24話 英雄の役割
「灰色ヒトデの薬をありったけくれ!」
「すみません、他の診療所からも注文受けていますので、30服なら」
「おお、そんなにストックがあるのか、助かった! 他の薬屋ではもう品切れでな」
議会通りの住宅街に門を構えるクリストファー診療所の医者は大喜びで薬を買っていった。
ジョンソンの中毒発症から2ヶ月後のゾルタンでは、毎日病院に患者が運び込まれるようになり、応急処置に使う灰色ヒトデ草の薬は飛ぶように売れていた。
「リット、午後からは受付を頼む。俺は薬の調合をやるよ」
「分かった。にしてもひどい状況ね」
「ああ、こりゃ麻薬を通り越して毒だぞ」
麻薬というのはたしかに恐ろしいが、障害はゆっくり体を蝕むものだ。麻薬の目的は多幸感や解放感といった快楽を得ることで、重度の依存症になって身体をボロボロにすることはあっても、数ヶ月に大量の重篤患者をだすものではない。
「こんな危険な薬をなぜ使うんだ? そんなに依存性が高いのか」
分からない。医者も患者に聞いているそうなのだが、新しい自分になれるからと繰り返すばかりで要領を得ない。
「アルベールの仲間の盗賊もあの麻薬を使っていたんだって」
「なに?」
この間の惨劇も、薬が原因だったのか。
「その麻薬やばくね?」
「最初は段階を置いて禁止していこうと思っていた議会も、メンツを捨てて摘発に動き出したみたい。担当のダンって人は多分クビになるね」
可哀想に。やっぱり胃薬持っていってやろう。
「しかし、まだ性質が分からないところを見ると余所から呼んだ上級調合スキル持ちでも解析不能の新薬か。ワイルドエルフの薬の可能性が本当にありそうだ」
上級の上にある最上級調合スキルを持つ者は大陸にも片手で足りるほどの数しかいないだろう。俺も直接面識があるのは銀の町ムザリにミスリル銀を探しに来ていたハイエルフである、魔女帝「冬のバーバ・ヤーガ」くらいだ。バーバ・ヤーガはウィッチ系の中でも歴史上まだ2人しか確認されていない加護、『冬の女王』を持つ伝説的人物だ。
戦闘に直接影響しない調合などの製作スキルは価値が若干低い。レベル60を超え大量のスキルポイントを得たバーバ・ヤーガだからこそ持てたスキルだ。
「スキルで調べるのは実質不可能だな」
「調合スキル以外に分析する方法ってないの?」
「んー、難しいな。材料がわかればまだやりようもあるが」
材料の性質を調べ、そこから知識で追っていく方法もあるにはある。
だが一般的じゃないし資料も圧倒的に少ない。スキルがあれば分かることを、わざわざ知識で調べようとする人間はいないのだ。
「また薬草取りに行かないとな」
冒険者ギルドも灰色ヒトデ草の収集依頼を出しているようだが、豊富に取れる場所であるキマイラの繁殖地に薬草を取りに行くなんて俺くらいしかやらない。キマイラを倒せる実力があるのならば、多少買取価格が上がったところで薬草収集依頼なんて見向きもしないからだ。
冒険をするつもりはないが、薬屋として出来る限りのことはしよう。
☆☆
「あの、アルベールさん、本当にやるんですか?」
「ここまで来て何を言っている」
女僧侶のつぶやきに、アルベールは冷たい視線を返した。
だが、仲間の土魔導師も、戦士も、新しく入った盗賊も、全員が女僧侶と同じような不安げな表情を浮かべている。
「なんで俺たちがこんなことを」
戦士が小さくつぶやいた。
アルベールは怒鳴り散らしたくなるのを堪え、仲間についてくるように促す。
アルベールのパーティーはゾルタン南にある海岸沿いの洞窟にいた。
ここに、獣めいた顔にザラザラとした青い肌をした4メートルほどの体躯を持つ巨人スクラグと呼ばれるモンスターが住み着いた。
スクラグは巨人トロールの一種で海棲トロールとも呼ばれる。
加護の成長にもよるが、大体スクラグ達は一体がレベル9相当。残虐なトロールに比べて、スクラグは決して見境なく暴れるモンスターというわけではないのだが……。
「猿を轢き潰したような顔をしているが、あれでスクラグは自分の部族の子供を何よりも大切にする。ただ1人の餓死者も出さないほどに」
土魔導師が説明した。
スクラグ自身も漁を行うのだが、それ以上に略奪による収入を当てにしている。海を泳いできたスクラグが集落を作ると、普段はなんともないのだが繁殖期を過ぎ子供が生まれると、周囲の集落を襲って食料や物資を集めるようになる。
それを毎年繰り返して数を増やし、スクラグの“王国”を築くのだ。
「だから繁殖期に入る前に駆除する」
「でもスクラグくらいならCランクパーティーの仕事でしょう?」
ちぎれた腕がすぐにくっつくほどの再生能力をスクラグは持っているのだが、火に弱いという弱点がある。魔法使い系加護の持ち主達がレベル4に到達したとき最初に習得する定番のファイアーボール一発で、スクラグは大半が行動不能になり、生き残った者も再生能力を失う。
ファイアーボールが使える加護を持つ仲間がいれば、ファイアーボールを発動するだけの魔力が残っている限り恐れるような相手ではない。
ファイアーボールが無くとも、加護レベル1から使える、炎の矢を飛ばすファイアーボルトや、手のひらから規模の小さいブレスのような炎を打ち出すバーニングハンズといった魔法もある。
火の呪文は攻撃に優れ、水や土の呪文より低いレベルのうちから強力な攻撃が可能なのだ。
火が弱点であるというのは、それだけでモンスターの脅威度を下げる要素である。
「夏の間に怠けていた冒険者どもは、放置されていた依頼をこなすので手一杯だ。スクラグは繁殖期に入るまでは危険度が少ない、誰も依頼を受けはしないだろう」
それにスクラグが略奪を開始してから倒した方が実入りも大きい。略奪品は冒険者の重要な収入源なのだから。
「だから俺たちがやるのだ。力あるものは、その力を使う義務がある。剣を収めている時間が長ければ長いほど、それは罪悪だと知りたまえ」
アルベールの口上に、仲間たちはさすがアルベールさんと褒め称えるが、その目には明らかな侮蔑が浮かんでいた。
お前一人でやれ!
アルベールは小さく首を横に振った。
アルベールの加護は『ザ・チャンピオン』。加護レベルは24。この加護は、困難を乗り越え偉業を達成する英雄の加護だ。戦士系上位加護の一つであり、その衝動は、自身の力を世界に示すこと、歴史に名を残すような活躍をすること。
彼の大いなる野望に比べ、仲間たちの持つ凡俗な加護はあまりに小さい。そうアルベールは呆れていた。アルベール自身は、その強大な加護を活かすこともできず、ゾルタンに流れてきたのではあるが。
「そろそろいくぞ」
アルベールは剣を抜いた。
「あ、あの、その剣は?」
僧侶はアルベールの持つ、異様な形状の剣を見る。
刀身は分厚く重量がありそうだ。鍔が小さく、あれでは簡単に指を斬られてしまうように見える。
そしてなにより特徴的なのは、切っ先が丸く“突き”の機能を持たないことだ。
それは処刑人が使う剣だった。
「以前の剣を折ってしまってね、あれほどの魔法の剣はなかなか見つからないと思っていたんだが行商人から掘り出し物を譲ってもらえて助かったよ」
ところどころに錆の浮かんだその剣は、アルベールの新品同然に輝く鎧とは対照的だ。
「銘は無い。だが切れ味は格別だ。俺は“ヴォーパル・ブレード(首切り剣)”と名付けたよ」
僧侶は、魔力を視覚化するディテクトマジックの魔法を使った。
途端、圧倒的なオーラに打ちのめされ、思わずぺたんと座り込んだ。
「すまん、先に説明するべきだったな。誰が作ったかは分からないが、これは伝説級武器作成スキルで作られた逸品だ。この剣を超える武器は、勇者ルーティの持つ“降魔の聖剣”くらいなものだろう。魔法のオーラを見るだけで、生半可なレベルでは打ちのめされる」
「そ、そんなものを行商人なんかが?」
座り込んだまま僧侶は疑問を口にした。
アルベールは僧侶に親しげな笑みを浮かべながら手を差し伸べる。
「運が良かったんだ」
そう言われ、僧侶はそれ以上何も言えなくなった。
☆☆
アルベールのパーティーは、すでにスクラグの巣の大半を制圧していた。
残るは最後の部屋のみ。
洞窟なので扉もなく、アルベール達は部屋とへと踏み込んだ。
「あ……」
その光景を見て、思わず僧侶は声を上げた。
そこにいたのは3体のスクラグ。垂れ下がった乳房があるところをみると、全員メスだろう。
だが、2体のスクラグに守られるように座る、そのスクラグの姿は、僧侶を打ちのめした。
そのスクラグの腹は大きく膨れていたのだ。
瞬間、僧侶の感じていた戦いの高揚も、加護の衝動さえもすべてが吹き飛んだ。彼女の倫理観と、なにより彼女の女である部分が、スクラグの追い詰められ、それでもなお戦おうとするその表情に共感してしまっていた。
「い、いやだ……」
僧侶は一歩後ずさる。思考が麻痺し、呼吸するのが苦しい。
だが、
「もう子持ちがいたか。早めに対処して正解だったな」
アルベールは感慨もなくそう言った。まっすぐ切り込み、同胞の子を守ろうとした2体のスクラグを容易く切り伏せる。
最後のスクラグは、死んでいった仲間のために、そしてこれから生まれる我が子のために戦いの咆哮をあげた。喉が裂けるかと思うほどの咆哮だった。
「ふん」
爪を振り上げ最後まで戦おうとするスクラグの母親を、アルベールは鼻で笑い、分厚い剣を一薙した。
その一撃は、あまりに簡単に、あまりにあっけなく2つの命を奪った。
戦いは終わったのだ。
気がつけば、僧侶の両目からは涙が流れていた。
「大丈夫かい?」
アルベールは穏やかな声で僧侶を気遣う。スクラグの母親を屠ったその手は、僧侶を慰めるように肩に置かれた。
「なぜなんです……」
僧侶は考えることもできず、思ったことをそのまま口にした。止まらなかった。
「彼女達は、ただ自分の子供を愛していただけだったのに! 私達と同じ、いえ私達よりずっと尊い人達だったかもしれない!」
「そんなことはない、あれはただのモンスターだ」
「例えば……私達が彼女達に食料を供給して、その代わり彼女達は周囲のモンスターを倒してくれるような、そんな関係だって築けたかもしれないじゃないですか!」
アルベールは優しく笑った、それは道理の分からない子供に諭す大人の表情だった。
「それを我々の加護は望んでいないのだよ」
ああそうだ……この世界は戦いに満ちている。
次回は勇者側の話になります!