第2話 塔婆の市と痩狼【弐】
【前回までの『五国捜神記』!】
華陽の市でイカサマを働く流氓ども! 見過ごせぬ虎嵐、ついに拳を掲げたッ!!
だがァッ! 牙を剥くのは雑魚ばかりとは限らないッ!!
戦え虎嵐! お前に明日はあるのかァァッ!?
「うしろだよ!」
虎嵐の声に振り向いたとき、
パ、パァン!!
と両頬を貼り飛ばされ、流氓は、思わずしゃがみ込み、
「な、なんだ今の速さ!?」
両手で頬を押さえながら涙目になった。
「てめぇ、調子に乗るなよ!」
残る二人が青ざめ、それでも面子のために吠える。
「囲め、囲めぇッ!」
巨漢の方が叫んだ。
虎嵐は肩をすくめただけで、一歩も動かなかった。
「――ハイィィッツ!! 影牙拳!」
二人が左右から同時に飛びかかる。
「「阿吽挟撃だぁッ!!」」
虎嵐を圧殺すべく、二人の肩からの体当たり。
その瞬間──虎嵐の姿が消えた。
互いに、思い切りぶつかる。
自らの突撃で、二人は見事に反対方向へ吹っ飛んだ。
「ぐえっ!」
「ひぃっ!」
二人の流氓が、地べたに転がる。
広場にどっと笑いが起き、塔婆の枝につるされた風鈴がちりんと鳴った。
「……将棋なめんなよ。イカサマもなしだかんな」
虎嵐は、右手の人差し指をピンと立てた。
「――兄さん。ホント助かったよ。へへ……」
カモられていた客が、虎嵐に頭を下げる。
周囲から歓声が起こっていた。
――と、
周囲の空気が静まった。
今まで騒いでいた人々が、声を潜めて通り道を開けていく。
倒れた流氓たちの後ろから、静かに歩み出る細身の男がいた。
頬がこけ、青白い肌に、細長く垂れた口髭。黒い頭巾。
黒い長衣と長裙、腰帯、いずれも着古されている。
無駄のない足運び。
腰の剣は安物ではない。
周囲の空気が、塔婆の影ごと沈んだように感じられる。
男は胸の前で右拳を左掌にあて、静かに礼をした。
──抱拳礼
「……影牙門武侠、痩狼だ」
「ふうん。用心棒かい? 本名か?」
虎嵐は片眉を上げた。
男は小さく笑った。
笑ったが、その目は冷えている。
「かつての名は捨てた。今の俺には……痩狼というあだ名が相応しい」
「そういう生き方か。嫌いじゃない」
虎嵐も抱拳礼を返す。
「虎嵐だ」
「覚えておこう──では、剣で相まみえよう」
痩狼は、両手をだらりと垂らし、腰を落とした。
――吼ッ!
虎嵐の右拳が走り、痩狼の右手が光った。
「――速いな。いつもなら右手は落ちてる」
痩狼は言った。
――しゃあッ!
虎嵐は拳を突いた。が、これはフェイント。
ゴムのように、後退した。
合わせて、痩狼が直剣を抜き、
斬る、
斬る、
斬る!
直剣は痩狼の息づかいと同じ速さで迫った。
前進しつつの連撃。
単調で直線的な動きではない。
柔軟な手首の返しにより、直剣が鞭を振るうがごとき軌道を描く。
虎嵐は防戦一方となる。
下がり、横に避け、のけぞり、お辞儀のように、頭をさげる。
その度に、虎嵐の後ろ髪が激しくゆれた。
痩狼は一つ突いてから、直剣を鞘に収めた。
「――いつまで遊ぶか!」
痩狼は動きを止め、苛立った声で言った。
「そうだな。見切りの稽古と思ったが――」
言うなり、虎嵐は走った。
痩狼も走る。
虎嵐は己の屋台――荷物の元へ。
背嚢に手を掛けるのと、ほぼ同時に、痩狼が虎嵐に剣を振り下ろした。
――ぎぃん。
虎嵐が両手で持ち上げた背嚢が、痩狼の剣を受け止めている。
正確には、背嚢に付けられた〝武器〟が、剣を受け止めたのである。
虎嵐が木箱を蹴り飛ばし、乗っていた将棋盤と駒が飛び散った。
痩狼が木箱を避けた瞬間、虎嵐は横へ前転し、素早く立ち上がる。
しゅりん、
と、剣を抜くような金属音がして、
立ち上がった虎嵐の両手には、愛用の武器が握られていた。
――〈月虎爪〉
それは、右手に装備する場合、
右(正)向きの三日月状の刃――〈月牙〉と、
左(逆)向きの三日月状の刃――〈虎爪〉とを、組み合わせた形を成す。
形状としては、〝)〟と〝( 〟を向かい合わせに重ねたような構造であり、
二つの刃は互いの内側へ食い込むように配置されている。
月牙の中央部には革が巻かれており、ここを握って縦に構えると、両端の刃が相手に向く。
なお、月牙側の上端は、下端よりもわずかに長く作られている。
「……面白い」
痩狼の目が細くなる。
「その武器を持つ者と、過去に一度、戦ったことがある」
痩狼が、ぼそっと言った。
「へぇ? どうなった?」
と、言いながら、虎嵐は両手の月虎爪を、拳法の場合と同じく構え、
右足をわずかに引き、重心を沈めた。
「――殺した。俺は生きている」
にいぃっ、
と痩狼は、獣じみた笑みを浮かべた。
そして、剣を腰の鞘に戻すと、すぐさま体勢を切り替えた。両腕を伸ばし、
掌を地面に向け、腰を落とし膝を軽く曲げた構えをとる。
発条をギリギリと上から押しつぶす映像が、痩狼、虎嵐、両者から見えるようであった。
――風が止まる。
塔婆の枝に吊られた風鈴が、音を失った。
――次の刹那、
痩狼の剣が光り、弧を描いた。
虎嵐が剣を受けようが、受けまいが、痩狼が舞う。
上下、
左右、
切れ目のない連撃で、独楽のように回転し続ける。
月虎爪と剣が交差し、白い閃光が迸る。
――と、
痩狼が回転を利用して、虎嵐の死角へ、一瞬で動いた。
〈夢影牙突〉
死角からの突き。
ぎしっ、
剣が虎嵐の腹を貫く寸前で、月虎爪が上から絡め止めた。
互いに、後方へ跳び退り、間合いを取る。
――痩狼は、にっと笑った。
剣を持った腕を、弓を引くような形に構え、左掌を虎嵐へ向け、顔前に伸ばす。
虎嵐の瞳が爛々とした。
――次の刹那、
二人は、同時に前へ飛び出した。
痩狼の剣が、虎嵐の左目に奔った。
虎嵐は左肘をL字に保ったまま、前腕を縦に外旋した。
左の月虎爪が剣に絡み、パキン! と音がした。
同時に、虎嵐は地を蹴り、塔婆の枝を越える高さまで跳躍した。
虎が獲物の背を噛みにいく、その一瞬の加速。
〈虎跳兎狩〉
落下の力が加わった右の虎爪――〝(〟が、一直線に痩狼の頭上へ落ちた。
虎嵐は痩狼の頭上を越え、向こう側へ降り立った。
痩狼は頭から血を吹き上げ、前のめりに倒れた。
その右手に握られた剣には、先の部分はなかった。
周りから、歓声と拍手が沸き起こった。
「――騒ぐなっ!!」
虎嵐は吼えた。
誰かが息を呑む音が、やけに大きく響いた。
「俺は、立派なことをした訳じゃねぇ……」
虎嵐は痩狼の側に寄って、仰向けにすると、掌で瞳を閉じてやった。
虎嵐の瞳は暗かった。




