渦巻く思い
「蒼真……、あれは……、何……ですか」
声が震えていた。
いや、声だけではない。左手を治療するために握っていたその手も恐怖によって、震えていた。
そう、あれは普通、知らない存在。
βテスト時でも魔界でしか見かけたことがなかったし、それ以外の場所では噂すら聞かなかった存在。
そう、魔界にしかいなくて、俺がβテストを体験した時には人間の世界に直接的に干渉した記録が残っていなかった存在。
だから、あの存在について、エイダが知らないのも無理がない話だ。
だが、エイダは直感的に理解している。あれが、ドラゴンだとかコカトリスなぞとは比べる価値がないほどの脅威であるということを。
「悪魔だ。文字通りのな」
悪魔。
魔王の側近とされる存在。魔王と比べれば劣る力を持つと言われるそれは一般的な魔物とはけた違いの強さを持つ。
エイダの村で戦ったドラゴンが猫のような小動物だとすれば、悪魔は俊敏な動きで獲物を狩る虎。
その体に宿りし力も比較するのが無駄だと感じるほどに違う。
そこで、俺は察した。
覚悟を決めなければならないと。
色々考えて動いている俺らしくない、馬鹿な行動をとらなければならないと。
「エイダ、君は逃げてくれ」
「えっ?」
エイダは言葉の意味が理解できないといった顔を浮かべながら、こちらを見ている。
いや、違うか。
彼女自身、俺が言っている言葉の意味ぐらい分かっている。
理解したくないだけだ。
理解してしまいたくないだけだ。
「俺があいつと戦う。そのうちに逃げてくれ」
「蒼真を置いていくことなんてできません!」
だからこそ、彼女は強く反論する。
その反論は、先ほどよりも強い意思がこめられた声だった。強い意志が込められた、様々な感情を含む言葉。
俺はそれを聞いて、きゅっと口を結ぶ。
もう少し、いや欲を言えば、もっと彼女と一緒にいたかったなと。
彼女は俺の秘密を知りながらもなお俺の傍で協力してくれた。そんな唯一無二の仲間ともっと一緒にいたかった。
「二人で殺し合えば、確実に死ぬ。俺が戦って、エイダだけでも逃がす時間を作りたい、そう言っているんだ」
そう悔しい思いがあるからこそ、俺は自分の口で彼女が理解したくないことを告げた。
彼女の顔が青ざめ、その言葉の意味の理解をしたくないと表情から訴えてくるのが分かる。
「なに、俺は戦闘に長けているんだ。エイダが救援を呼んできてくれるまでは生きてみせるさ。そうすれば、ここで全滅よりよっぽどいい展開だろう?」
そう言って、俺は笑う。
俺自身、死にたいなどとは思わない。
ここで死んだ結果、どうなるのかなんてさっぱり分からないのだから。
本当に死んでしまうかもしれないのだから。
だが、俺が助けて、俺の為に魔法を勉強してくれた彼女まで死なすわけにはいかない。
狙われているのは幸い俺だ。
彼女まで死ぬ必要はないのだ。
“娘を頼んだぞ、あんた”
“あなた様になら、私たちの娘を任せても安心できます。行ってらっしゃい、また会えるのを楽しみにしています”
フラッシュバックする光景。
エイダ、彼女の命を託された時の言葉。自分の娘を頼むと任された時の言葉。
“連れて行くからには、君のことは俺が必ず守る。死なせはしない。そして、後悔もさせない。色々な物を見て、進んでいこう”
そして、彼女に対して言葉にした誓い。
今回俺には守るということは出来ない。けど、彼女を生き残らせるために最大限の努力が出来る。
なら、もしも、彼女が言うことを聞かないのなら、覚悟を決めなきゃいけないだろう。
「でも……」
彼女は言うことを聞かない。
駄々をこねる子供のように、その見え切った結末をどうにかしたいと言葉を紡ごうとしている。
だが、それでは駄目なのだ。
くそが。
俺だって死にたくはないんだよ。
俺だって、さっさと逃げ出したいんだよ。
でも、それ以上にエイダを死なせたくないんだ。馬鹿なのかもしれないが、短い期間とはいえ、共に死線を共にした仲間のエイダを巻き込みたくないと思っている。
いや、違う。おそらく、それだけじゃない。
共に過ごすうちに、きっと俺は、彼女のことが……。
だからこそ、俺は自分の心を押し殺すことにした。
「はっきり言うぞ。お前は邪魔だ」
嘘だ。
彼女は有能だ。
俺だけではだめだった状況を救ったのは彼女だ。
「このまま残られても、俺は本気を出すことが出来ない」
嘘だ。
彼女がいたからこそ、俺は傷を気にすることなく、全力を出すことが出来た。
「だから、こっから失せろ」
嘘だ。
本当はここで別れたくはない。
こんな最後の別れなぞ、望んでもいない。
だが、彼女は動かない。
「失せろって言っているんだろうが!」
だから、俺は叫んだ。
びくりと肩を震わせ、彼女は俺に背を向けた。そして、俺の意図を組んでくれたのか、歩き出してくれた。
最後までありがとう。
自分がしたいこと、それを我慢してまで俺の意志を尊重してくれて。
そう思いながら、俺は彼女に背を向ける。
それから数秒後。
頬に手が当てられ、顔の向きが後ろに回転させられた。
そして、唇を奪われた。
目の前には、エイダという少女の顔。
白く雪のような透き通った美しさを持つ彼女の顔、それはいつもと違って、真っ赤に染まっていた。
濁流のように流している涙で濡らしていた。
それは触れ合うだけで、心を安らかにする感触だった。
「あなたは、10年前救ってくれたあの日から私のヒーローで、それだけじゃなくて、さらに二度も助けてくれた。その時、運命だと思ったし、あなたのそばにいたい、好きなんだと改めて気付いた。だから、あなたを死なせない。必ず助けを呼んでくるから!」
そう言って、彼女は走っていく。
自分に出せ得る力を最大限まで出し切って。洞窟の中で怯えていたはずの彼女は、そんなこともなかったかのように、本気で走っていく。
「必ず返事をする。必ず君の元に帰ってくるから」
だから、俺はそんな彼女の背中を押すように一言叫ぶ。
初めてだよ。
告白なんてさ。
しかも、自分でするんじゃなくて、相手からされるんだぜ?
しかも、俺が女性としても少しずつ意識し始めた相手から。
ハハッ。
なんだよ、くそが。
本当に、死にたくなくなったじゃねぇか。
「待ってくれているとはありがたい話だな」
「俺は蒼真、お前を殺すことにしか興味がないから、外野が消えてくれるのは別にかまわん」
「そうか。でも、俺は殺されるつもりはねぇぞ」
「お前という異端は殺さなければ、計画に支障が出る」
「計画? 何のことだよ」
「死に行くお前には関係のないことだ」
「ああ、そうかい。でも、俺はここで死なない。いや、死ねない。だから、何としてでも、生き延びさせてもらうぞ」
俺はもう一度覚悟を決めた。
それは、エイダを逃がすために自分の身を犠牲にする覚悟ではない。
それは、これ以上生きる事を諦めた覚悟ではない。
それは、エイダのために、生きる覚悟だった。




