった。忍の奴らは?」
「ええ、生き残った奴は、いないようです」
「皆、歩く屍体になっちまったか?」
――と、その時
「――皆の者!! そこを動くな!! 動いた者は射る!!」
隊長らしき者が叫び、兵達が、弓を構え矢をつがえた。
「……近くの砦の兵か? よく分かったな?」
虎嵐が呟いた時、二十人程の弓兵が、仲間達を取り囲んでいた。
残りの五人が、幽声を包囲する。
逃げ道はない。
幽声は周りを見渡し、薄く笑った。
「なるほど……ここまでか」
「我等は〈断嶺砦〉の警備隊じゃ! 怪しげなる道士! 神妙に縛に就け!」
隊長が直剣を抜き、幽声を指した。
「この我を! 〝怪しげ〟とは、笑止!」
幽声は顔前に剣指を構えた。
――次の瞬間、
号令もなく、矢が一斉に放たれた。
矢の風切り音が、幾つも奔る。
ずす、
ずす、
肉を刺す、鈍い音が重なる。
幽声の身体に、幾本もの矢が突き刺さり、前のめりに崩れ落ちた。
「よし! 賊を捕らえよ!」
「は、はっ!!」
「――貴様ら! 抵抗するな!」
兵達が凌蓮らに縄を掛けようとする。
「――お、おぉい!」
抗おうとする虎嵐の肩を、凌蓮が押さえた。
「ここは従え。虎嵐……」
「う……し、しょうがねぇなぁ……」
と虎嵐が体の力を抜いたとき、
「――あ、ああっ!? すいません!!」
かん高い叫び声がし、何者かが、集団の中へ転がるように割って入った。
「兵士さん! 隊長さん! その方々は全員、水明観の関係者です! 縛らないでぇ!」
声の主は、道服姿の少年だった。
「――左様でしたか。捕縛はやめよ! 周囲の確認と、鎮火だ!」
隊長は、素直に少年の言葉に従い、兵達は周囲へ散った。
「――青洛、どうしてここに?」
凌蓮と少年が、互いに駆け寄る。
「はい、師兄。師父が……」
青洛が言うには、凌蓮が出発した後、次のように柳鷺に命じられたとのこと。
断嶺砦へ柳鷺の書状を届け、兵士の助力を求める。そして、凌蓮の後を追い、
兵士を凌蓮の元へ案内すること。
「――もう一艘、〈龍船〉を使ったか。ご苦労であったな」
凌蓮は、青洛の双丫髻の頭を撫でた。
青洛は水明観の道童であり、弟弟子である。
そして龍船とは、呪具に相当する船であり、行き先を告げるだけで、目的地まで自動運転ができる。
龍船が複数の場合は、相手の船を追跡することも可能だった。
「――隊長! ご覧ください!」
向こうで、兵達が騒いでいる。
凌蓮達も、そちらへ駆け寄った。
――幽声の屍体。
兵が大刀でそれを突き、持ち上げている。
「軽い」
地に横たわる屍体には、血も、内臓も残っていなかった。
ただ、人の形をした〝皮〟だけが、そこにあった。
まるで、蛇が脱ぎ捨てた抜け殻のように。
「……尸解仙か?」
凌蓮は、その〝遺体〟を見下ろして呟いた。
「なんだ? 尸解ってよ?」
虎嵐が問うた。
「〝抜け殻〟を残し、実体は抜け出している。もっと高度な〝仙人〟に進化してな……」
「生きてやがるのか……次は、逃がさねぇ」
虎嵐は拳を握りしめた。
終わっていない。
夜の底で蛙王も、幽声もまだ蠢いている。
炎の残り香と、毒の気配が漂う中、深潭村の夜は朝を待ちわびていた。
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