第13話 龍武、並び立つ【肆】
【前回までの『五国捜神記』!】
黒気の源を追い、風水師・風婆のもとへ辿り着いた両雄ッ!!
骰子が指し示したのは――南西に眠る謎の廃坑ッ!!
そこに〈獄門〉はあるのか!? 暴け両雄! 黒気の源は、どこだァァァッ!!
〈天巡牌〉。
目の前に積まれた札を両手でかき混ぜ、伏せられた中から一枚を選び、返す。
〈牽馬翁〉。
白い髭を垂らした翁が馬を牽いている。
栗毛の馬は歩き出そうとしているが、翁は後ろを振り返っている。
風婆は何も言わず、その札を自分の右側に置く。
――二枚目。
返された札には、
玉座。
その上に冠が置かれているが、座っている人物は描かれていない。背後に微かな人影。
「空座帝か」
風婆が、低く呟いた。
――三枚目。
〈境鬼〉
巨大な鬼。
左向きで両腕をだらりと垂らし、呆然とたたずんでいる。
二本の角のうち一本折がれている。手には武器を持たない。
鬼の足元には境界線(割れ目)が走っている。
――三枚の札が、石卓上に並んだ。
「やれやれ……」
風婆は、ため息をつき、
「動くものが道を開き、座があっても意志がない。門番が境界に立つ」
と言った。
「それは、何を意味するんですか?」
虎嵐が低く問う。
風婆は首を横に振った。
「『行ってみないと分からない。行けば次の行動が決まる』と出ている」
灯火器の火が、静かに揺れる。
「馬に乗っていないということは、進むのはこれから。
「座があっても意志がない。何もない場所に見せかけているやもしれぬ。
「抵抗する者がないようだが〝鬼〟だからな。油断がならぬ……」
札の端に、風婆の指が触れた。
「――ただし、この三つが揃う場所は、看過することができぬぞ」
「――うむ。ここが、最優先じゃな」
柳鷺は深く息を吐いた。
そして、地図の三つ目の○に指を置いた。
◆
辰の刻の終わり頃。
師弟三人は、占いの間とは別の部屋で、遅い朝餉を振る舞われた。
粥と細長い揚げパン。
それと〈洞窟白エビのから揚げ〉。
噛むと――軽い。油の重さがない。最初に来るのは、ほのかな甘み。
岩清水に近い、澄んだ旨味。
海老特有の強い香りはない。
代わりに、湿った石と、冷たい水の匂いをきれいにしたような後味が残った。
◆
「――さて、成すべきことが重なったのう……」
食事を終え、柳鷺は淡々と言う。
「玄道士の跡を追わねばならん。それと、翠霊山の竹豹からの便りで、呉国も助けねばならん」
虎嵐は頭を下げた。
「竹豹がわざわざ虎嵐を使わしたのは、道中で虎嵐がアホな振る舞いをすることで、
「玄道めらの注目を集め、駆り出すためであろう……」
「そうなのか!?」
凌蓮が驚き、虎嵐を振り返る。
「――まぁ、草むらを叩いて蛇を出すってことだわなぁ」
虎嵐は自慢気に鼻を鳴らした。
「それと、龍武侠が二人揃って、蒼月山の
「〈龍彗玉〉を清めれば良かろうと竹豹は考えた」
柳鷺は懐に手を入れ、一通の手紙を取り出した。封は、すでに切られている。
虎嵐から凌蓮へと、手紙に目が通された。
やがて柳鷺が立つ。
「行くぞ」
風婆を伴い、再び洞の奥へ。
通路は次第に狭まり、
やがて、行き止まりと思える石壁の前に出た。
石に刻まれた、古い印。
柳鷺はそこに手を当てる。
低く、乾いた音とともに、石壁が左右に分かれる。
現れたのは、〝光の部屋〟だった。
家具や調度品など、一切ない部屋。
「中程まで進め」
柳鷺の言葉に従い、
二人が歩を進めた、次の瞬間――
入り口の扉が閉まった。
浮遊感。
胃の腑が持ち上がる感覚。
そして――
階段一つ分ほどから、とん、と飛び降りたくらいの衝撃。
――次の瞬間。
扉が開き、冷たい風が頬を打った。
視界が開ける。
蒼月山の山頂だった。
空は高く、雲は足下にある。遠くの山並みが、幾重にも連なり、龍脈の流れが、
線となって見えるかのようだった。
澄んだ風が、強く、しかし心地よく吹く。
「……ついに来たな」
虎嵐は思わず息を吐いた。
凌蓮は黙って景色を見渡している。
ここは地と天の境だ。
振り返れば、背後に水明観の奥院が見える。
空は近く、雲は低い。
天からの光が雲の間から地上へ降り注ぎ、周囲を一望すると、巨大な帳を
造り出しているように見える。
その帳は、絶えず吹いている風に揺らめいていた。
まるで、この場だけが世界の呼吸の中心であるかのようだった。
岩盤を削って整えられた円形の広場。
その中央に龍彗玉が浮かんでいる。
人の背丈ほどもある宝玉は、地にも天にも触れず、静かに宙に留まっていた。
表面は透明に近い。だが内部には、幾層もの光の筋が巡り、かつて宿っていた命の痕跡を、
かすかに残している。
それは卵ではない。
すでに孵り、役目だけが残された核だ。
五国の大地をつなぎ、流れを整え、理を保つための装置。
壊れれば、地は裂け、龍は二度と戻らない。
そして、宝玉の周囲には、円環状の構造物が浮かんでいた。
直径一丈はあろうか。前後左右に回転する銀の輪。
それが――〈龍座〉だった。
かつて龍卵を包んでいた殻が、門へと変じたもの。
輪はゆっくりと回り、霊気を整え、訪れる魂を迎える準備だけを、今も続けている。
本来なら、ここに龍が在る。
幼龍が昇り、真龍として認証される場所。
だが――
今は空だ。
門は開かれ、
核は残り、
それでも迎える者はいない。
静寂は欠落の証だった。
虎嵐は思わず息を吐く。
凌蓮は言葉を失っていた。
柳鷺は二人の背後で静かに立ち、ただ一言だけ告げる。
「ここは祈る場所ではない」
風が龍座を巡る。
玉は淡く光を返す。
世界はまだ保たれている。
だが、それは永遠ではない。
この場に立てる者は限られ、ここへ至る道も、何度も開かれるものではない。
だからこそ――今、ここに来た意味がある。
柳鷺は、二人に目を向けた。
「触れよ。ただし、呼ぶな」
虎嵐と凌蓮は、同時に頷いた。
二人が進み出ると同時に、ゆっくりと龍彗玉が目の前まで降りてきた。
宝玉は淡く輝きながらも、かすかに濁り、内部に細い影を抱えている。
二人が龍彗玉へ、手を伸ばす。
その瞬間だった。
虎嵐の右腕から、緑に輝く蛇――
凌蓮の背中から、蒼く輝く蛇――
幼い龍の霊体が抜けだし、浮遊した。
咆哮はない。
威を示すこともない。
二体の幼龍は、龍彗玉の表面をすり抜け、内部へと入り込んだ。
宝玉の内側を、泳ぐ。巡る。戯れるように絡み合う。
黒い影に触れるたび、それは剥がれ、喰まれ、薄れていった。
わずかに宝玉の透明度があがり、光が少し強くなる。
だが完全ではない。
濁りはまだ残っている。
幼龍たちは、しばらく巡ったのち、静かに元の身体へと還っていった。
「……これでよい」
柳鷺はその様子を見届け、低く言った。
誰も勝利とは言わなかった。
だが――
〝蝕〟を止められることは示された。
「――さて凌蓮。お主に教えることは、もうない」
柳鷺は凌蓮を見た。
その言葉は静かだった。
「虎嵐と共に旅立て。修行であり、龍峰巡礼じゃ――まずは、呉国」
「心得ました」
凌蓮は深く頭を下げた。
「俺も共に修行します」
虎嵐も隣で頭を下げた。
「占いは、きっと当たる」
柳鷺は空を見上げた。それは予言ではない。確信でもなかった。
ただ、ここまで重なった事実の静かな帰結だった。
風が山頂を巡る。
龍彗玉は、かすかに光を放ち続けている。
山頂の儀は、それ以上の言葉を必要としなかった。
「下りるぞ」
――柳鷺は踵を返した。
その背を追い、虎嵐と凌蓮も山頂の出口へ向かう。
◆
〝光の部屋〟を出て、再び巡風洞の部屋へ戻った。
暖炉に火が灯っている。
風婆に待つように言われ、茶を一服するうちに風婆は戻った。
「用はすべて済んだじゃろう――持って行け」
風婆は革袋を一つ差し出した。
古いが、手入れは行き届いている。
「……風水の道具ですか?」
凌蓮が受け取る。重くはない。
「違う。羅盤なら、まず、風水を学ばねばならん。これは――使えば分かる」
風婆は多くを語らない。
凌蓮は袋の口をほどき、中身を出してみた。
出てきたのは、折り畳まれた盤だった。
塔婆の樹脂が塗られた厚紙製で、彩色された升目と奇妙な紋が描かれている。
どこか双六めいているが、遊びの道具にしては絵は描かれておらず、空白の升目が並んでいる。
「奇陣盤じゃ」
それだけ言う。
「置けば始まる。開けば立ち上がる。中身は決まっておらん。決めるのは、お前たちだ」
「布陣ですか?」
凌蓮が盤を覗き込み、眉をひそめる。
「好きにせい。地に合わせ、人に合わせろ」
風婆は簡潔にしか言わない。
凌蓮は盤から視線を離し、次を取り出した。
小さな黄色い旗。
片手で持てる大きさ。
表と裏で紋が違い、妙に手に馴染む。
「操陣旗」
説明はそれだけだった。
「盤を開いてから使え。振れば動く。突き立てれば止まる。終わらせたければ――柄で、地を叩け」
「……それだけ?」
虎嵐が思わず言う。
「十分じゃ」
風婆は、言葉を節約しているかのようだ。
「まぁ、盤と旗の使い方は簡単に書いといてやったから、後で読むが良い」
袋の奥をさぐると、確かに説明書らしき畳んだ紙が入っていた。さらに奥をさぐると、
護符のようでいて、不揃いな短冊形の紙束が出てきた。墨の線は荒く、走り書きだ。
「――式神の呪符じゃ」
風婆は頷いた。
「お前らの師父は、式神の使い方をよう教えとらんようじゃから、一応、書いた符をやろう」
「……随分、簡単ですね」
凌蓮が一枚手に取る。
「俺でも簡単に使えそうじゃねぇか」
虎嵐が言った。
「簡単でよい。形を作れ。心を持たせろ」
風婆は少しだけ笑い、
「動かぬなら、気が足りん。暴れるなら、気力が浅い……ま、これは慣れだな」
面倒くさそうに付け足した。
「ありがとうございます。師伯。大切に使います」
凌蓮は盤と旗と紙束を見下ろし、苦笑した。
「盤は道具だ。陣はお前たち次第」
風婆は背を向けた。
◆
日が暮れる前に、師弟三人は巡風洞を辞した。
戻る山道は、来た道と同じはずだった。
だが、水明観の灯が見えたとき、凌蓮は、ほっとした。
ここは、まだ帰る場所だ――長く留まる場所ではなくなったが。
◆
凌蓮は自室に戻り、落ち着く間もなく旅支度にかかった。
革の背嚢を広げる。
丈夫な革で軽く、背負い慣れたものだ。修行の旅で何度も使ってきた。
――旅の荷物をまとめる。
まずは護符。数を確かめ、束ねて脇のポケットに収める。
次に、紙の束。
風婆から渡された、雑な走り書きの式神呪符だ。
紙質も墨もまちまちで、いかにも即席だが、使ってみないと力の程は分からない。
「……慣れ、か」
風婆の言葉を思い出し、小さく息を吐き、これも脇のポケットに詰める。
次に、書物が一冊。
表紙は緑青色。装丁は線裝書。
左端に白い題簽。
題簽に墨字で〈鬼妖図〉と書かれている。
凌蓮のものだ。
人と妖怪が関わってきた、長い歴史の記録。
姿、性質、忌むべき点、語り継がれた対処法――驚くほどの量が載っている。
それを丁寧に、背嚢の奥へ入れる。
最後に、風婆からもらった革袋を手に取った。中身は折り畳まれた盤に
小さな旗――奇陣盤と操陣旗。それらも詰めて、背嚢の口を締めると、
凌蓮は一度だけ肩に掛けてみた。
わずかな重みだ。だが、荷の重さ以上のものを感じた。
ふと思い立ち、凌蓮は師父と弟弟子にあてた手紙をしたためた。
◆
――翌朝。
本堂前の広場には、白木の卓で祭壇が設えられていた。
その上には、香炉に立てられた三本の線香、小型の黄金の神羅像、
桃木剣、法剣が並べられている。
祭壇の前には柳鷺、青洛を始め道士達が集まっていた。
その後ろに、凌蓮と虎嵐。さらに後ろに遊侠達が並ぶ。
祭壇の手前に一回り小型の卓があり、白磁の壺と杯が置かれている。
「――では、杯を取りなさい」
凌蓮、虎嵐が進み出て、祭壇に一礼し杯を取った。
柳鷺師父は、凌蓮が持つ杯に水明観の水を注いだ。
ついで、虎嵐の杯も満たす。
――杯を干した二人は、地面に叩き付けた。
「……行ってきます」
「うむ」
凌蓮と虎嵐は一礼し、山門の方角へ視線を向けた。
「達者でのう」
柳鷺は手を振り、しばし弟子達の後ろ姿を見ていた。
【なろうフェス2026応募中!】
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