第3話 黄燕亭の夜
【前回までの『五国捜神記』!】
華陽の市に現れた剣客・痩狼! 刃と爪が火花を散らし、死闘の果てに立っていたのは虎嵐ッ!!
されどォッ! 勝者に笑顔なしッ!!
さらば痩狼! 進め虎嵐! その行く手に待つものや、いかにィィッ!?
広場に静けさが戻ると、虎嵐の腹がぐぅ、と鳴った。
「……悪人だろうが善人だろうが、腹は減るんだよなぁ……」
風がしみて虎嵐はぐずっ、と鼻をすすった。
「お前ら!」
「へ、へいッ!」
流氓たちが、びくりと肩を揺らす。
虎嵐は倒れた痩狼に視線を落とし、拱手した。
低い声で短い読経をする。
「痩狼を──ちゃんと葬ってくれよな」
「ま、任せてくださいよ、兄貴!」
「そ、それより……いいんですかい? こんなに?」
「ああ、頼んだぜ」
虎嵐は軽く手を振ったあと、背を向け、歩き出す。
――が、
「ほいで──この町で一番うまい酒家って、どこだっけ?」
ふと思い出したように振り返った。
「へいっ! あちらでございます!」
流氓たちが道を指し示す。
虎嵐は背嚢を背負い直し、歩き出した。
街道沿いの木立が少し開けたところに、一軒の酒家が見えて来た。
屋根は低く、周囲には塔婆の若木がまばらに立ち、
その大枝が店のひさしに影を落としていた。
森の国らしい、木の匂いが濃い。
店先には、風に揺れる黄色い幟。
木製の看板には、金墨で描かれた燕が一羽、枝から飛び立っている。
その横に柔らかな書体で〈黄燕亭〉の三文字。
店構えは酒家だが、湯気が立ちのぼり、香草と清湯の匂いが漂っている。
◆
陽が落ち始め、店内は客で賑わっていた。
近くの住人は、旅塵を纏っていないから分かる。
旅人、商人などは、荷物で一見してそれと分かる。
物騒な武器を身の近くに置いているのは、遊侠であろうか
――遊侠とは、武で糧を得る流れの武客。金のために妖を斬る者たちである。
虎嵐は席に腰を下ろし、名物〈黄燕麺〉をすすった。
香ばしい揚げ燕皮と、黄金色の清湯スープ。
「おい、これ……ふわカリじゃねえか!! うめぇぞ!」
「いいか兄ちゃん。燕皮は揚げすぎりゃダメ、柔らかすぎりゃもっとダメ。
「燕は空で舞わにゃならねぇ。麺の上でも同じことよ」
店主と見える親父が言った。
「言ってる意味は分かんねぇけど、うまいからいいや!!」
――ふと、隣のテーブルの声が耳に入った。
「――っつたく、よお。世の中、乱れすぎてら」
「ですよね。兄貴」
「魏国のせいで、他の国まで戦の準備とか、ろくでもねぇぜ! くそっ!」
「なんとか、ならんすかね。金持ちはもっと金持ちに。貧乏人は、もっと貧乏になるわで……」
「――やっぱ、俺のような者が立つときが来たのかも、しれねぇな」
兄貴の方が、己の武勇伝を語る。
虎嵐は手酌で酒を飲みながら、聞くとはなしに聞いた。
「――んでよ! 俺が玄道士と刃を交えた時なんざ、天地が震えたもんだぜ!」
「ほ、ほんとに!? 玄道士って実在するんですか!?」
「当たりめぇよ! 実在よ! 玄道士だけじゃねぇ、
「実は、俺はな――何を隠そう、伝説の羅道の戦士、
「龍武侠よ」
「……んッ?」
虎嵐の目がギラッと光る。
(い、今……龍武侠って言ったか!?)
虎嵐は立ち上がり、ガタン! と椅子を倒した。
「お、おめぇ! おめぇだな!? 龍武侠!!」
虎嵐は、思わず叫んだ。
「――はあ? 今なんつった? 誰が?」
兄貴は酔眼で言った。
「……会えたぁぁぁ!! 俺、翠霊山から探しに来たんだよ!! 龍武侠!!」
虎嵐は男に抱きついた。
「や、やめろやめろ! な、なんでそうなる!?」
酒場の視線が一斉に集まる。
(ん……? ……んん??)
虎嵐は黒い布が巻かれた右腕に手を当て、
龍紋がまったく反応していないことに気づいた。
(おかしい……本物なら、俺の龍紋がチリッとする……してねぇ。でも、さっきの態度、完全にそれだったよな!?)
「おい!! ウソじゃあねぇよな!! お前、玄道と戦ったって言ってたよな? なぁ!」
「言ったけど……それは盛っただけで」
「盛ったぁ!? 盛っただぁ!? 龍武侠名乗って、国の情勢まで語っておいてッ!」
ドガァッ!!
「ぎゃああああ!! 本物だこいつ! ホンモノの武人だ!」
「ちょ、ちょっと、あんた!! 卓を割らんでくれよぉ!!」
店主が怒鳴る。
「悪ぃ親父! でもこいつが悪ぃんだよ! 龍武侠から、世界情勢から語って偉そうにしやがって!」
「も、もうウソつかねぇから、許してぇぇぇ!!」
◆
その夕刻、酒場の店主に紹介され、虎嵐は近くの羅道教道院――〈白灯院〉に泊まることになった。
白壁と青瓦の静かな道院。
灯籠の光がゆらゆらと揺れる。
玄関で道士が拱手し、丁寧に頭を下げた。
「よく参られました。道兄。魯山(黄燕亭の主人)殿から伺っております」
虎嵐は、客間に通され、茶を出された。
「私は院主の清雲と申す」
「〈虎渓観〉、虎嵐です」
「おぅ。虎渓観とは……」
清雲が頭を下げる。
「いやいや、こちらこそ、今日はすんません……酒場で、ちょっとムカつくヤツがいて……」
「聞いておりますよ。『また、若いのが、偽の龍武侠を殴り倒した』と。
「しかも、その若者こそ、仲間を探している龍武侠であると」
「……〝また〟というのは?」
「最近、玄道の者たちが、我こそは龍武侠と偽り、偽の符を売って歩いております。
「あまつさえ、『帝が倒れ新しい世が来る。今こそ、民は立つべし』などと、
「良からぬ教えを広めようとまで……」
「なるほどなぁ……」
一瞬、虎嵐の瞳が鋭く光った。
「――で、失礼だが、あなたを疑う訳では……ないのだが?」
「ああ、いいっすよ――」
虎嵐は、右腕に巻いている黒い布を静かに解いた。
――露わになった前腕。
そこには、小さな蛇さながらに〝巳〟文字のような不思議な〝痣〟が踊っていた。
一目で、彫り物の類いではないと判る。
血の通った痣が生き物のように、ゆっくりと、のた打っている。
「ま、誠に恐れ入った――まるで気圧されるような気を放っておる」
と、清雲は合掌した。
「わ、わたしも拝見できますでしょうか?」
後ろで控えていた弟子も、思わず身を乗り出す。
虎嵐は、うなづき右腕を差し出した。
「美しい――だけでなく、あたたかい気を感じました」
「ああ、こいつ今寝てるからな」
と言い、虎嵐は右腕に布を巻こうと、清雲を振り返った。
清雲が、うなずく。
「やはり龍武侠は実在したのですな。どんな修行をすれば、そうなれるのかのう?」
「いやぁ、生まれつき体に龍紋があるヤツが龍武侠になれるって、師父が言ってました」
「ほう……」
「修行は、やっぱ、そこそこキツイっすね」
「うむ。龍武侠とはいえ、あなたはまだ若い。老人から、ひとつ忠告しておきましょう。
「焦らず、短気を起こさぬことじゃ」
「……はい。マジで反省します……」
清雲が手を叩くと、素食の夕餉が運ばれてきて、虎嵐は腹一杯馳走になった。
そして、その後宿坊へ案内され、簡素ながらも清潔な寝台で夢も見ずに眠った。
◆
――翌朝。
清雲をはじめとする道院の者たちは、総出で虎嵐を見送った。
「我が国のこと、心より案じております。どうか、良き旅となりますように」
虎嵐は深く頭を下げると、道を急いだ。
◆
清雲は、私室へもどり、戸をぴったりと閉めた。
朝の光が差し込み、読経用の机と書棚が、淡く照らされている。
「――本物じゃ。虞国へ助けを求めに行った」
部屋の奥へ視線も向けず、独り言のように清雲は言った。
「ああ、聞いていた。ご苦労でしたな」
書棚の影から、黒装束の男が現れ、すっと音もなく近づいた。
「――玄道への助力、気に病まれることはないぞよ……」
男は、甲高い猫なで声で言った。
「決して悪いようにはせん。この蠢玄が約束いたす」
清雲は、痛みを堪えるかのように、俯いて男の言葉を聞いている。
「むしろ、助力されなかったら――今ごろ、どうなっていたものやら?」
男は、
く、く、
と笑った。
「――羅道の龍武侠。一人のみにあらずと聞く……草の根分けても全て探し出し、
「必ず始末するのじゃ……」
男の足下の影が猟犬のように走り、部屋から出て行った。
「……し、して、例のものを下さらぬか? 喉が渇いてならぬ……」
清雲の指先が微かに震え、額には汗が滲んでいる。
「――おう、そうであったな……」
蠢玄は懐から錦の袋を取り出し、経机の上へ置いた。
清雲は慌てて袋を開け、右手で中身をつかみ出し、茶碗に入れた。
火鉢の上に置いてあった鉄のやかんから、茶碗に湯を注ぎ、待ちきれないように熱いまま飲み干す。
「く、く、く……黒蓮の種は、よく煎じて飲むが良いぞ」
そう言い残し、蠢玄の姿が消えた。




