第4話 滄波―呪染の水都
【前回までの『五国捜神記』!】
龍武侠を探し旅を続ける虎嵐! だがァッ! 安息の宿・白灯院にも玄道の魔手は伸びていたッ!!
蠢玄の狙いは、すべての龍武侠の抹殺ッ!!
敵はすでに動いている! 急げ虎嵐! お前に明日はあるのかァァッ!?
水路の上を霧が漂う。
遠くには龍峰が見える。
水の上に楼閣が浮かんでいる幻夢を思わせる風景は、古から幾人もの画家が名作を描いてきた。
――虞国〈滄波〉城。
灰青色の巨大な城壁。
その中央に吊り橋が伸びている。
城門の上には、弩を構えた兵が並び、水の都の静謐さとは裏腹に、
入り口だけは、物々しい緊張感に満ちていた。
(うわ、やばい雰囲気……)
虎嵐は、人や荷駄の列に並んで、吊り橋を渡りながら、
呉国との警戒レベルの違いに驚いていた。
「止まれ! どこの者だ。どこから来た?」
橋を渡りきると、城門前で兵が鎗を横に構えて立ちはだかった。
「あー、俺様、遊侠。呉から来た――これ、〈五国遊侠団証〉だけど……」
首から紐で下げた古銭(方孔銭)を取り出し見せながら、
〈輝(約五百円)〉を数枚差し出す。
「……ほう、呉の遊侠か。最近はいろいろ騒がしいらしいな?」
兵は証しを見て、心付けつきの通行税を受け取ると、態度がいきなり柔らかくなった。
「おーし! 通れ! 気ぃつけろよ、昨今の虞国は、落ち着かねぇからな」
「ありがとう。助かるわ!」
虎嵐は、片手を上げ、城門を潜った。
◆
内側へ足を踏み入れた瞬間、景色が一変した。
――滄波の町。
石畳の両脇には水路が走り、荷船、屋台船、小舟……
あらゆる船が、水の大通りを行き交っている。
「おお……マジすげぇな。ミズスマシみてえだ!」
虎嵐は思わず歓声をあげたが、すぐに眉をしかめた。
水面が、黒く濁っている。
粘った黒藻が船底に絡みつき、剝がれるたびに、生臭い臭気が漂った。
「兄ちゃん、ここは、初めてか? あの黒い藻、最近よう増えてな。船がぜんぜん進まねぇんだよ」
桟橋で荷を下ろしていた船頭が、気さくに声をかけてきた。
「ただの藻じゃねぇな、この臭さ……水、腐ってんのか?」
虎嵐はしかめ面のままだ。
「――なんか悪いもんが混じってんだろうな。
「夜になりゃ水妖まで寄ってきて、怪我人も増えてるよ」
船頭は苦笑しながら答えた。
「また妖……呉を出てから、三日の道中でも遭いすぎて、吐き気がするぜ」
「あんた、遊侠か? なら、南水路のとこに支部があるよ」
「助かった。そこまで頼むわ、船頭さん」
虎嵐は、揺れる舟へと飛び乗った。
舟は黒藻を掻き分け、ゆっくりと滄波の中心へ進んでいった。
◆
舟にゆられながら、虎嵐は水都の空気を改めて吸い込む。
石造りの家々の間を縫うように水路が走り、家の軒先には小舟がそのまま、
玄関代わりに括りつけられている。
水路の脇では、舟の上で老人が、湯気の立った饅頭を木箱に並べ売っていた。
その隣では、小舟を改造した床屋が客の髪を切っている。
「へぇ……こりゃ、呉と全然違ぇな」
虎嵐は小さく感心した。
水都の生活感が、湿った風と一緒に胃袋へ沁みてくる。
そのとき、桟橋で黒藻に足を取られた若者が、派手に転んだ。
「ぅわっ! またかよ黒藻! くそったれ!」
「気ぃつけろ! 昨日も三人落ちたぞ!」
水都の日常が、そこかしこで悲鳴と笑い声を生んでいた。
◆
「読売だよーっ! 読売ぃーっ! 黒藻の増殖、
「ついに城下に到達! 水明観が大祈祷を開始したってよ!」
舟が市場横を通りかかった頃、威勢のいい声が響いた。
(おっ、水明観……師父が言ってた道観の名だな)
少年が舟から舟へ器用に飛び移りながら、読売を売っている。
「滄波じゃな、壁に貼られる御触書と同じくらい読売が読まれてる」
船頭は言った。
「読売屋が忙しいほど、事件が多いのかよ?」
虎嵐は振り返らず聞いた。
「兄ちゃん――行くんだろ? 水明観へ」
舟頭は問いには答えず、意味深に笑った。
「物見遊山でか? 俺ァ、んな物好きに見えるかい?」
水明観など知らぬかのように、虎嵐は、うそぶいた。
「知らんのか? 水明観は風光明媚。物見遊山の旅人は多い。
「名物料理が〈水明鯉の清流蒸し〉、〈水明水ようかん〉も有名だぜ」
「マジかよ?」
◆
舟が横揺れしながら、湿った桟橋に横付けされた。
「ここが滄波の遊侠団支部さ……気をつけな、最近はいよいよ物騒だ」
船頭が短く言う。
虎嵐は礼を言い、船賃を払うと、桟橋の階段を上がった。
建物は二階建ての木造楼閣。
一階が酒家、二階が宿屋とすぐに想像がつく。
青い瓦がつやつやと光り、壁には川の飛沫が乾いた跡が残っていた。
看板には、〈藍霄楼〉とある。
戸を開けた瞬間――湿気と香草と酒の匂いが、むわっと鼻を突いた。
中はざわついていた。
黒藻の付着した衣を干す者。
地図を囲んで議論する者。
水妖に襲われ破れた衣を縫う者。
依頼札の前で険しい顔をする者。
旅人の安否を尋ねる家族。
――混沌だが、どこか活気もある。
(あー……懐かしい空気。遊侠団はどこも同じだな)
虎嵐は思わず口元がゆるんだ。
「そこの新顔! 入り口塞いでないで、中に入んな!」
奥から、女の声が響いた。
「お、おう! 悪ぃ悪ぃ!」
声の方を見ると――長い木の酒台があり、
大壺に入った酒がずらりと並んでいる。
背の高い女将が、手慣れた様子で大勺を操り、
客たちの盃に酒を注いでいた。
濃紺の対襟の上衣に、灰藍の前掛けを腰にきゅっと締め、
袖は邪魔にならぬよう肘上まで折り返し、赤い襷をしている。
水都特有の浅黒い肌に、切れ長の目が鋭い。
髪はざっくりと高く結い、一本だけ差した金色の簪が光る。
きっちり働く女将の立ち姿からは、微かに武が感じられた。
女将は、遊侠団・滄波支部長、藍蘭と名乗った。
「遊侠だね? その証し、見せてくんな」
「おう――虎嵐、呉の遊侠だ」
と、古銭を加工した五国遊侠団証を見せた。
これは、五国にまたがる遊侠団員の証しであり、諸国に点在する支部や、
息の掛かった店では、いろいろ便宜を図ってもらえる。
旅をする際には、国が発行する通行手形より〝使える〟場面が多い。
藍蘭は一瞥して、右手を拳、左手を掌にして胸の前で合わせる
――抱拳礼で遊侠式の挨拶をしてきた。
虎嵐も、あわてて抱拳礼を返した。
「よく、この状況で滄波まで来たね」
「へへ。入っといて良かったよ、遊侠団。門前払い食らわずに済んだわ」
「減らず口も元気で何よりさ。で、わざわざ呉から来たってことは……何か用があるの?」
「用っていうか……まず、今の虞がどれくらいヤベぇのか知りてぇ」
藍蘭は舌打ちし、壁の依頼札を顎で示した。
そこには――
〈黒藻の異常増殖〉
〈水妖の夜襲〉
〈行方不明。旅人五名〉
〈荷船の沈没〉
〈小舟破壊。正体不明〉
など、嫌な文字ばかり並んでいる。
「……ここまで酷いのかよ」
虎嵐が呟く。
「滄波は水の都だ。水路が詰まれば国が死ぬ。黒藻はただの藻じゃない。
「呪いに反応して増えてる」
藍蘭は言った。
「……呪い?」
「玄道の仕業だよ。そうとしか思えない事件ばっかり起きてるのさ」
部屋のざわめきが、一瞬だけ沈んだ。
「……滄波は今、何かの渦の真ん中にいる」
藍蘭は虎嵐にグッと近寄って、声を落として言った。
「渦か……なら俺が割って通ろうじゃねぇか。呉の森も放っとけねぇしな!」
虎嵐は鼻息荒く言った。
「言うじゃないか、若いの。飲むかい?
「呉から来たんなら、喉も渇いてんだろ? 一杯おごるよ」
藍蘭はふっと笑った。
虎嵐の前に盃が置かれ、さっと酒がつがれた。
と同時に酒台の奥から、良い匂いが漂ってきた。
藍蘭が腕を組んだまま顎で示す。
「食うかい? ここの名物〈滄波魚の甘酢あんかけ〉だ。
「来たばっかで腹も減ってんだろ?」
「いただくぜ。さっきから、腹の虫が泣いて困ってら」
――ほどなく、丸皿に盛られた料理が虎嵐の前に置かれた。
白身魚は表面がカリッと揚がり、とろりとした甘酢の餡が光っている。
「うお、うまそ! いただきます!」
一口かじった瞬間、濃い旨味が口いっぱいに広がる。
「……これ、やっばいな」
虎嵐は目を閉じて唸った。
藍蘭は鼻で笑う。
「水が悪ぃからって、魚を捕らないわけにはいかないさ。
「汚れてないヤツを使うし、きれいな水で洗って、
「酒で洗って……手間が掛かって大変さね。まぁ、最近は黒藻のせいで漁も厳しいがね」
この一皿が、〝水の国へ来た感〟を虎嵐にしっかり刻みつけた。
◆
――つぎの朝。
酒家の二階の宿屋から、虎嵐が階下へ降りると、酒台の奥で藍蘭が腕を組み、
じろりとこちらを睨んでいた。
「……で? あんた、今日は何するつもりなんだい?」
「いやぁ、師父にのんびり行けって言われてるしな。まぁ、のんびり……」
虎嵐は伸びをしながら言った。
「のんびり!? この状況で!?」
藍蘭の声が一段跳ね上がる。
「虞国も呉国も、どっちも火の車じゃないか! 協力しなきゃいけない時だろう!?
あんたも、あんたの師父も、揃いも揃ってアホなの!?」
「……あ」
虎嵐は、ポカンとしていたが、瞳の奥の光は鋭かった。
「なんで俺、今まで気づかなかったんだ……チクショー!!」
「……はぁ。ほんと、救いようがないわね。ま、気づいたならちょうどいい。
「一つ、やってほしい仕事があるんだよ」
頭を抱えてうずくまる虎嵐を見て、藍蘭は額を押さえた。
「――お! 任せろ!」
虎嵐は勢いよく顔を上げる。
藍蘭は水路地図を酒台に広げ、連続沈没事件のことを簡潔に説明した。
「ここ十日ほどの間に、六隻沈んだ。それで、城から派遣された兵が二十人、
「全員行方不明。昨日やっと一人、生存者が見つかった。
「『読経の声、でかい影……』って繰り返すだけ……お上は兵を出し渋ってる。
「近隣の村で金を出し合って、遊侠団に退治の依頼が来たって訳さ」
「よっしゃ! 水の妖でも何でも来い! やってやろうじゃねぇか!」
虎嵐は拳を握る。
「言ったね? じゃあ行ってもらうよ。沈没したって噂の水路
「――水明観へ続く北の支流。そこに何かがいる」
藍蘭は口の端を上げて笑う。
「分かった――じゃあ、まずは、朝飯だな。焼餅でもたのむぜ!」
「あんたは国よりも、胃袋の方が大切みたいだねぇ……」
藍蘭は、やれやれと厨房へ入った。




