第11話 龍武、並び立つ【弐】
【前回までの『五国捜神記』!】
水明観へ帰還した両雄ッ!!
待っていたのは――美女! 美酒! そして大宴会だァァッ!!
酒に呑まれた凌蓮! 虎嵐にまさかの一発芸を要求ッ!!
どうする虎嵐! どうなる凌蓮! 宴の明日はどっちだァァァッ!!
「はぁ? 俺様がか?」
「場を盛り上げるのも、修行の一つだ」
どこで仕入れた理屈か分からない。
「いや待てよ。なんで俺様が――」
嫌がるそぶりを見せつつ、
「では、裸踊りで」
と虎嵐は立ち上がりかけた。
が、途中で我に返り、頭を振った。
「いや、待て。ここは道観だぞ。師伯もいる」
場に、くすくすと笑いが広がる。
「相棒が脱がないのなら――」
凌蓮は立ち上がり、一歩前へ出た。
「俺が脱ぐ!」
「えっ!?」
止める間もなく、上半身をはだける。
「……も、もって行かれた……」
「まあ!」
娘たちから、思わず歓声が上がる。
ほんのりと赤みを帯びた、白く美しい肌――凌蓮の背中には、
〝巳〟の字に似た拳大の痣(龍紋)があった。
蒼みを帯びた光が、呼吸に合わせて脈打っている。
虎嵐は目を見張った。
そして、右腕の布を解いた。
現れた龍紋が、応えるように淡く輝く。
蒼と緑。
二つの光が、空気の中で触れ合い、共鳴した。
客間の空気が静まる。
「……きれい」
娘の一人が思わず呟いた。
「うむ」
柳鷺は、深くうなづいた。
◆
その夜、虎嵐と遊侠たちは素食の夕餉をとった。
凌蓮の姿はなかった。
昼の宴で肌脱ぎになった後、
「私は未熟者だ……まだ、何も分かっていない……」
と、泣き上戸になり潰れたため、道士の手を借りて別室に運ばれ、寝かされていた。
夕餉には、薬湯と粥を与えられて、そのまま眠ったらしい。
◆
翌朝――粥を主にした朝餉の後。
「虎嵐師兄」
道童の青洛が部屋に来て、柳鷺が呼んでいると言った。
「ご案内します」
◆
朝の水明観は、驚くほど静かだった。
庭の水盤に、ぽとり、と雫が落ちる音だけが響く。
柳鷺の私室は、水明観の奥、回廊の先にあった。
広くはない。
だが、狭さを感じさせることもない。
白木の床は丁寧に磨かれ、余計な敷物は敷かれていない。中央に低い卓と、
向かい合う二脚の腰掛が置かれているだけだ。
部屋に入った瞬間、虎嵐は香に気づいた。
強くはない。名を言い当てることもできぬほど淡い香。
だが確かに焚かれており、空気に静かな輪郭を与えている。
壁には一本、掛け軸が下がっていた。墨で引かれた山水。
筆は荒くもなく、細かくもない。
見る者に意味を押しつけず、ただそこにある。
その下、卓の脇には素朴な花瓶が置かれていた。
活けられているのは、名も知らぬ野の花。色も形も揃っていないが、不思議と乱れはない。
窓は障子窓だった。
外の光は紙を透して柔らかくなり、朝であることだけを静かに伝えている。
虎嵐は柳鷺に頭をさげ、
「――掛けなさい」
柳鷺は椅子をすすめた。
二人は向かい合って座り、青洛が持ってきた湯気の立つ茶碗を手にした。
虎嵐は、部屋を見渡してから、ふと息をついた。
この部屋には、気がある。
だが、溜まっていない。
焚かれた香は滞らず、
掛け軸は語らず、
花は誇らない。
「……落ち着く部屋だな」
虎嵐の言葉に、柳鷺はわずかに口元を緩めた。
「心を落ち着かせるには、華美なもんは不要じゃ……虎嵐よ。ちいと、話をせんか?」
「はい」
虎嵐はうなずき、
柳鷺は香炉に目を向けた。
「香は気を整える。だが、同じ所に留まっていては、煙たくなるばかりであろうな」
柳鷺の声は低く、しかし澄んでいた。
「気も、人も、世も、同じじゃ。巡り巡っておる」
障子越しの光が、わずかに揺れる。
虎嵐は、その言葉を飲み込むように黙した。
「――さて、人の体内には経絡があり、気が巡っていることは、いまさら言うまでもあるまい?」
「はい」
「自然も同じ事じゃ。大地の経絡である龍脈が、山と山、水と地を結び、気は巡っておる。
「その要所にあるのが五龍峰であり、我が蒼月山や、
「お主の翠霊山が、その一つじゃ」
「はい。弟子も、道士の端くれですので」
「では、人体の経絡が断たれれば?」
「調子を崩し、病に至り……ひどければ、死にます」
「それだ」
柳鷺は頷いた。
「それを、大地に当てはめたのが、玄道の者たちの考え方じゃ」
一心拍置いて、続ける。
「我等が気の浄化と循環を望むなら、彼の者らは、穢れと停滞を望む。我等が世の安寧を願えば、
「乱れを求める――すべて、逆じゃ」
幽声が龍脈を穢そうとしていたのは、疑いようがなくなった。
「そしてな」
柳鷺は声を低くした。
「連中が狙っておるのは、〈獄門〉かもしれん。獄門とは、地下を流れる黒い龍脈の要所。
「ひとたび開かれれば、一国が滅ぶほどの災いを招く――そう言われておる。
「じゃが、儂にも詳しいことは分からん」
柳鷺は視線を上げ、
「……だからこそ。確かめねばならんのじゃ」
静かに言った。
香は絶えず、しかし控えめに燃え続けていた。
「……蒼月山に登らねばなるまいの」
柳鷺は茶を啜った。
◆
蒼月山への登頂は翌朝になった。
凌蓮の体から完全に酒気が抜けるのを待ったためだ。
登山道は、水明観の裏手から始まっていた。
途中まで石段があり、それが途切れると、踏み固められた土の道が、緩やかに山腹へ
吸い込まれていく。
人の手は入っているが、山に従って整えられた道だった。
凌蓮が先頭に立ち、平地のように速く歩んで行く。
虎嵐が一歩下がって続く。
柳鷺はその後ろ、竹の杖を突いてはいるが、遅れることはない。
登るにつれ、気が少しずつ濃くなっていくのか分かる。
風に揺られた木の葉がざわめき、ときおり山鳥がギャーッと鳴いた。
「……この山にも、鳥獣が沢山いるな……」
虎嵐が、小さく呟いた。
「山は、無駄に声を立てん」
柳鷺が答える。
「騒ぐのは、人の方じゃ」
虎嵐は、それ以上言わなかった。
◆
やがて道は、わずかに細くなり、左右の木立が不自然に途切れる場所へ出た。
岩肌が露出し、山がぽっかりと口を開けている。
――洞。
入口は大きくない。
人が二人、並んで入れるほど。
上に扁額がかかり〈巡風洞〉とある。
清涼な風が、洞の内側から外へ流れてきていた。
「ここじゃ」
柳鷺は言った。
「――さぁ、遠慮は無用じゃ」
三人が中に入る。
洞の縁は、削られたように滑らかで、自然にできたものとも、人が穿ったものとも判別がつかない。
柳鷺は声をかけた。
「お邪魔するぞ!」
しばし、返事はなかった。
代わりに風がふく。
次の瞬間――
乾いた足音が、洞の内側から響いた。
軽い。
だが、はっきりとした足取り。
「……誰かいな? 若い臭いに、ジジイの臭い」
洞の奥から、声がした。
老いた声だが、かすれてはいない。
笑っているのか、呆れているのか、判別がつかない。
凌蓮は自然と背筋を正した。
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