#35 「融解」
授業が終わり、放課後になる。
多くの生徒が部活に行ったり、帰宅する中で、隼人と梨花の二人も帰りの電車に乗る為に駅を目指す。
この一日を通して分かった事がある。
梨花と付き合っている事、悠未が生きている事、クラスメイトに上坂隼人が嫌われる事なく受け入れられている事。
本当に怖いくらいにそうだったらいいなのIFばかり。まるで、元の世界なんてもう必要ないだろ?と言わんばかりに甘い夢を見せてくる。
けれど、それでも隼人の意思に変わりは無かった。
例え、この現実が拒む意思すら奪う様な幸せな夢だったとしても、それでもここは今の自分がいるべき現実ではない。
梨花と話しても、悠未と話しても、あくまでも昨日までこの世界にいた自分へ向けられた愛や友情であり、上坂由希が存在しない・園崎悠未、上坂春奈が亡くなっている世界からやってきた自分へと向けられたものではない。
今の自分には記憶に存在しない思い出を語られれば語られる程にそれを痛感し、同時に苦しむ。
逃げ場だと思っていたこの世界も、甘い毒のような夢ではなく、ただの毒となって隼人へと牙を剥く。
「ねぇ、隼人?」
「…ん?」
「また遠く見てるような顔してる。どうかした?」
何処か心配した顔で、梨花が隼人の顔を覗き込みながら問う。
言葉に詰まり、隼人は梨花の頭をわしゃわしゃとしてから「何でもない」なんて言いながら歩き出す。
「もー…!」
梨花もまた、そんな隼人の後ろから抱き着きながらも歩き出して、それからまた、同じ歩幅で隼人の隣を歩いた。
「ねぇ、隼人。好きだよ」
純粋な梨花からの愛情。けれども、隼人はそれを受け取る訳にもいかない。
その愛は自分ではない自分が受け取るべき物。そして、今の隼人自身も本当に愛を受け取りたい相手は梨花ではない。
…けれど、そんな考えが揺らぎそうになるくらいに、梨花が愛おしく見えた。
かつてそう願った相手だから尚更。
「ま、ありがとうと言っとく」
「普通隼人からも好きっていうところでしょ!」
「僕からの愛は高いし貴重だからな」
「何それー!」
元に戻るには、こんなもしも…も壊さないといけない。
梨花だけじゃない。悠未もそう。
隼人の脳裏に、今朝の光景が過ぎる。
楽しそうに歩く、結衣と悠未の姿。
有り得たはずの光景で、隼人もそうだったらいいなと望んだモノ。結衣は悠未の死をキッカケに苦しむ事はなく、悠未もまた、友達と永遠の別れをする事もない。
この世界の否定は春奈の命や梨花との関係の否定だけではない。
悠未をもう一度殺し、春奈をもう一度殺し、結衣から幸せを奪う事と同等。
命に天秤などなく、優劣もない。
それでも、由希を取り戻すという事は意図せずして、失われた命・悲しみを天秤にかける事。
…だとしても。戻らないといけない。逃げないといけない。
この醒めない夢から。悪夢から。
あとは戻る方法と、原因を探はなくては…。
◇◆◇
夢乃原市に戻った後、隼人は梨花と別れてそのままバイト先の喫茶店へと向かった。
同じ家に家族が勢揃いしているこの世界でも、上坂隼人は元の世界と同じ様にバイトをしているらしく、どうやら小遣い稼ぎ程度に働いて居るらしい。
制服に着替え、次々とやって来る客を捌く。
厨房の仕事がないのがこのバイトを続けている理由だった。調理は店主がやってくれるので、隼人は淡々と注文を受け、それを運ぶだけ。
帰った客の席の皿を片付けていると、来店を知らせるチャイムが鳴る。
いらっしゃいませ の言葉と共にやってきた客へと視線を向けると、隼人は固まった。
「一人で!」
「げ。」
視線の先に、姉の上坂春奈が居た。
隼人にとっての異常であり、この世界の正常。死んだはずの姉。
「大学の帰りに来ちゃった!えーと、席空いてる?」
「奥の方、どうぞ…」
「やった!」
愛しの弟のバイト先へと嬉々としてやってきては、何処か楽しそうにする姉。
同時にそれは、元の世界でもあり得たかもしれないIF。それを自覚してしまい、隼人の胸はキュッと苦しくなる。
そんな隼人の心情など知らずに、春奈は心底楽しそうにメニューを見ていた。
そんな姉の姿に隼人は何処か呆れながらも、呼び出しのベルを鳴らされて席へと向かう。
「ご注文どうぞ」
「えっと、このパフェ一つ!」
「夕食前には似つかわしくないパフェが一つ」
「後、弟くんのバイト姿の写真も」
「すみません、うちは店内写真禁止でして」
「きっと売れるから、おじさんにもメニューに追加するように伝えといて」
「丁寧にお断りさせていただきます」
何処か悪態をつきながらも姉の注文を受け、隼人は店主に注文を伝えた。ピークタイムも過ぎ、客も春奈ともう一組くらいしか居ないのでパフェが完成する間、そのタイミングで少しだけ休憩を貰え、店の裏…店主の家のリビングで束の間の休息を取る。
「はぁ…」
ため息を一つ吐きながら、隼人はただぼーっと上を見上げた。
目に入るのは、一般家屋の天井。この世界を脱する為の答えなど何処にもない。
自分の中で、少しでもこの世界が良いなと思っている部分があるのが嫌になる。
そう思えるくらいの出来事がこの世界にはある。
春奈は生きている。
悠未も生きている。だからこそ、結衣はかつての明るい性格のままだ。そして瑠香と夏希も同じ。
きっとこの世界では、見えないものが見える現象はなかったのだろう。
今日に至るまでの記憶が今の隼人にはないが、結衣を見ていればそれがわかった。
上野結衣は人の寿命を見ることができない。
神崎瑠香は夢を通して未来が見えない。
山下夏希は人の心を読めない。
それならば、上坂隼人も同じ。
上坂隼人は、幽霊を見ることができない。
見ることが出来ないからこそ、春奈との別れもない。花火大会を病室で見ていない。
この世界では全てが上手く行っている。ただ、上坂由希という存在が消滅した一つを除いて。
その一点、一点だけなのに。隼人には、その一点があまりにも大き過ぎた。
なかった事には出来ない。したくない。
この世界の肯定は、上坂由希の病との戦いの否定になる。戦った果てならこの世界を肯定したかもしれない。けれど、まだ決着は付いていない。
だからこそ、戻らないといけない。妹の待つ世界へ。
「とは言っても、なぁ」
「簡単だろ」
独り言に返答があり、隼人は驚いた様子で周りを見た。
辺りを見ても姿はない、けれど確かに声がした。
「気のせいか…」
「気のせいじゃない」
真正面。隼人が腰をかけた椅子の真向かいにその声の主はいた。
そしてその姿を見て、隼人は恐る恐る尋ねた。
「お前… 僕か?」
「ああ、俺はお前だ。」
目の前の青年、上坂隼人の前に居るのは間違いなく上坂隼人。姿も、声も、全く同じ見た目の自分が目の前に居た。
「余りにも俺が不甲斐ないんでな。こうしてヒントをやりにきた」
「ヒントって…この世界を抜け出す方法か?」
「ああ、この世界を否定しろ、お前がこの世界に迷い込んだ時のように」
「否定…」
「隼人〜」
店主の声で、隼人の意識が現実へと呼び戻される。
後ろを向くと、片手にパフェを持った店主の姿があった。
「出来たから、春奈ちゃんのところ持って行ってくれ」
「わ、わかりました!」
休憩を切り上げ、隼人は店に戻る。
その中で、先ほどの自分の言葉が脳裏にこびりついていた。
否定をしろ、この世界に迷い込んだ様に。
その言葉が示す意味を、隼人は何となく理解した。
理解はしても、深くは考えなかった。
それは、全てが終わってから考えるべきだと思ったから。
◇◆◇◆◇
バイトを終え、自宅へと戻る。
家に帰れば母が夕食を作って待っていて、それを家族四人で食べた。
それから風呂に入り、自室へと戻る。
時計の針が十時を指すよりも先に電気を落とし、隼人は布団に潜る。
もう一人の自分のお陰で、脱出する方法は分かった。
世界の否定、それこそがこの夢を終わらせる方法。
あとはそれを為すだけ、そう思って目を閉じた時、部屋の扉が開く音がした。
「隼人、起きてる?」
「寝てる」
「起きてるじゃん」
「なに?」
「ちょっといい?」
隼人がはい か いいえを言うよりも先に、春奈は隼人の眠る布団へと潜り込む。
そして、自分の方ではなく反対側を向く隼人を、後ろから何も言わずにそっと抱きしめた。
背中に感じる柔らかな感触。同時に、夏にこうして幽霊である春奈に抱きしめられた事を思い出す。
けれど、あの時と違う点が一つあった。
背中で感じる心拍、それは春奈が生きている証。元の世界で出会った春奈には無かったもの。それを感じ取って、僅かに開いていた視界が少しだけ潤んだ気がした。
「…あのね、私最近夢をみるの」
「どんな?」
「何処かの屋上で、男の子と出会う夢」
「…」
「毎晩夢をみるたびにその男の子と仲良くなって、いろんな話をした。この街の花火大会の事とか、その男の子の事とか。で、その子には妹がいてね。名前は…」
「由希、だろ」
「…うん、そう。男の子の名前も、隼人。」
春奈の言う夢を、隼人は知っていた。
三ヶ月前、隼人と春奈が出会った夏の記憶。
「…ねぇ。隼人は、私の夢の中から来た隼人何でしょ?」
春奈が口にした言葉に、隼人はすぐ答えが出せなかった。
今なら分かる。何故、春奈"さん"に『幽霊なんですか?』と問い掛けた時にすぐ答えが返ってこなかったのか。人間、核心を突かれると驚いて答えにくくなるように出来ている。
それでも、隼人は「そうだよ」と肯定した。
「やっぱり、そうなんだ」
「ああ、だから戻らないといけない。僕は僕の世界に。」
「じゃあ、私がこうして部屋に来たせいで揺らいじゃった?」
「…少しはね。僕の居た世界じゃ、姉ちゃんは…」
それより先を言おうとした時、春奈の抱きしめる力が少し強まった。
まるで、その先は言わなくてもいいと言わんばかりに。
隼人も、それ以上は言えなかった。
「…けど、やっぱり僕は戻るよ。ここは、僕の世界じゃない」
そう口にした途端、突然急激な眠気が隼人を襲う。
きっと、春奈を前にして"世界を否定した"事が引き金になったのだろう。
全てを曝け出した以上、まだ伝えたい事は沢山あるというのに……、身体がこの世界にこれ以上留まる事を拒んでいる。
「……姉ちゃん」
「隼人?」
変わらず後ろから抱きしめられているはずなのに、隼人の身体から春奈の感触が……体温が消えていく。
重りが乗っているのかと錯覚するほどに、瞼が重い。
恐らく、この世界に居られる時間はもう無い。けれどもこれは隼人が選んだ事。
完全に意識が途切れる前に、最後の力を振り絞って春奈の方を向き、せめてもと、伝えたい言葉を口にする。
「……また姉ちゃんに会えて、良かった」
「……うん、私も会えてよかった」
隼人の言葉を聞き、春奈も満足そうな優しい笑顔をしながら、隼人を頬を撫でながらそう言った。
あの日、春奈を見送った立場の自分が、まさか今度は見送られる側になろうとは。
「……おやすみ隼人、大好きだからね」
薄れいく意識の中で、最期に映ったのは春奈の優しい笑顔。
隼人は、自然と出てきた涙が一粒顔を伝って流れたのを感じた後、静かに目を閉じる。
『元気でね、私の可愛い弟くん』
意識が深い闇に落ちていく寸前に、春奈の声がした。
一度手放した意識はもう戻らない、隼人は"大切な人"に再び出会えた事を噛み締めながら眠りについた。
────意識が、世界が、溶けていく。




