⑤駆け引きと涙
「いや? そこまで困る事はなかろう」
きっぱりと言うカルロスの潔すぎる態度に、わたしは面食らう。
「……どうしてですか? この事が周囲に知られれば、あなたの求心力は下がってしまいますよ」
「知っておるか? 地の底に下はないんだ」
「……つまり、今更だと? そのような訳がないでしょう。これがどんな醜聞か、理解していないのですか? 廃嫡されてもーー」
おかしくない、と言いかけて、ある事に気付く。カルロスが嗤っていた。
「余が廃嫡されると、余の妻であるそなたの立場はどうなる?」
「……なんら問題はありません。わたしは元々、王太子妃の座に興味はありませんから。それよりも、ご自身の立場を心配されてはいかがでしょうか」
「良くて廃嫡、悪くて投獄あるいは処刑か?」
「分かっているではないですか。でしたら……」
「そなたは分かっておらぬか。余が先程、『ニアムには、将来を誓い合った相手がいる』と言った時、そなたはなんと返した?」
「はぁ? それは……」
ーーあ。
わたしは自分の失敗に気付き、口を閉ざす。
「何も返していない、だ。そなたは、否定をしなかった」
「……」
「そなたは失言をしていないが……失敗はしておる。余がエリックを証人としてこの事を流布したら、そなたの立場も急落するであろうな」
「そ、それは……しかしそれでは、あなたが騎士を忍ばせていた事も同時にバレるのではないですか?」
「"皇女の浮気という噂を調査した"……そんな大義名分を作れば、誰も咎めまい」
「そんなの、あなたが言うなという話でしょう。あなたが様々な女性に色目を使っている事など、国中に知れ渡っていますよ」
「証拠はどこにある? 女に話しかければ浮気か? 視界に入れれば浮気か? 酒を酌み交わせば浮気か?」
「そ、れは……」
その通り、だ。
例え女の胸に熱烈な視線を送っていようと、"気のせい"と言われれば追及出来ない。
「さて、他にあるか?」
自分の優位を確信した顔で笑うカルロスが恨めしい。
だけど、今勝っているのはカルロスで……それが悔しくて、最後の悪足掻きをする。
「……もしあなたが廃嫡されると、王位争いが起こります。それで困るのはナウロン王国でしょう? 今、王の実子はあなた一人……王位争いは激しくなると思いますが」
「実は、そうでもない。王家の血を継いだ、グランデンバルグ公爵家という家があってな。そこに一人、野心家で優秀な奴がおる。余に何かあれば、次の王太子はあやつになるであろう」
「……その場合、あなたの派閥はどうなるか分かっておいでですか? 恐らく処刑ですよ」
「その通りだな」
「情はないのですか?」
「ない。どうせ、操り人形にするために余を支持してきた者ばかりだ」
ーー失うものがない人は、強い。
これもまた、何かの小説で読んだフレーズだが、本当にその通りだ。
カルロスには、失うものがないのだ。
求心力も人望もない。王太子の座には興味がない。守りたい自分の支持者もいない。
全部、愚鈍な王太子だからーー否。
「愚鈍な王太子を、演じていたのですね」
「……余は、姉上こそが玉座に相応しいと思っていた。それだけだ」
「だから、サブリナ様を王座につけるために、自分がサブリナ様の王道の邪魔にならないように、色欲王子の振りをした」
「それは少し違うな」
「え?」
わたしが驚いて問い返すと、カルロスはにやりと笑った。
「余は、そういった類のものが嫌いではない。揶揄って頬を赤くする女の姿はいいものだ」
「……。揶揄うとは、どういう風に?」
「浮気の証言を引き出そうとしても、無駄だぞ」
残念だ。具体的な閨の様子を話してくれたらよかったのに。
わたしは今、割と本気で、この男の地位を落としたいと思ったのだが。
「しかし、引き分けか」
「引き分け、ですか?」
「余はバレるとまずい行為がバレ、そなたはしてはいけない失敗をした。引き分けであろう?」
つまり、カルロスはこう言いたいのか。
なかった事にしよう、と。
「もうそなたに危害を加える事は、余には出来ぬ。一度失敗したからな」
「……確かにそうですね。お互いに、これが周囲に知れ渡れば大変です」
「そなたとて、心の浮気がユーガット帝国に知られれば困るであろう?」
「……」
わたしが心の浮気をしていると帝国に伝わったら、その相手がキースである事も勝手にバレるだろう。
そうすれば、キースにも迷惑がかかる。
「……別に浮気はしていませんが、そう誤解されると困ってしまいますね」
「強情な奴め」
カルロスが苦笑する。
「さて、では今度こそ、寝室へ向かうとするか。エリック、貴様は余の気が向くまでそこで待機していろ」
「はっ」
「……ここに放置していくのですか」
「罰だ罰」
そう笑い飛ばすカルロスの後ろをついて行き、わたしは今度こそ、閨に向かったのだった。
* * *
着ていたドレスを脱いで、透けるほどに薄いロングドレス一枚になる。
そしてわたしは、ベッドの上に座った。
わたしと同じく着替えていたカルロスもそれが終わり、わたしの隣に座った。
「じゃあ、始めるか」
「……そうです、ね」
「閨で敬語はやめろ。普通に喋るが良い」
「……いいのですか?」
「ああ。なんなら、普段からタメ口でも構わぬ」
「……分かったわ、カルロス」
普段からタメ口にするかは別として、ずっと敬語は疲れてしまう。
わたしは御言葉に甘えて敬語をやめた。
カルロスがベッドの天蓋を閉じる。これで、中は真っ暗闇。
「では、行くぞ」
カルロスがそう言ったのを合図に、わたしは瞼を閉じる。意味はあまり、ないけれど。
肩に手を置かれ、熱い吐息が唇にかかるーー
「……」
「……?」
覚悟した感触が、来ない。
恐る恐る目を開けると、少し暗闇に目が慣れたのか、困惑したようなカルロスの顔がぼんやりと見えた。
「……カルロス? 来ないの?」
「……余とて、泣いて嫌がる女と無理矢理体を重ねるほど加虐的ではない」
「泣く……?」
「気付いておらぬのか?」
呆れたような声に、自分の目元に触れるーー冷たい感触。
わたし、泣いているの?
「そこまで、余とやりたくないのか?」
「……そ、んなっ、事は」
「無理せずとも良い。故郷の男が恋しいのであろう?」
「わたしに、男なんて、いないわ……っ」
そこだけは必死に否定しながらも、わたしの涙は止まらなかった。
なんでだろう。こんな風になる事なんて、十四歳の時にカルロスが王太子になってから、ずっと覚悟していた。
王妃になるわたしには、子を残す義務がある。なんなら初夜の後、シーツに血痕があるか、他人に確かめられるのだ。処女膜が破れたと証明するために。
白い結婚は、出来ない。子供の出来ない王妃は欠陥品だから。
分かってるのに。分かってたのに。
「ニアム……」
「これはただの、典型的なホームシックよ……!」
「……分かった。ホームシックだな」
「ええ、そうよ……!」
「……余は……そなたは、白い結婚なと出来ぬ。夜が明ける一時間前までに、泣きやんでくれ」
「……そんなの分かってるわよぉ……この色欲王子……!」
「その……悪いと思っておる。もし赤子が生まれたら、そやつに余の悪口を散々吹き込んでくれても構わない」
二歳までならな、と付け足すカルロス。
それはいいアイデアかもしれないと、つい思ってしまった。
天蓋の中では、わたしの嗚咽とカルロスの吐息だけが響いていた。




