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第7話 深潭の祠と堕ちた水神

【前回までの『五国捜神記』!】

死者の声が呼ぶ! 水妖が襲う! 霧沈域はまさに地獄絵図ッ!!

木気を爆発させる虎嵐! 仲間と共に帆柱をブチ込み、ついに巨大妖怪を退けたァッ!!

だが、奴は本当に死んだのか!? 霧の先に待つものは希望か、さらなる地獄かァァッ!?


 一刻ばかり、舟はゆっくりと霧沈域を進んだ。


 霧が薄れ、穏やかな水面が続く。


 ――やがて。


 遠くに集落らしき影が見えた。


「あそこ、村かな?」

 虎嵐(フーラン)が指さす。


「深潭(シェンタン)の村ですよ。方向はあってます」


 細熊(シーション)がほっとした声を漏らす。


 ゆっくりと舟は桟橋へ着いた。


 地を踏んだ七人は、足元の安定に、ささやかな安堵を覚えた。


    ◆


 ――村は静かだった。


 人の気配はあるが、活気がない。


 呑鯨(ドンジン)が眉をひそめる。

「妙に……静かじゃねぇか?」


 まるで、村全体が息を潜めているようだった。


 村の真ん中を通る道を奥へすすむと、酒家の赤い幟(のぼり)が見えた。

 

 古びた木造の二階建てだが、小さな楼閣の体はなしている。


「……ようやく人間の匂いがする場所についた……」

 虎嵐の腹が鳴った。


 戦闘の消耗が、全員の顔に残っていた。


    ◆


 店に入ると、蒸籠の湯気と香ばしい油の匂い。


 八つ刻近く。


 客は数えるほど。


 女将が驚いたように目を丸くした。

「旅のお方……? よく、この時節に来られましたねぇ……」


「ああ、客が少ないのは分かるが、ここらは、人がいないみたいに静かだな」


 虎嵐は椅子を持って、暖炉の側に座った。


 女将は一瞬、言い淀んだが、


「最近、船が沈むし、商人(あきうど)や荷物の行き来が減ってますからねぇ……」


 と引きつったような笑みを浮かべた。


「まず酒ちょうだい。飯もね。早くしてもらえる?」

 虎嵐は濡れた体を温め、目を細めた。


「はいはい。すぐにね」


 女将が愛想良く応え、ほどなく燗酒が来た。


 細熊が虎嵐に盃を渡し、酒を注ぐ。


 湯気の立つ魚粥と野菜炒めが運ばれてくる。


 虎嵐は、もう一脚の椅子をテーブル代わりにし、盃を置いて、料理の椀を手にした。


 全員が無言で箸を動かし、人心地がついた頃、店内に活気が戻って来た。


「――あのデカい妖怪が、全ての元凶なんすかね? 虎嵐さん」

 呑鯨が酒をあおって言った。


「そうかもな……ヤツからは黒い気の塊を感じたからな……」


「黒藻もなくなってないし、まだ生きてるんすかね?」

 細熊が言う。


「ああ、生きてるだろう。決着をつけないとな

「――でも、今は休ませてくれ。俺様、気を使い果たしちまった……」

 

虎嵐が言ったとき、一人の老人が席を立ち、虎嵐たちの方へ寄って来た。


 白い髭を胸まで伸ばした老人は、拱手し頭をさげ、


「……旅のお方。遊侠(ヨウシャ)団の方々か? 妖怪を見たのですかな?」


「ああ、俺達ゃ遊侠だ。でかくて黒い妖怪(やつ)と遭ったぜ」

 

 虎嵐が頷き、老人に席をすすめた。


 老人は礼を言い座る。


「儂は、淡鯉(タンリー)という者です

「――そうですか。退治の依頼は届いておりましたか……」


 盃を受け、酒を一口すすってから語り始めた。


「昔、この村には水の祠があったのじゃ……その祠を守る、蛙の眷属がおってな。

「名を……蛙王(ガワン)と言う」

 

 細熊が小さく息をのむ。


「清らかな雨を呼び、水路の澱みを払い、魚も豊かに育った。

「蛙王は、皆に愛されておった」

 

 長老の顔に影が落ちた。


「昨年からじゃ。祠が黒く穢れ、水が腐りはじめた。

「蛙王が……祠に祭られていた神器を呑み込んでしもうたのだ」


「神器だと?」


 虎嵐が前のめりになる。


「うむ。水を清める龍の鱗。古き時代から祠に祀られていたものじゃ。

「本来は浄化の力をもつ。じゃが、あれは神の器。小さき獣が扱える代物ではなかった……」


 長老の声が震える。


「己が神となろうとしたのだろう。分を超えたため、


「霊気に呑まれ、祠の守り神は祠を壊す獣へと堕ちた。


「あれは怒っておるのではない……苦しんでおるのじゃよ」


「……なるほど。将棋の駒が〝裏返った〟か」

 虎嵐の目が細くなる。


「え?」

 老人が顔を上げる。


「本来は清い力だ。だが誰かが力の向きを変えたんだ。浄化の力を、汚染の方へな」


 虎嵐は口を歪めた。


「玄道のしわざか……」

 仲間たちの顔が強張る。


 ――静寂。


 老人は小さく頷いた。


「黒衣の者らを見た者がおる。祠の封印が破れたのも、奴らが現れた時期と重なる」


「また闇の理《ことわり》か。ロクなことしねぇな、あいつらは」

 虎嵐は拳を軽く握った。


「じゃあ……どうすれば?」

 呑鯨が言った。


「倒すしかねぇ。闇から解放してやる方法は――それだけだ」


「……どうか、頼みます」


 虎嵐の言葉に、淡鯉長老の目がわずかに潤んだ。


 虎嵐達は疲れもあって、しんみりと飲んだ。


 深潭の夜は静かに更けていった。


    ◆


 ――虞(グ)国。蒼月山(ツァンユエ・シャン)。


 この世界にある、五龍峰の一つ。


 かつてその頂には、水龍が棲んでいたが、今は面影がない。


 水明観(シュイミン・グアン)は、蒼月山の麓にある羅道教の本山の一つである。


 その外院から少し離れた場所に、ひっそりと小さな楼が建っている。


 名を 〈観星楼(グアンシン・ロウ)〉。


 二階に『観星の間』があり、その八角形の木製屋根は、花弁のように開いていた。


 月の光が煌々と差し込んでいる。


 白砂を敷き詰めた床には、星図のような細かい線が走っている。

 

 中央には水鏡が置かれ、灯もないのに水面が淡く輝いていた。

 

 柳鷺(リウルー)導師は静かに中へ入り、古びた竹杖を壁際に立て掛けた。

 

 夜空には雲ひとつなく、星々が、澄んだ光を放っている。


「……今宵は、よう流れるな」


 柳鷺は誰に言うでもなく呟く。


 床の水鏡に星が映り込み、床に天宮を映したような空間である。


 柳鷺は、白砂の床に指先で一本の線を引く。

 そして、星空に向かって右手をゆっくりと掲げた。

 

 静寂。

 

 次の瞬間──

 

 ひときわ強く輝く星が、尾を引いて流れた。


 それは偶然の流星に見えたが、柳鷺の表情はわずかに険しくなる。


「……将星が、揺らいでおる」

 柳鷺が震えた。


 水鏡の表面に波紋が浮かぶ。


 その中心から、ひとつの天宮が浮かび上がる。


 ――樹龍宮(シューロン・ゴン)。


「ふむ……樹龍の瞳である翡翠星(フェイツイ・シン)。

「その光が、生と死のあわいにある……」


 もうひとつ星が流れた。


「不吉な兆しじゃ……」


 柳鷺は水鏡を覗き込み、顔に深い皺を寄せた。


 そして、かつての親友の顔を思い出し、ため息をついた。


「困るのう……あやつの弟子は……やはり、アホの弟子は、アホなのかのう……」


 だが次の瞬間、柳鷺の眼差しが鋭くなった。


 白砂に、星の光が一本の線を描いた。


 水鏡に水龍宮(シュイロン・ゴン)が映り、

その瞳――蒼玉星(ツァンユー・シン)が炯炯と輝いている。


 柳鷺は竹杖を取り、観星楼を静かに後にした。


    ◆


 山風の吹き抜ける回廊を歩き、柳鷺は外院へと戻っていった。


 月は高く、道観の敷石が白く照らされている。


 外院の奥、一本の蒼い柳の下に、すらりとした影が佇んでいた。


 白と蒼を基調とした道服。

 腰には直剣。


 その青年は、月光のもとでも表情を崩さず、ただ静かに師を待っていた。


「師父(しふ)」


 柳鷺が近づくと、青年は拱手の礼を取り、頭を下げた。


 長い黒髪を後ろで纏め、蒼い頭巾に銀の簪を刺している。

 色白の肌に涼しげな目元。


「……来ておったか。凌蓮(リンリエン)よ。察しが早いのう。

「水龍宮の瞳星が動けば、お主も胸がざわつくかと思ったが?」


「ええ。樹龍宮の翡翠星が騒ぎ、水龍宮の我が守護星が、それに感応しております」

 凌蓮は、うなづいた。


「お主、相変わらず鋭いのう。怜悧(クール)ではあるが……モテぬぞ?」


「師父。その話は、今する必要がありますか?」


「あるとも。十八歳を過ぎれば、世の女もだんだん──」


「……師父」

 凌蓮がわずかに咳払いし、話を切る。


「それで……樹龍宮のさざめきは? もう一人の龍武侠(ロン・ウーシャ)に何が?」


「生と死のあわいを彷徨っておる。黒気が濃い。玄道が絡んでおるのは、ほぼ間違いなかろう」


 柳鷺はため息をつき、月の方を見上げた。


「では、向かうのですね」


「うむ。お主が行け。迎えに行ってやれ。急ぐのだ!」


「承知しました、師父。蒼玉星に誓い──必ずや、救いに参りましょう」


 凌蓮は剣の柄に手を添え、静かに頭を下げた。


「うむ。それとな……」

 柳鷺が少しだけ表情をやわらげる。


「そやつは……お主にとって、悪くない相棒になるやもしれぬぞ」


「相棒、ですか?」


「ふむ。なんせ、そやつの師父がアホでの。 クールな相棒(わし)が見とらんと、


「すぐに暴走しおった。アホの弟子には、クールな相棒(おぬし)が必要なのじゃ」


「……では、行って参ります」


 凌蓮は、ため息ともつかぬ息をこぼし──しかし、ほんのわずか笑みを浮かべた。


「気を付けてな」


 蒼い風が吹き抜けた。


 凌蓮の道服がひるがえり、彼の姿は、月明かりの中へ音もなく溶けていった。


「……あ、そうじゃった。おい、青洛(チンルオ)や」


 凌蓮の後ろ姿を見送った後、柳鷺は手を叩き、人を呼んだ。

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