52話 真の英雄を暗殺者は警戒する
「あんた昨日の!」
少女の顔を見た門番が叫んだ。
「なんだ知り合いか?」
「レッド! 聞いて驚け、こいつの連れが城門近くの泥の中で冬眠していた、ふとっちょガエルを片手で引きずり出し、ぼろっちいゴブリンブレードで、見たこともない武技を使って倒しちまったんだ!」
少女の頬がぴくりと動いた。
あまり触れられたくない話題のようだ。
だけど表情の動きが目立たないタイプのようで、門番には伝わらない。
「あの姉ちゃん、名前なんだったかな、ルー……ルーテ?」
「ルールです」
無視するかと思ったが、仲間の名前を間違えられるのは嫌なのか訂正した。
「おおそうだ、ルールだったな! 旅人さん、確かそっちの名前はティファだよな。もしゾルタンに長期滞在するつもりなら冒険者ギルドにいくといい、腕の立つ冒険者はいつでも不足しているから、あのふとっちょガエルだって、冬眠から覚めると危ないから駆除して欲しいって依頼だしてるのに、誰も受けないくらいなんだよ」
グレータージャイアントフロッグは、あれで意外にやっかいなモンスターだ。
舌を器用に使い相手を捕まえ、ヌメヌメした見た目によらず、カミソリのようにするどいカエルの歯はチェインメイルくらいなら簡単に噛み切ってくるし、噛み切れなくてもとりあえず飲み込んでみるという困った習性もある。
Dランク冒険者では相手にならず、Cランク冒険者がパーティーでかかっても油断はできない。そういう相手だ。
そのグレータージャイアントフロッグをたった一人で倒せたのだから、そのルールという旅人はCランク上位からBランク級の実力があるようだ。
ティファと呼ばれた少女は、ペラペラ喋る門番をちらりと一瞥した。
「おい、それくらいにしろよ。旅人さん迷惑してるだろ」
「え、そうか?」
「そうだよ、その子は1人でおでんを食べに来たんだ」
こくりとティファは頷いた。
門番はバツの悪い顔をして頭を掻いた。
「すまねぇ、つい興奮しちまって」
「大丈夫です、すみません残りは持って帰りたいんで包んでもらっていいですか」
そう言ってティファは立ち上がり、オパララから残ったおでんと、さらにちくわとコンニャクを追加で頼んで立ち去っていった。
「ほら、怒らせた」
そう言いながら俺もコップに残ったビールを飲み干す。
「じゃ、俺も帰るぞ」
「えーもう一杯付き合えよ、旅人怒らせちまった俺を慰めろ」
「嫌だよ」
「けー、オパララ! 俺もちくわ!」
「あ、俺もちくわと大根と鶏肉を包んでくれ、リットに持って帰るよ」
俺は代金としてクオーターペリル銀貨を1枚とコモーン銅貨を数枚カウンターに置いた。
☆☆
ティセは尾行を警戒し、何度も遠回りをしてから港区の宿へと戻った。
「どうしたの?」
ティセの様子に気がついたのか、ルーティが声をかける。
「勇者様、気をつけてください。正直、辺境と舐めていましたが、ゾルタンにも厄介な相手がいるようです」
「厄介な相手」
「若い男です。会話したのは短い間でしたが、私の着込みやナイフに気づいていました」
そう言って、ティセはミスリル銀を縫い込んだ服や、服の中に隠してあるナイフを指差す。
これらの装備は、どれだけ激しく動いても針の落ちる程度の音だって立てないよう計算してあるものだ。
並の相手どころか、『捜査官』や『探偵』の加護持ちだってそうそう気づくものじゃない自信がティセにはあった。
「しかし見抜かれました。実力もあります、おそらく私と同等に近い。相手の有利な状況に付き合えば、私では勝てないと思います。もちろん勇者様は別ですが」
勇者に比べると見劣りするとはいえ、ティセはアレスが選んだアサシンギルドでも最高峰の1人だ。
ティセはこういうことに関しては謙遜はしない。ただ判断するだけだ。
その上で、あの男はこれまで出会った相手の中でも、最上級の敵になりえるとティセは判断していた。
「あれほどの人間が在野で燻っているはずがありません。おそらくはゾルタン最強の冒険者」
「酒場では、今のゾルタン最強はBランクのビュウイって話だったけれど」
「表向きはでしょう。あの男の身のこなしにはどこか気品のようなものが感じられました。多分……かつては騎士団で正式な作法を身に着けていたのだと思います」
「騎士団……」
ルーティの脳裏によく知る人物の顔がよぎった。
だが、騎士などはいくらでもいる。昨日橋で会ったあのもうよく憶えていないヤツも騎士だった。ルーティは自分の考えを否定した。
ティセはそれには気が付かず、話を続ける。
「元騎士、それも魔王軍との前線にいた歴戦の勇士というやつでしょう。それが辺境に流れてきたからには何か不名誉なことがあったのだと思います。冒険者であれば多少の不名誉なんて気にならないものですが、騎士となると騎士団全体にも迷惑がかかりますから」
「なるほど」
「それが何なのかは分かりませんが……」
ティセは少し考える。
「あくまで予想ですが、若くして優秀なのを上官に疎まれ、相手を斬るしかなくなった、そんなところだと思いますね。あれほどの腕の持ち主が単純な失敗をして逃げてきたとは思えません」
「そう」
ティセはショートソードを吊り下げている腰のベルトを外した。
ベッドに座ると、深い溜め息をついた。
「ゾルタンにはまともな冒険者がいない。最強の冒険者ですらBランク。それでどうやって上級デーモンを退けたのか、おかしいと思ったんです」
ティセはアルベールを尋問したアレスから、わずかではあるがゾルタンで起きた事件について聞いていた。
上級デーモンとBランク冒険者が共謀し、それを腕の立つ冒険者が阻止したと。
だが昨日今日とゾルタンで情報を集めた限り、解決したのは旅の冒険者と衛兵。その冒険者はBランクに現在登録されているそうだ。
「それらは大衆向けの情報。真の英雄がその男なのでしょう。そう考えれば、門番と一緒にいたのは町に訪れた人々の情報を得るため。私が席を立つとすぐに席を立ったのも、私を警戒してのことですね。ジョッキではなくコップで飲んでいたのも、自然と動けるよう普段から警戒しているから。常在戦場の心構えを持ち、名声にすら興味も持たず、ただ成し遂げた事を持って誉れとする、真の英雄というやつです」
ティセは反省していた。
この旅は勇者のフォローに苦労するなどと考えた甘い自分を。
勇者の旅がそんな簡単なものになるはずないのだ、例え辺境ゾルタンであっても、勇者の前には巨大な障害が立ちはだかる。
「勇者様、方針を決めなくてはなりません」
「方針?」
「あの男と協調するか敵対するかです。騎士と勇者ならば、思想は近いものがあるとは思います」
「それは難しい。私の探している錬金術師は監獄の病棟にいるらしいの」
「監獄ですか?」
ルーティも情報を集めていたようだ。
何か騒動を起こしていないか少し心配になるが、何も言ってこないことを見るに多分何事も起こらなかったのだろう。情報収集自体は前から勇者も行っている。
肩をたたいて話をするだけで、交渉というより威圧なのではあるが……。
ルーティはコントラクトデーモンから、ビッグホークの側近であった錬金術師が薬の生産を行っていたと聞いている。薬を飲んだ後、コントラクトデーモンは一切何も喋らなくなり、ついにルーティは錬金術師の名前や背格好を聞き出すことはできなかったのだが……。
ビッグホークの側近達はすべて監獄に投獄されており、側近の錬金術師という情報に該当する人物は現在、騒動の際に肩を斬られ監獄の病棟で療養中だとつきとめていた。
「勇者であることを隠している以上、交渉で錬金術師を引き取ることは無理よ」
「そうですね……となると脱獄ですか」
「そう」
「町とは敵対することになりますね。そしてあの男とも」
「私が直接その男と会おうか?」
会って倒す。
そう言外に言っているのだと、ティセは判断した。
「……もちろん、勇者様が負けることはありません。ありませんが、ヤツはおそらく自分が敗北した場合も考えているはずです。背後を調べることもなく会うのは危険でしょう」
「そう」
勇者は少し首を傾げながらも頷いた。
この過剰な警戒について、ティセを責めるのは酷だろう。
自分と同格近い実力を持つ相手が、まさかただ、のんびりスローライフすることを目的としているとは、これまで暗殺者として多くの野心家や陰謀家を見てきたティセの常識では想像もできないことだったのだから。
2人は夜が更けても長い間、今後の計画について話し合っていた。
その頃うげうげさんは、ティセの鞄の中で脚を畳んで眠っていた。