③婚約と気付き
それ以来、わたし達は何度も一緒に勉強をするようになった。
その甲斐あってわたしの成績はぐんぐん伸び、家庭教師達が驚いていた。
ただ、そんな平和な日々がずっと続く訳がなくて。
わたし達の幾度目かの転換点は、それからおよそ二年後ーーわたしが十二歳の時だった。
* * *
ナウロン王国第一王子、カルロス・ディ・ナウロンとの婚約。
わたしがお父様にその話をされたのは、いつぞやの執務室だった。そこにはわたしとお父様以外誰もーー侍従や護衛すらいない。
「カルロス・ディ・ナウロン……わたしと同い年だったかしら?」
「ああ。向こうから打診があった。朕としては、悪くない条件だと思う」
お父様はわたしを見ながらそう言う。
確かに悪くない。わたしとしても。ナウロン王国の王太子は、第一王子ではなくその姉の第一王女だったはずだ。極端なプレッシャーもなく、悠々自適な生活が送れる。
ただ、気になるのはユーガット帝国から離れるーーつまり、キースとの物理的な距離が開く事だが。
「……わたしには、そもそも拒否権がないもの」
そうだ。わたしにこれを拒む事は出来ない。皇帝には逆らえない、なんて問題ではない。
一年と少し前の会話を思い出す。
* * *
『それとだ。賭けを受けるのに、一つ条件がある』
『条件?』
『それは、将来の婚約先を朕が決める事だ』
『え?』
わたしの戸惑いを察したのか、お父様が言葉を重ねる。
『今、モラレス家の令息と仲良くしているようだが、二人を婚約させる事は出来ん』
『別に、婚約したいだなんて思ってないけれど……どうして?』
『力が強すぎる。モラレス公爵家に皇女が嫁げば、権力が一箇所に集中してしまう。それは、他の貴族が嫌がるはずだ』
モラレス家はユーガット帝国の中でも権力が強い家だからなと、お父様はため息をつく。
『だから、ニアムとキースは婚約しない。いいな?』
ーー皇帝の言葉は絶対だ。
そして、その絶対の言葉を、"条件"というオブラートな単語に変えている事こそが、お父様の優しさなのだ。
だから、わたしは。
『……分かったわ、お父様』
そう、静かに頷いた。
* * *
だから、拒否はしない。
「……分かったわ、お父様」
「なに、そう悪いものでもない。里帰りだっていつでも出来る」
「そうね。……カルロス・ディ・ナウロンって、かなり評判が悪かった記憶があるけれど」
わたしがそう言うと、お父様が苦笑いをする。
放蕩息子。姉に能力を奪われた無能王子。色事にうつつを抜かす暗愚。誰かに評価を聞くと、そういうものばかりだった。
「まあ、ニアムはユーガット帝国の皇女だ。誰に嫁いでも、そう悪い扱いにはならぬ」
「そうだといいわね」
でも、お父様の言う通り、悪い扱いにはならないはずだ。ナウロン王国よりユーガット帝国の国力の方が高い。
それに、情事が大好きなら、愛人でも囲うに違いない。上手くいけば、わたしは白い結婚が出来るかもしれない。
その時のわたしは、そう楽観的に考えていた。
そんないい話には、必ずどこかに落とし穴があるのだとも知らないまま。
* * *
ナウロン王国第一王女、サブリナ・ウォン・ナウロンの訃報。
わたしがそれを聞いたのは、カルロスとの婚約から二年後。自分の部屋で読書をしている時に、侍女から告げられた。
正直、信じられなかった。信じたくなかった、というのが正しいかもしれない。
サブリナはとても優秀で、高潔な方だった。他国ながら、国を背負うに相応しい人物だと思っていた。
そんな彼女が、死んだ。
死因は魔獣だったそうだ。たまたま外出していたら、たまたま強力な魔獣に襲われて、たまたま護衛がやられて、そして死んだ。
更に、悪い事は重なるもので。
カルロスが、王太子に繰り上がった。
つまりわたしは、王太子妃になるのだ。ゆくゆくは王妃になる。
王妃になれば、自由ではいられない。王妃としての仕事や責任がたくさんある。しかも、白い結婚は出来ない。王妃として、世継ぎを残さなければならない。
お父様は、喜んでいた。沈痛そうにしていたけれど、それでも、ナウロン王国と『仲良く』出来るチャンスだと、内心では思っていたのが伝わってきた。
カルロスは、泣いていた。大切だった姉を亡くした辛さ、王太子としてのプレッシャー、きっとどちらもあったのだろう。
そして、キースはーー。
* * *
「サブリナ王太女、亡くなったんだね」
キースがわたしを呼び出し、そう言ったのは、懐かしい庭園だった。二人でベンチに、前を向きながら並ぶ、
護衛すらいない。完全に二人きりになるのは、いったいいつぶりだろうか。
「君は、王太子妃に……王妃になる」
「そうね」
「それだと、そうぽんぽんと帝国に帰れないね」
「その通りよ」
キースは、何かを堪えるように目を瞑って、囁くように言った。
「僕達はもう、一緒にいない方がいい」
「え……?」
わたしが彼の言葉を聞き漏らすはずがない。だけど、聞き間違えたのだと願いたくて、聞き返した。
だけど、わたしは正しく、キースの言葉を受け取っていた。
「これ以上、僕と君が一緒にいたら、君の醜聞のネタにされる」
「だ、けど……わたし達は学友よ。一緒にいても、問題ないじゃない」
「そうかもしれない。けど、君は王妃……敵の多い立場になるだろう? それなら、醜聞のネタは少しでも少ない方がいい」
「でも……そんなの、無視すればいいのよ! ただの親友ですって平気そうな顔をしていれば、きっと……」
「ーー出来ない」
きっぱりと、泣きそうな声で言い切られた。
わたしははっとして、キースを見た。深緑の瞳と視線がぶつかる。
「出来ないよ。僕は、初めて会った時からずっと、君の事が好きなんだ。ただの親友だなんて思えない」
「ーー!」
「君がいないだけですっごく寂しいし、君に会えた日はすっごく嬉しい。平気そうな顔なんて、無理だ」
驚いた。
だってわたしは、キースをそんな目で見た事はない。ずっとずっと、大好きな親友としてーー。
ーー本当に?
ーー本当に、大好きな親友だったの?
ーー会うたびにめかし込んで、頭を撫でられたら心臓がドキドキして、会えなくなったらたくさん泣いた。
ーーそれは、親友だからなの?
「……馬鹿。本当に本当に、馬鹿……!」
「どうしーー」
「言わないでよ! わたしの事が好きだなんて!」
わたしが思わず怒鳴りつけると、キースの顔が傷付いたように歪む。
馬鹿だ。馬鹿で馬鹿で、どうしようもない。これのどこが優秀なのか。
「言われなかったら、わたしは無自覚でいられたのに! キースの事が好きだなんて、そんな事……気付かなくて、済んだのに……」
悲しくて悲しくて、わたしは顔を両手で覆った。
「なんで、今更……もっと早ければ、もっと別の方法で一緒にいられたかもしれないのに……」
涙声で、言う。
すると、体が温かいものに包まれる。
何が起きたのかなんて、見ないでも分かる。キースがわたしをハグしたのだ。これまで、何回も同じ感触を味わってきた。
「キース……」
「……今だけ。今だけだから」
「……どうせキースなんて、あちこちの女の子にハグして回っているんでしょう。それなら、いつでもーー」
「してないよ」
いつでも好きな時にしなさいよ、という言葉を、キースの声が遮る。
昔よりちょっとだけ低くなった声が。
「してない。君以外の女の子には、ハグなんてしてないよ」
「……男には、してるんでしょう。浮気者」
「そ、それは……」
狼狽したキース。おかしい。
「ねぇキース」
「何?」
「わたしの名前、呼んでよ」
わたしがキースの胸の中でそう要求すると、キースは困ったように眉根を寄せた。見えないけれど、多分ね。
「それは……」
「別に、名前一つで浮気だなんて思われないわよ」
「でも」
「言いなさい」
わたしが命令すると、キースは、
「まったく、我が儘な皇女様」
「ーー」
「でも、そんなところも好きだったよ、ニアムちゃん」
そう言って、わたしの体を、強く強く抱きしめた。




