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第14話 境界を越える者【壱】

【前回までの『五国捜神記』!】

風婆の占いが示した黒気の源――南西の廃坑ッ!! 

二頭の幼龍は龍彗玉の〝蝕〟を払い、ついに両雄は旅立つッ!!

目指すは玄道の潜む地! 進め虎嵐! 凌蓮!

その先に待つは希望か、地獄か!? 両雄に未来はあるのかァァァッ!!

 虞(グ)国の河川の支流。


 桃柳河(タオリウホー)は驚くほど澄んでいた。

 

 川底の石が指で触れられそうなほど近く見えた。

 

 かつては、この川で鉱石を洗ったという。鉱石をめぐって争いもあった。

 泥も血も、みな流れた。

 

 ――それでも水は澄んだままだった。

 まるで何もなかったかのように。

 

 岸には桃の花が散り、細い柳が風にほどける。


 ――いい川だ。


 誰もがそう思う。

 だが、それは二年ほど前までの話。


 ――今はどうだ。


 水は流れている。

 風もある。

 なのに――

 

 柳の葉が音を立てない。


「昔は春になるとよ、祭りをやって、川に花を流したんだ。

「桃の花は、あっちに届くって言われててな」


 と、村外れに住む木こりが語る。


 村は〈桃花村(タオファツン)〉と言った。


「……だが今は違う。流したもんが、戻ってくる……桃は魔除けだって言うだろ。

「なのに、全部切っちまいやがって……」

 

 木こりは家の中であるにも係わらず、背後にある烏鳴山(ウーミンシャン)の方を振り返り、


「お山も、昔は黒曜石が取れたんだが、今じゃ俺達以外、だれも近寄らねぇしな」


 と、そこまで言い、急に声を潜めた。まるで誰かに聞かれるのを恐れるように。


「……村のもんは皆、変わった。〈花娘院(ホアニャンユエン)〉の言うとおりに動く腑抜けになっちまった」


「父ちゃん……」

 少女は、思い詰めた表情の父親を見つめた。


「もう我慢できねぇ。このままじゃ駄目だ。城へ知らせる。役人共が動くかは分からねぇがな」


 と言い、木こりは囲炉裏端から立ち上がった。


「いいか、春桃(チュンタオ)。もしも父ちゃんが帰らなかったら、あそこへ隠れるんだ。いいな?」


 木こりは屈んで少女の両肩を掌で、ぎゅっとつかんで言った。


「弟妹を頼んだぜ」

「父ちゃん!」

 木こりは振り返らずに出て行った。


    ◆


 それは村の中心にあった。


 瓦屋根の寺院である。


 白壁は手入れが行き届き、門は開かれている。

 立ち入ることを拒む者はない。


 老若男女がふらりと訪れては院内を散策し、時に立ち止まり、菜園に咲く〝黒薔薇〟の香りを嗅ぐ。


 あるいは宿坊で、道士から茶菓を振る舞われることもあった。


 だが、誰一人として言葉を交わさない。

 まるで夢の中を歩いているようだった。


 正面の門から見て、中央に本堂があり、左が講堂、右に塔楼があった。

 

 本堂と講堂の間を通り、ちょうど本堂の裏手にも建物がある。

 そこは院主や数名の道士の住まいとなっていた。


 ――その一室。


 幽声(ヨウシェン)は黒曜石の鏡を木製の台(スタンド)に置き、卓の上に立てた。


 指先で縁をなぞる。

 ――波紋。


 鏡面が静かに揺れた。水面のように。


 次の瞬間、そこに映ったのは


 ――洞窟。


 岩を裂く爪。

 泥を吐く蛙。


「……よく働く」

 幽声は盃を傾ける。


 蛙王(ガワン)の視界がそのまま映っていた。


 幽声の向かい側には、黒い長衣を纏った大男が座っていた。


 道服とも町家の者の衣服とも違う長衣をまとい、腰には帯ではなく太い黒の革ベルトを締めている。

 その顔は黒いフードを目深に被っているため、良く分からない。


 フードの奥で、蒼い瞳だけが光っていた。


 澄んでいる。

 だが、底が見えない。

 ――異国の男だった。


 赤い豊かな髭に覆われた、薄い唇がグラスから酒をすすり、笑みの形を作った。


「……いかがですかな?」

 異国の言葉だったが、意味は通じた。


 その男――ビザルは幽声に透明なグラスに入った血のように赤い酒と、まだ温もりの残る肉を勧めた。


「せっかくだが、私の口には合わぬ」

 幽声はゆっくりと首を振った。


 ビザルは、しかたなく一人でグラスをあおった。


「――それにしても〈墓鼠(モルドラット)〉の代わりが見つかって助かった。

「あと少しで死におったからな。おかげで、掘削がしばらく止まったわ」

 

 ビザルの言葉を、隣にすわった通訳の玄道士が伝えた。


「蛙は境に棲む。こういう場所を探るには都合がいい」


 幽声は鏡から目を離さないまま言った。


 ビザルは黙ってグラスに口をつけ、薄く笑った。

 興味があるのは酒ではない。鏡の向こうだった。


「こいつは、穴を掘るだけではない」


 鏡の中で蛙王が泥を吐き出す。


「〝あれ〟に反応する」


「――ほう」

 声がした。


 いつの間にか、部屋の入口に男が立っていた。

 細い。


 幽声ともビザルとも違い、黒衣は纏っているが闇のように黒く、薄っぺらな影のような体に見える。


 笑っているようにも、怯えているようにも見える顔だった。


「……盗み聞きとは、趣味が悪いぞ。蠢玄(チュンシュエン)」

 幽声は振り返らない。


 蠢玄は肩を竦めた。

「おやおや。同じ玄道の身内でしょう?」


 その目は、黒曜石の鏡へ向いていた。

「蛙王ですか――死なずにここまで、役に立っているとはな……」


    ◆


 烏鳴山の地下。


 湿った土の匂いが満ちる洞窟である。

 ぐ、と口を開き――


「グゲェエ……」


 蛙王は喉を鳴らした。


 ぬるり、と黒い塊を吐き出す。


 ――オタマジャクシ。

 人ほどの大きさがある。


 それは地に落ちるや周囲の泥をまとい、ゆっくりと人の形を成した。


 顔は――まだなかった。


 一体。

 また一体。

 数は多くはない。


 蛙王も無尽蔵にそれを生み出せるわけではなかった。


 やがて吐き出すのをやめると、最初からそれしか知らぬ生き物のように、再び地を掘り始めた。


 爪が岩を裂き、土が崩れる。


 その背後で、〈泥人(ニーレン)〉たちが黙々と動き出す。


 掘り出された土を抱え、洞外へと運び出す。


 声はない。

 命令もない。

 ただ、同じ動きを繰り返す。


 ――それが、三日。


 昼も夜もなく同じ光景が続いていた。


 何者かは知らぬが〝それ〟は、蛙王を呼んでいた。


 それに辿り着くために、蛙王は憑かれたように掘っていた。


    ◆


 ――ゴッ。


 硬い音が、洞窟に響いた。

 蛙王の爪が止まる。


 泥人たちも動きを止めた。


 湿った土と岩ばかりだった地中に、そこだけ異質な感触があった。


 蛙王は低く喉を鳴らす。


「グルル……」


 再び爪を振るう。


 ガギィン――!


 硬質な音がした。


 烏鳴山で産出される岩とは違う。


 黒い土が崩れ落ち、その奥から灰白色の面が現れる。


 ――壁。


 人の手で造られたものだった。


 蛙王は、しばし動かない。

 巨大な頭がゆっくりと傾く。


 まるで、理解できぬものを前にした獣のように。


 泥人たちが壁へと進み、無言のまま土を払い始める。


 積もった泥が落ちる。


 埋もれていた壁面が、ゆっくりと姿を現した。


 ――そこには、無数の刻印があった。


 円と直線が組み合わさったもの。鳥獣のように見えるもの。

 跪き空を仰ぐ人間に見えるものもある。

 

 泥人の一体が壁へ触れた瞬間――

 

 ビキッ。

 

 黒い腕が、根元から砕けた。

 泥ではない。

 焼いた陶器のような、乾いた音だった。

 泥人は数歩よろめく。


 ――次の瞬間。


 全身に亀裂が走った。

 バシャ、と。


 その身体は崩れ落ち、黒い泥と、ぬるりとしたオタマジャクシへ戻る。


 ぴち、ぴち、と跳ねるオタマジャクシを蛙王は慈しむように、

舌で絡め取って飲み込み、壁に向かって低く唸った。


 ――そのとき、

 壁面の刻印が、わずかに脈打った。


    ◆


 「――むっ!」


 幽声が見つめる黒曜石の鏡面が、大きく揺れた。


 卓の上の酒が波立つ。

 幽声は静かに目を細めた。


「……見つけたか」


 鏡面をビザルの方へ向ける。


 鏡の向こう、壁面に刻まれた刻印を見て、ビザルが立ち上がっていた。

 蒼い瞳が狂気のような光を宿している。


「カドシュ……」

 震える声だった。


「実地検分しようではないか」

 幽声は椅子から立ち上がった。


「蠢玄、お主も来るか?」


「まさか」

 蠢玄は笑う。


「私は、危険な場所には近寄らぬ。指揮官がいなくなっては困るからの」


「好きにせい」

 幽声は苦々しげに言った。


    ◆


 花娘院本堂前の中庭に、幽声と黒装束の者たち十数名がそろった。


 ビザルは、異国風の肘掛け椅子を元に作られた〝輿〟に座り。四人の黒装束がそれを担いでいる。


 暮れ六つ時――三日月が宙空に出ている。


 幽声が、さっと右手を振り、黒い集団は駆けだした。


    ◆


 ――夜の烏鳴山。


 洞窟の入り口に立って、

「蛙王よ。穴に戻り、控えておれ」


 幽声が言った。


 洞窟の奥の蛙王はそれを聞き分け、泥人達とともに重い体を引きずりながら方向転換すると、

洞窟を横に曲がって巣穴へと戻った。


 松明を持った部下を先導させ、幽声とビザルは洞窟を進んだ。


 壁面の前に到着すると、幽声は部下に指示して壁に残った泥を払わせた。


 ビザルが壁へ歩み寄る。


 指先が、刻印をなぞる。


「ダム……」

 掠れた声。


「――いかがか? ビザル師」

 幽声の声に苛立ちが混ざる。


 ビザルは答えない。

 ただ、壁を見つめたまま笑っていた。

 まるで、長年探し続けたものに、ようやく辿り着いた者のように。


 幽声は振り返った。

「聞け! どうなのだ?」


 通訳が一歩進み出る。

「……〝見つけた。ここが入口だ〟――と」

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【捜神人物図 公開!】

 活動報告に【捜神人物図】を追加しました。

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