⑦悪口と毒親
「お疲れ様です、ニアム様」
他の貴族とのお茶会が終わり、自分の部屋へ帰ると、護衛として一緒にいてくれたナックが、わたしを労った。
わたしは返事をせずに、行儀悪くソファに座る。
「はぁ……。ほんっとうに、面倒臭い……」
「心労、お察しします」
「なによ、みんな揃って。うざったいわ」
今日のお茶会、話した内容はアリアリーシェのーー赤い瞳の子供についてだった。
というか、お茶会自体がそれについて話すために開かれたのだ。
わたしは万が一にも、最悪の事態ーー例えば、赤目の子供を大義名分にした王位簒奪などーーが起こらないように、産後の体に鞭打って、わざわざお茶会まで行ったのだ。
「そうですね」
「カルロスもカルロスよ。高潔なのはいいけれど、そのしわ寄せを食らっているのはわたしなのに。そもそもカルロスだってアリアリーシェの親なのに、なんでわたしばっかり糾弾されているの?」
「全くです」
「もしキースなら、わたしの事を守って……」
否定せず、相槌マシンになってくれるナックに気をよくして、饒舌に不満を語っていた口の動きが、止まった。
「……どうされましたか、ニアム様?」
「……数年前に別れた男に縋るなんて、我ながら気色悪いわね」
「そんなことはありません。キース様は、ニアム様の……大切な、幼馴染でもありますから」
首を振るナック。
それはそう。でも、今のわたしは、キースの事を好き合った相手として考えてしまっていた。
「キースの事は、出来るだけ思い出さないようにしていたのに」
思い出せば、帝国に帰りたくなるから。
毎日毎日、罵声と嘲笑を浴びせられるこのナウロン王国から、懐かしい故郷に戻りたくなってしまうから。
それに、この期に及んでキースの事を思い出すのは、カルロスに失礼だ。
この結婚は、国同士の利益のために実現したもの。カルロスだって、他に好いた男がいる女と結婚するのには抵抗があったはずだ。けれど彼は、わたしを邪険にはしない。それはカルロスの優しさによるものだ。
そこを履き違えて、自分だけが悲劇のヒロインだなんて思ってはいけない。
思っては、いけない。
「……そうですか」
「そうよ。……そろそろ入浴するわ」
「かしこまりました」
わたしは立ち上がり、浴室へと向かう。
ナックはわたしの意図を汲み取り、わたしの後ろにぴったりとついてきた。
浴室の外で、護衛としての仕事をまっとうするのだろう、
「…………はぁ」
わたしは憂鬱さにため息をつく。最近は本当に、ため息の回数が増えた気がする。その事がまた憂鬱で、もう一度ため息をつきたくなった。
そんなわたしを見ているはずの、後ろにいるナックの表情は、わたしには見えなかった。
* * *
対面に座る赤髪の男ーーグランデンバルグ公爵家当主、フィランダー・デューレス・グランデンバルグは、わたしを穏やかに糾弾する。
「それにしても、アリアリーシェ殿下の赤い瞳はどういう訳でしょうね」
緑の瞳にいすくまれ、高慢な敬語が耳朶を打つ。
グランデンバルグ公爵に呼び出された時点で覚悟はしていた。予想通り、アリアリーシェーーひいてはわたしを小馬鹿にするような言い方だった。
「いえ、別にニアム陛下を馬鹿にしている訳では。ただどうして、かのユーガット皇族から赤目の忌子がいるのかと、不思議に思ったまでです」
「……神アルテミスの思し召しよ」
「なるほど、確かに。ーーつまり、今あなたが置かれている状況も、神の思し召しと」
「もういいかしら? わたしは呼び出されてここに来ているのに、するのはこんなに中身のない会話なの?」
「ああこれは失礼を。少々話が脱線してしまいました」
「さっさと本題を言いなさい」
「はい。ーーアリアリーシェ殿下の瞳の色、それを変える事が可能かもしれない人物が、知り合いにおりまして」
「……はぁ?」
思わず、反応してしまう。失敗だ。出された餌に食いついてしまった。
フィランダーはわたしが声を上げた事に、微笑みを浮かべる。
「興味がおありなようで」
「ーーっ。カルロスがいなければ王になれたかもしれないあなたが、そんな荒唐無稽な事を言い出したのに驚いたのよ」
「それが、荒唐無稽でもないのです。事実、いくつかの成功例もありまして」
「……怪しい術でも使ったのね。成功するまでに、何人の人が苦しんだのかしら」
「本人達は納得した上だったそうですよ。あいにく、私は詳しくありませんが」
「そしてその危ない術を、わたしの娘に使おうと?」
「アリアリーシェ殿下にも、益のある事です。赤い瞳は、他者の視線を惹いてしまいますからね」
もっともらしくうそぶくフィランダーだが、要するにこう言いたいのだ。
ーーアリアリーシェが死んだって、別にいいだろう。
ーーそれよりも、赤い目の方が問題だろう、と。
アリアリーシェを生んでから、およそ一ヶ月。
言われる事は赤目の子を生んだわたしへの皮肉あるいは哀れみばかりだった。
誰もアリアリーシェを見ない。"鮮血王女"なんて渾名まで作られた。
毎日、毎日、こんな事ばっかり。
「無論、ニアム陛下も悩まられるでしょうから、今すぐにとは言いません。ーー大切な、陛下の鮮血王女様ですから」
細められた緑の瞳が、あんな子供を庇うなんて愚かだと、そう言っていた。
「……帰るわ」
わたしは立ち上がり、返事を待たずに部屋を出る。
フィランダーの野心に満ちた目がずっとわたしを追っているような気がして、気持ち悪かった。
* * *
それからの一ヶ月も、状況は変わらなかった。
「あら、ニアム様。鮮血王女の様子はいかが?」
冷笑される。
ーーうるさい、黙って。
「ニアム陛下も大変ですね。アリアリーシェ殿下を産んだばっかりに」
同情される。
ーーいい人のふり? 鬱陶しい。
「すまない、ニアム。余が不甲斐ないせいだ」
謝罪される。
ーーそんな事言っている暇があるなら、現状をなんとかしなさいよ。
「大きくなったらははうえとけっこんする!」
宣言される。
ーー出来る訳がないでしょう。馬鹿じゃないの?
「ニアム様。どうか、あまりお気になさらないでください」
激励される。
ーーあなたは、わたしの苦労なんて知りもしないから、そう言えるのよ。
「わたしはなんで、こんな事になっているのかしら」
独りごちる。
ーー決まっている。それは、
* * *
「アリアリーシェのせいよ」
赤い瞳を見つめながら、言った。
言ってしまった。言ってやった。
ここはわたしの部屋で、周りには誰もいない。わたしは今だけは自由だった。
生後二ヶ月のアリアリーシェは、揺り籠の中ですやすやと眠っている。
「アリアリーシェが、全部悪いの」
「……」
「あなたさえ、いなければよかったのに」
「……」
「そもそも、ここに嫁いできたのが間違いだったわ。キースと結婚出来ていれば、わたしはもっと幸せになれたのに」
一度言ってしまえば、蓋をしていた感情が、あとからあとから溢れ出した。
「なんで赤なの? わたしの娘でしょう。青い瞳じゃないのは、なんでなの?」
「……」
「あなたがいなければ、わたしはこんなに苦しまずに済んだのに」
わたしは一息で言い切って、手で顔を覆う。
言ってやった。言ってしまった。
* * *
それからは何度も何度も、アリアリーシェに色んな事を聞かせてやった。
カルロスへの恨みも、カーティスへの苛立ちも、アリアリーシェへの不満も、キースとの思い出話も。
言う度にすっきりして、その度にもやもやして、自分でも何がしたいのかよく分からなくなっていた。
それでも習慣のように悪口を言い続けた。
* * *
「アリアリーシェもカーティスも、所詮は血の繋がった家族ってだけなのに」
そうだ。それだけ。全然、大切なんかじゃない。
「アリアリーシェ。あなたの父上はとんでもない色欲魔よ。あの人のせいで望みもしないあなたを孕んでしまったの」
そうだ。カルロスのせいで、アリアリーシェを産む事になったのよ。
他の人達が全部悪い。カルロスも、アリアリーシェもルーシーも、全員、最低最悪だ。
全員、全員ーー……。
「俺は……いたずらずきでお茶目なちちうえも好きですよ?」
……。
わたしだって、彼のいいところくらい知っている。
それでも、嫌いなものは嫌い。毎度毎度セクハラしてくるのも。結婚式の夜、閨で交わした言葉も。
嫌い嫌い、大嫌い。前のわたしの考え方があほらしい。カルロスの優しさって何よ。カルロスの心情のために、わたしは今こんな目に遭っているというのに。
分かってる。わたしが彼を責めるのは、そうやって他人のせいにしていないと、自分の醜さに押し潰されそうだからなんだって。
嫌いだ。大嫌いだ。カルロスも、アリアリーシェもルーシーも、そうやって人を憎んで自分の心を保とうとするわたしも。
一年前は、こんな事にはなっていなかったのにね。
* * *
そんな習慣も、アリアリーシェが二歳になり、住む場所が別れた頃にやめた。
アリアリーシェの記憶に残ったら嫌だったし、そもそも言う機会が激減した。お世話が侍女に一任される以上、小声で話しかける機会はほとんどない。
そうすると、なんだか心が軽くなって。
わたしは馬鹿だったのだと、ようやく気が付いた。
だけとその後も、アリアリーシェとは距離を取って過ごしていた。
会えば、アリアリーシェへの憎しみが一気に溢れそうになるから。
会った時も出来るだけ、本心を隠すように振る舞っていた。だから、あのやり取りは唯一の例外。
『それってやっぱり、キースの……好きな人のせい?』
わたしの、必死で抑えてきた想いを、娘はあっさり見破った。
そしてその上で、わたしの事を軽蔑しないと言った。わたしのような恋をしたいと言った。
アリアリーシェに、顔が見えていなくてよかったと、心底思った。
きっとその時のわたしは、泣きたいような顔をしていただろうから。
その後、本心を交じえた言葉を煙に巻くように告げて逃げたのは、もう少し話していたら、本当に泣きそうだったから。救われた気分になってしまったから。
だけど、これまでアリアリーシェを理不尽に憎んでいたわたしが、そのアリアリーシェに救われるなんて、あってはならない事だと思った。
だからこそ、これまでとなるだけ変わらないような態度を取った。
そうやって壁を作っていたわたしは、きっと悪い母親だ。
だから。
だからーー。




